第42話 妹③

 お兄ちゃんの裸を見た。


 全裸ではなく、上半身だけ。

 とはいっても、お兄ちゃんの上半身をまじまじと見たのは本当にいつぶりだろうか。


 できれば、もっと違う状況で見たかった。


 あの辛く長い特訓のことを思うと、泣けた。お兄ちゃんの手前――お兄ちゃんのクラスメイト、浮津うきつさんもいるのだから、必死に涙を堪えて、怒ってみせた。


 だけど本当は、大声泣き出してどこかへ消えて一人になりたかった。


 巫女のお姉さん――津々羽つつはさんに何度も相談して、あたしはずっと、お兄ちゃんに裸を見せられるよう努力してきたのだ。


 最初は自分の部屋で、一人で裸になることも抵抗感があった。下着姿で過ごすのだって、あまり長いとなんだか悪いことをしているような気分になる。

 常識というか倫理観というか、あたしの中ではやっぱり素肌をあまり人に見せるものではないという認識があるし、服をちゃんとしないのはだらしない格好だって意識もある。


 それこそ、両親と……お兄ちゃんのおかげだ。

 お兄ちゃんは、あたしが家に来てからお父さんに休日でも家の中でも服をしっかり着るようにって言って聞かせていた。だから世に聞く、下着姿とかパジャマ姿のままいつまでもリビングでうろつく父親――というのをあたしは知らない。


 そんなお兄ちゃんに、あたしはもっとだらしない――はしたない姿を見せようとしている。


 自室で、下着姿のまま小一時間過ごした。

 勉強したり、漫画を読んだり、いつも通りのことをしているのに、それが余計に辛い。

 最初、鏡の前でふざけてポーズを取っていたときのほうがずっと精神的にマシだった。


 別に、お腹周りとか二の腕とか無駄に脂肪がついていて見られて恥ずかしいとか、そういうのではない。

 発育も遅いってわけじゃないし、もう来年には高校生で、けっこう体つきも見られるようになってきたと思う。

 ああ、でもあれだな。バスケのせいか、脚がちょっと太めな気がするのは気になる。そんなにってわけじゃないけど、でも体重からすると脚は筋肉でしっかりして見えるかもしれない。


 ――お兄ちゃん、脚細い子好きだったらどうしよ。


 何日か訓練して、それでも下着も脱ぐということへの壁は厚いまま、ハードルも高くそびえ立っているようだった。


(下着姿でもいいんじゃない? ……だって下着姿だって十分恥ずかしいし……お兄ちゃんだって女の子の下着姿を見たら、きっとエッチな気分に……)


 大事なのは、お兄ちゃんから異性として見られるか――言ってしまえば性的に見てもらえるかということだった。なにも裸にこだわる必要はないんじゃないか。


 だけどここで妥協して、下着でもいいかと作戦を決行して、それで上手くいかなかったら――それなら次は裸で、と段階を踏むのもどうかと思う。


(わかんないけど……インパクトとか減るし……)


 やっぱり、最初の一回目だ。

 そこでお兄ちゃんから、『ただの妹』と思われてしまったら終わりである。


 ――終わり、なのかな。


 少しだけ違う。別になにもすべてが終わりだと思っているわけじゃない。


 だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんでもある。

 それでもあたしは、お兄ちゃんに、あたしを妹とだけ思ってほしくなかった。


 だから、最後に一回だけ、お兄ちゃんを試す。自分を試す。


 あたしは、下着を脱いだ。もちろん、まだ部屋の中だ。しかも万が一にも誰かが入ってきたら困るので、家に誰もいない時間を探して練習した。


 次に、お兄ちゃんの写真を用意して、それの前で裸になる。恥ずかしい、写真の前なのに、本当に見られているわけじゃないのに顔が真っ赤だ。


 一回下着姿に戻って練習し直す。何度か試して、大丈夫成ってから、また裸になる。写真の中のお兄ちゃんは、楽しそうに笑っている。もうちょっとくらいいやらしい顔を浮かべてくれたらいいのに。

 次に、お兄ちゃんがいる時間に、部屋で裸になってみた。

 鍵はかけられる。だけど、かけていない。

 思えば、昔からずっと鍵をかけた覚えはない。

 この家に来てすぐのころ、あたしが部屋にこもっていたときも、鍵はかけなかった。どうしてだろう。本当に一人きりになりたかったのなら、鍵をかければよかったのに。


 何度も練習して、大丈夫になった。

 ドアの向こうにはお兄ちゃんがいて、あたしは壁一枚挟んで全裸。


 イメトレもした。バスケの練習くらい、頑張った。最近、フリースローの成功率が上がって、顧問の先生が「佐志路部さしろべ、集中力上がったな? なにか練習しているのか?」って言われた。思い当たるのは、部屋で裸になっているくらだったらから「えっと、まあ……お兄ちゃんに付き合ってもらってて」と苦笑いで答えた。嘘ではない。

 それに、先生も「ああ、佐志路部兄か。あいつ、あんなに上手かったのに高校ではバスケやってないんだろ?」と複雑そうな顔になる。

 男子バスケの高等部の顧問が嘆いていたと知らさせる。でもあたしはお兄ちゃんがもうやる気ないのを知っているし、バスケをやっているとお兄ちゃんの人気が上がってしまうから、またやってほしいという気持ちもなかった。


 ただ中学の頃のお兄ちゃんは「俺はステフィン・カリーの生まれ変わりだ」と豪語していたし、ずいぶんとバスケに熱中していたから、あっさり辞めてしまったのは不思議だった。


 ともかく、あたしのシュート成功率が上がって、裸でも平気でいられるようになって、ついに作戦を決行した。


 部活のない日、早く家に帰ってきて、服を全部脱いだ。シャワーも浴びて、体は綺麗にした。

 お兄ちゃんを待つ。


 ――あれ、そういえば、裸で……えっと裸でどうすればいいんだっけ?


 お兄ちゃんにあたしの裸を見せる。

 それが目標だった。

 あたしの裸を見たお兄ちゃんがどんな反応を見せてくれるのか。それで、あたしは自分の気持ちに踏ん切りを付ける。


 だからえっと、見せるだけでいいのかな?

 とりあえず、あたしは裸で普通にしていれば良いのかな。

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