第四話 告発と行方

紙飛行機を全て飛ばし終え、小部屋に戻って様子を伺う事、数時間。日はとうに暮れている。

いきなりドアが勢いよく開けられ、憎悪に顔を歪めた夫が部屋に踏み込んだ。


「このクソ女が!」


私はハリーに腕を引っ張られ、強引に地下室まで連れて行かれた。


「貴様のせいで、俺は終わりだ!」


ランタンの仄かな明かりが灯るだけの地下室で、彼は私の胸ぐらを掴んで、そのまま埃まみれの床に叩きつける。

衝撃を受けた右半身に痛みが走ったが、それでも私は満足だった。


告発は、かなり効果があったようだ。

初めは何が起こっていたのか、気付かなかったハリー達。

だが、近くに落ちた紙飛行機を拾った庭師が、それを届けて大騒ぎになった。


急いで回収に動いたようだが、使用人が報告するのをこっそり聞いた限り、せいぜい数通しか回収できなかった様子だ。

告発文を目にした人間は少なくないはず。


領民ならばスレア伯爵の威光を使えば、黙らせられるかもしれない。

だが、表立って逆らえなくても、彼らが陰で他の領地の人間に事実を広めるのは止められない。

それに旅行や商売などで、たまたま訪れていた他の領地の者が、あれを拾った可能性もある。


ハンター先生の医者としての名声は、この国全体に広まっていた。

他の貴族や有力者も、彼の診療を順番待ちするほどだ。

その貴重な医師を襲ったとなれば、彼らが黙るまい。


「私は明日にも貴族院の騎士に連行されるだろう。裁判にかけられ、おそらく詳しい身辺調査もされる。貴族としては最後だ。貴様が、あんなことさえしなければ……」


肩をわなわなと震わせながら、ハリーは私を憎々しげに睨み付ける。


もう睨まれたって怖くない。

復讐は叶ったのだ。

たとえ、このまま殺されたとしても、思い残すことは、もう……


「おまけに、シェアリアにも逃げられた」


……え?

ハリーの言葉に、私の表情は固まった。


「保険金は、あいつが言い出したことだ。

ハンターだって、あいつが勝手に処分していたのに……

事が発覚したら、即、金目の物を持ってトンズラだ」


……シェアリアが……先生を処分?


心が絶望に染まる。

それじゃ、一番復讐したい相手が、真っ先に逃げてしまったと言うの?


「せめてもの腹いせだ。貴様など、死なない程度に痛めつけてくれるわ。

いっそ殺してやりたいが、それじゃますます保険金目当てだと見做されるだろうからな」


そう言い放つと、ハリーは倒れている私の鳩尾みぞおちに蹴りを入れた。

激しい痛みが襲った瞬間、私は後ろに吹っ飛んだ。


……魂だけが。


そう、私の魂は、再び身体から抜け出てしまったのだ。


しばらく混乱したが、今はそれどころじゃない。

これ以上、夫の暴力を許していたら、今度こそ大怪我を負ってしまう。

それに、このままシェアリアの逃亡を許したくない。


夫は再び、私の本体を蹴る体勢に入る。

霊の姿の私は、こみ上げてくる怒りと共に全身全霊の力を拳に込めて、ハリーの頬をぶん殴った。


「グゲッ!?」


夫は五メートル以上吹っ飛び、無造作に置かれていた椅子やテーブルに、頭から突っ込んだ。

顔は見えないが、そのまま微動だにしない。気絶しているようだ。


私は自分の手を見ながら、しばし茫然とした。

怪我と虐待とでかなり弱っていたはずの自分に、こんな腕力があるなんて……

魂と肉体では、随分と勝手が違う。


同時に、頭の片隅に眠っていた何かが、目を覚ましたような感覚に囚われた。




この感覚……

この屈辱……

この怒り……どこかで。


『○○○○、お前のような女が、この私の妻を名乗るなど、片腹痛い』


あっ……


『○○○○、お前なんか、家族じゃない。私の娘は×××××だけだ』


あっ……


『あの世に逝っちまいな』


あーーーーーーーーーーーーーー!!


名前は思い出せないけれど、間違いない、私は前世でも虐げられていた!

若くして、非業の死を遂げた!

怒りと未練と復讐心を胸に抱いたまま、私は亡霊となって、この世に留まっていたのだ……


おそらく、三百年ほどは。


そこからどんな経緯があって、今の私に生まれ変わったのかは、分からない。

ただ、三百年もの月日を、怒りを抱いて過ごした私は、かなり強烈な地縛霊になっていた記憶がある。


誰彼かまわず呪うような存在ではなかった……はず。

でも、いつか復讐すべき相手を滅する為、強くあろうと恨みつらみの感情を練り上げて、霊としての力をどんどん強めていった。そんじょそこらの怨霊どころか、多少名の通った悪霊が束で掛かって来ても、難なく蹴散らせるほどに。


マリーゼとして生まれ変わってから、何があっても、されるがままになっていた心の弱い私に、その記憶は、自分の意思を通す強い力をもたらした。


もう、諦めない。

私は、私が望んだように生きる!




そうだ、急いでシェアリアを追わなければ。

まずは自分の身体に戻って……


一歩踏み出したその時、ふと地下室の片隅に、誰かがいるのに気が付いた。

倒れているハリーとは、別の存在が。


その気配を手繰って、違和感に気付く。

……おかしい。これは……生きている人間じゃない。霊だ。


「誰!?」


私は低く冷静な声で、気配に向かって問い掛ける。


「ヒッ……ヒィィ……」


その人影は引き攣ったような怯え声を上げ、タタッとこちらに走り出て、その場にひれ伏した。


「お、お許し下せえ……」


そう言いながら顔を上げたのは、下働きのジョンだった。

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