第十五話 ハンター先生にもらったもの
最後のドアを開けると、そこには……
頭上にうっすら輝く輪を頂き、その背に白い翼を持つ天使が、穏やかに微笑んでいた。深い紺碧の瞳に、輝く金色の波打つ髪を腰近くまで垂らした容姿は、実に愛らしい。
だが、その姿は後ろの壁が見えるほど透けている。明らかに人間が仮装したものではない。ツアー客の誰もが、これが本物の天使であると確信した。
「皆様方、よくここまで辿り着きましたね。さぞや御苦労なさったことでしょう」
ここまでの緊張が解きほぐされるような安らぎが与えられるような、澄んだ、可愛らしい声。身動きできずにいるツアー客に、天使は自ら一歩近づき、両手の指を胸元で組むと、告げた。
「では皆様に、預言を授けます。
……この後、帰宅したら、ご家族に優しい言葉を掛けてください。全員にです。普段は蔑ろにしているような家族にも。そして、彼ら彼女らに心の底から感謝してください。彼ら家族が全員いるから、今の幸せがある。そう、頭の中で強く意識して、それに沿った行動を心がけてください。努力には報いて、過ちは正して。
……そうすれば、あなた方には、今よりもっと大きな幸福が訪れるでしょう」
天使は、貴族達一人一人の胸に手をかざし、その手のひらを光らせる。
「ああああ……天使様、ありがとうございます」
全員の表情が、安らかなものへと変化した。中には涙ぐんでいる者もいる。目の前で、すうっとかき消える天使を見送った後、我々は屋敷の玄関まで戻っていった。邸内を通るが、今度は全く異変が起こらない。空も元通り晴れている。
「天使様が現れると、亡霊も落ち着くのです」
私はそう説明する。屋敷を去る際には、皆、気持ちよく入館料を払い、待たせていた自分の馬車に乗って帰っていった。中には御者に礼を述べている貴族もいて、言われた側が慌てふためく様子も見受けられた。
***
「大成功じゃありませんか」
「いやあ、楽しかったですなあ」
ツアー客を見送った私が屋敷に戻ると、ジェームスとジョンが声を掛けてきた。一緒にいた古い霊達は流血メイクを取り払い、笑顔で持ち場へと消えていく。
「ふう……やれやれだったわ」
私は案内用の三角旗をテーブルに置き、リビングのソファになだれ込むように座った。ジェームスの提案で被っていた帽子とジャケットを脱いで、ジョンに渡して、ようやくリラックスできた。そこへ三つ編みを解いて天使に扮したアニーが羽根のように、ふわりと飛んで来る。
「私もやれやれです! 奥様……じゃなくて、マリーゼ様!」
「似合ってるわよ、アニー、本物みたい」
「せ、台詞が長いですー! 覚えるのが大変です!」
ジェームスが肩をすくめて笑った。
「では今度から、私が姿を隠して側に行って、アニーに教えましょう」
とりあえず、定期的にこのツアーを行えば、お金には困らないだろう。元手が貯まったら、改めて商売を始めるのも可能だ。先の見通しがついて、私は安心した。これでシェアリアを追い詰める準備もできるはず。胸が希望に高鳴った。
「しかしマリーゼ様、よくこんなアイディアを思いつきましたね。最後に天使を持ってくるなんて」
幽霊屋敷を考えたのはジェームスだけど、天使は私のアイディアだった。
「うーん、それは何て言うか……人の心には、やっぱり救いが必要なんだと思うの。ただ怖い思いをするだけじゃ、きっといつか飽きられる。ここを出る時には、皆、幸せな気分で帰って欲しいのよ。
それに、これをきっかけにして、私のように家族から冷遇される人が減ったらいいかな……って」
いかにも感心したといった表情のジョンに答えながら、私はハンター先生とのことを思い出していた。
ただの医者と患者としての一週間。だけど、あの時間は私に幸福をくれた。ただ諦めて殺されるだけだった自分に、生きようとする意欲を与えてくれたのだ。
先生を、尊敬していた……
そして、やっぱり好きだった。自分なんてと思っていたけれど、叶うものなら先生の側にずっといたかった。あの人は流されて、今どこにいるのだろう。遺体が見つかったという話は聞こえてこない。
「マリーゼ様……」
無言になった私を三人が心配そうに見る。
そうだ、今はやるべきことが沢山ある。しっかりしないと。
***
しかし、それから二か月ほどが経った、ある日、異変が起こった。
普段、正門で見張りをしている門番の霊が、慌ててこちらにやって来たのだ。正門前に来客があったらしい。
郵便配達とツアー参加客以外に、ここを訪れる人がいるなんて。
私は急いで門に向かった。よく知らない人間を屋敷に招き入れる訳にはいかないけれど、どんな人物が、何の用でやって来たのかは確認しなければならない。私は門番と一緒に現場まで走り、息を切らしながら門扉の向こうに佇む訪問者を見つめた。
そこに立っていたのは、一人の男性。やや癖のある黒い髪の、肩幅の広い、痩身だが骨太そうな長身の男性。黒い神父服を纏い、肩から白い帯のようなストラを掛けた、その顔は……
「う、嘘……まさか、そんな……!?」
辛い人生の中でも、ひときわ辛かったあの時期、私に希望と優しさをくれた、唯一の男性……
真冬に吊り橋から落ちて、冷たい急流に姿を消した、あのライナス・ハンター先生に瓜二つだったのだ。
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