第21話 相合傘

「これって……相合傘?」


 わたしがなにげなく発した言葉に、水都は一瞬固まった。それから開いた傘を静かに閉じると、わたしに差しだした。


「ごめん! 迂闊でした。嫌だよね。傘、使って。僕は濡れても大丈夫だから」

「ええっ⁉︎ 水都が傘を使って。わたしは頑丈だから、濡れても風邪ひかない自信がある!」

「女の子を濡らすわけにはいかないよ。それに僕、昔より体力がついた。心配いらない」


 凛々しい表情と、毅然と言い切る口調。

 その昔、水都が母親に向かって「ボク、明日からこの幼稚園に通います。一人で来られます」とキリッとした表情で話したのと似ている。

 普段はおとなしくても、いざというときは頼もしくなる性格は変わっていないらしい。そのことに嬉しくなる。

 見上げる視線に気づいた水都が、わたしを見下ろして(なに?)と言いたげに眉根を寄せた。


「あ、ううん、なんでもない。水都の傘だもん。水都が使っていいよ」

「想像して。僕が傘を差すその横で、ゆらりちゃんはずぶ濡れ。他の人から、あの男冷たいって絶対に思われる」

「じゃあ、これも想像してみて。わたしが傘を差していて、水都はずぶ濡れ。あの女、傘に入れてあげたらいいのにって絶対に思われる」


 わたしと水都を顔を見合わせると、二人同時にぷっと吹きだした。


「一緒に入ろう」

「そうだね。相合傘するのが一番いいね」

「僕と相合傘するの、嫌じゃない?」

「なんで?」

「だって、僕のこと……嫌いだよね?」

「誰が?」

「ゆらりちゃんが」

「えぇーっ⁉︎」


 水都が差してくれた傘に入りながら、わたしたちは歩く。

 校内では、他生徒の視線が気になった。だから、教室から出たときから昇降口まで、わざと距離を開けて歩いた。

 けれど、歩くほどに学校から遠ざかっていく。しかも、グレー色の傘がわたしたちの顔を隠してくれる。

 誰にもきっと、気づかれない。そのことが、わたしの心を軽くさせる。昔みたいに、明るく笑っている自分がいる。


「嫌いだなんて思ったことないよ」

「そうなの?」

「うん。むしろ、わたしのほうがダメ人間」

「なんで? ゆらりちゃんのどこがダメなの?」

「だって……」


 この流れ。謝るのにちょうどいい。わたしは隣にいる水都を見上げると、「あのね、小二のとき……」と切りだした。

 水都は傘を落としそうになり、慌てて握り直した。焦った声が降ってくる。


「その話は、明日、僕から話す」

「今、言いたい」

「ダーメ! 明日!」

「なんで? 明日はラッキーデーとか?」

「そういうわけじゃないけど……。明日、会う口実がなくなるのはイヤなので……」


 意味がわからずに、キョトンとするわたし。水都は恥ずかしそうに額に手を置いた。


「休みの日に、会いたいです……」

「どうして?」

「私服姿で会うのって、特別な感じがする……って、ゆらりちゃん。意味、わかっていないよね?」

「うん。よくわかんない」


 水都が休みの日に、わたしに会いたがっていることはわかる。けれど、どうして会いたいのかわからない。普通に考えると、好きだからってなるのかもしれないけれど……その答えに自信はない。


 ボツボツボツ……。


 傘に雨が当たって、音を奏でる。傘の露先から、雫がポタポタと垂れている。

 傘に当たる雨音は、あることを思い出させた。そのことに思いを馳せていると、水都が口を開いた。


「幼稚園の頃。先生がホースで水攻撃したことがあって、傘の中に逃げこんだよね。覚えていないと思うけど……」

「覚えているよ! わたしもね、同じことを思い出していた。楽しかったよね!」


 水都が驚いたように口をポカンと開け、それから嬉しそうに微笑んだ。


「覚えていたんだ……。うん、楽しかった」


 それからわたしたちは、幼い日の思い出を語り合った。わたしの楽しい思い出の中には水都がいて、水都の楽しい思い出の中にはわたしがいた。

 楽しいだけじゃない。運動会のリレーで転んで悔しいときも、クラスで飼っていたカメが死んで悲しいときも、口の悪い男子にからかわれて嫌な思いをしたときも、いつだって、わたしの隣には水都がいた。

 わたしたちはいつも一緒だった。そのことがかえって、離れていた時間を浮き上がらせる。

 胸を差すキリリっとした切なさを隠すように、わたしは明るい声をだした。


「そうだ! 大切な話をするのを忘れていた。ブリトー、すごく美味しかった。妹も弟も気に入って、また食べたいって喜んでいた。ありがとう」

「良かった。ゆらりちゃんはなにを食べたの?」

「ハム&チーズだよ。美味しかった」

「僕もハム&チーズ。チーズが三種類使われているんだね」

「ハム&チーズが、一番人気があるんだよ。あ……っ」

「なに?」

 

 失敗したことに気づいて、「あー……っ!」と叫んで、顔の半分を右手で覆う。


「ハム&チーズにしたんだけど、違うのを食べればよかった。マルゲリータにしようか、迷ったんだよね。でも一番人気のハム&チーズに心引かれて、つい……。マルゲリータにしたら、水都が今度食べるときの参考になったのに!」


「んんーっ!」と唸るわたしに、水都はクスクスと笑った。


「ブリトーの品評会をしたかったわけじゃないから、気にしないで」

「そうなの?」

「うん。話すきっかけがほしくて、食べた感想を言い合おうって言っただけだから」

「そうなんだ……」


 話すきっかけを作ってくれた水都。胸に、甘酸っぱいものが広がっていく。

 水都は意外と積極的。小さいときもそうだった。結婚しようと言ったり、誕生日会にわたしだけ呼んでくれたり。

 子供のときはどうも思わなかったけれど、今は些細なことでもドギマギしてしまう。


 わたしのアパートの近くで、別れることにした。水都は家まで送っていくと言い張ったけれど、近所の小学生から幽霊アパートと呼ばれている建物を見られたくはない。


「右肩が濡れているよ。自分の傘なんだから、遠慮しなくてよかったのに」

「ゆらりちゃんこそ、左肩が濡れている。傘の中にもっと入ってくれたらよかったのに。……今度、相合傘をするときは、もっと近づこう」


 感情がごちゃ混ぜになって、泣きたくなる。気をもたせることを言わないでほしい。

 水都はわたしを好きなんじゃないかって、思ってしまう──……。




 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る