第十八話 吊り橋の向こうへ
食事を終え、ゆったりと過ごす午後のひと時。
昼はアニーが作ってくれた軽食だったが、新鮮なハムや野菜を使ったサンドイッチは美味しかった。よく食べて、そこそこ働いて、よく寝る。こんな穏やかな生活が待っているなんて……
日差しを浴び、うとうとしかけていると、その安寧に水を差す声が響いた。
「マリーゼ様! マリーゼ様ー!」
ジョンの慌てる声に窓の外を見ると、彼と門番の霊が、転びそうな勢いでこちらに走って来る。
「また例のエクソシストが、門の前に!」
あの、ハンター先生に似た、目つきの悪い男が?
心と身体に緊張がみなぎる。私は気を引き締めると、玄関に向かった。
アールは門扉の鉄柵の前で待っていた。昨日のような聖職者然とした服装ではなく、休日の貴族のような、質は高いがカジュアルな姿だ。こちらに気付くと、軽く二度ほど手を振ってきた。
「悪魔祓い師が、この屋敷に何の御用かしら?」
「ああ、フランメル準子爵様……だったな。昨日は申し訳なかった。ちょっと話がしたい。中に入れてもらえないか」
「お断りします! そんなことを言って、うちの者達を除霊する気なんでしょう!?」
私が腰に手を当てて強い口調で言うと、アールは口元の端を軽く上げ、苦笑した。
「タダ働きは、うんざりなんでね。
それより俺が聞きたいのは、あんたが昨日話していた、ハンターという医者についてだ」
ハンター先生のこと……?
私は動揺を隠せず、押し黙った。
「顔色が変わったな。あんたにとっても、大事なことだと思うが」
横目で左右を探したが、ジェームスはこちらに来ていない。自分で判断しなくては。
しかし、こんな一筋縄ではいかなそうな男を、屋敷に招き入れても大丈夫だろうか?
アールの魂には、細かいねじれが一杯だ。
だけど先生の話というのは、嘘ではなさそうだし……
***
玄関からほど近い、小さな応接室。
言うなれば『大した扱いはしない、用が済んだらさっさと帰れ』と無言の圧力がかかる部屋に、私はアールを通した。しかし彼はどこ吹く風だ。
「ふう……この街でまともなコーヒーを飲んだのは初めてだな」
「この辺りではお茶が主流なのよ。コーヒーは正式な淹れ方を知らない人も多いわ」
私はオレンジティーを一口含むと、カップをソーサーに置く。
「……ハンター先生をご存じなの?」
そこを一番知りたかった。昨日は知らないと言っていたのに、なぜ今日になって。
私は相手が嘘をついているかどうかは分かる。でも、相手の真意がどこにあるのかは分からない。
少しずつ話を引き出して、本心を聞き出さなければ……
「ハンターという名ではなかったが、俺の知っている人物かもしれない。
もし、そいつが、どんな形であれ、まだこの世にいるなら、聞きたいことがある。」
「……私はただの患者よ。診てもらったのも、ほんの一週間に過ぎないわ」
「そいつは俺とそっくりだったんだろう?
眼の色は憶えているか?」
アールは、その無意味に整った顔を、グイッと私の目の前に突き出してきた。
「……多分、黒とか、濃いブラウンとか、そんな感じ……
そんな、まじまじと目を見たりしないもの、ハッキリとは覚えてないわ」
私が床に向かって目を逸らしながら答えると、彼は再びコーヒーカップに手を伸ばした。
「それなら、その医者が残した処方箋や薬はあるか?」
「薬……湿布なら、まだ……」
「だったらそれを袋ごと見せてくれないか」
怪我の治療中、先生は多めの湿布を処方してくれていた。
私はそれを使い切らず、処方薬の袋にに入れてチェストに大切に保管している。
変な話、それを先生の形見のように思っていたのだ。
アールは手渡した薬の袋を、しげしげと見ている。
そんなものを見て、何か分かるの? そう思ったが、不意に耳打ちをされた。
「多分、あれは筆跡を見ていますね。彼はおそらくハンター先生と面識があり、手紙のやり取りもあるような、それなりに親しい人物でしょう」
(ジェームス……!)
「ああ、あんたか、助かった。あんたが一番、話が通じそうだ」
アールが姿を現したジェームスに向かって、軽口を叩く。
「あなたには我々の姿が見えますからね。隠れてマリーゼ様に助言するのも無理でしょうし、様子を見ていたのです」
「もう隠すのも面倒臭いな。
ライナス・ハンターは俺の兄、ラッシュ・スレイタ―かもしれない。そういう話だ。
少なくとも、文字は似ている。同一人物である可能性は高い」
「先生の……弟?」
そう聞けば、顔が同じなのも納得がいく。兄が行方不明なら、捜そうともするだろう。
「ひとつ聞くが、あんたらは知ってるか? この領地の北にある吊り橋の修理が、先週終わったらしい」
シェアリアが、逃亡する際に、ロープを切って落とした吊り橋が、直った……?
「あの川の下流を探すのは、こちら岸からは途中に岩山があって無理だった。
だが、橋を渡った向こう岸からは下流に沿って、なだらかに続く道がある。俺はそこに行くつもりだ。
河岸に流れ着いた人間はいないか、聞き取りをする。もし駄目だったとしても、魂が彷徨っているのを見つけられるかもしれない」
言うだけ言うと、アールは立ち上がった。
「それじゃ、邪魔したな」
「待って!」
帰ろうとする彼を、呼び止める。
「先生を探すのなら、私も一緒に行くわ」
もう、居ても立ってもいられなかった。
私の命の恩人。そして初恋の人。
彼を探しに行くのなら、私も。
その気持ちを抑えられなかった。
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