第255話 【在宅勤務】すずしげ水音動画



(えーっと、あの…………局長? 局長ー?)


「んん、っ…………んむぅぅぅ……」


(アッ、これはだめだ。本気マジ寝入ってますわコレ)




 ふわふわと、ゆらゆらと、なんともいえない浮遊感。

 心地よいまどろみに沈む中……可愛らしいだれかの声が聞こえた気がした。


 もぞもぞと身体を動かせば、揺れはゆらゆらと大きくなる。

 いつものベッドや畳なんかとは違う、独特なその感触に……おれの中のかしこい部分が、睡眠中でもお利口に働き始める。



 えーっと……まずどうやら、おれは今おひるねをしているらしい。……もとい、思考が覚醒に向かっているので『おひるねをしていた』というのが正しいか。

 そしてどうやら、そのおひるねをしていた場所というのが…………なんていうか、ふわふわするところだ。

 とてもふわふわしている上、肌触りはもこもこだ。これは確か、おれのお気に入りブランケットの感触。……ということは、やっぱりいつものベッドなのだろうか。



(あー……むにゃむにゃだって。本当に言うんだぁ……寝息拾えないの残念だよなぁ)


「…………んぅー?」



 ラニの声が聞こえるので、たぶん間違いない。いつもどおりのきもちよいベッドでの、気持ち良いまどろみのひととき。

 頬を撫でる風の流れも、耳をくすぐる水の音も、気持ちいい眠りを後押ししていたようだ。




 うん……? 風?


 …………水の、音?







(………………ねぇ、ラニ)


(ぉお? 目が覚めた? おかえりノワ)


(いつから…………何分くらい、ねてた?)


(ハンモックにもぐりこんで、五分後くらいかな。そこからだいたい三十分ちょっとくらい)


(うそぉ!? まだ何もしてないのに……!)


(撮れ高はバッチリだったから、大丈夫だよ。そろそろ起きる?)


(? う、うん? ……うん、そうする)



 身体はたぬき寝入りを継続しつつ、思念テレパスで相棒と相談を済ませ……おれはあたかも『今目が覚めましたよ』といったていで、ゆっくりと起床を装うことにする。

 まぁ、もともとこの動画は環境音……つまりは水音がメインなので、おれが何もしていなくとも問題ないのだ。


 だから……なにもはずかしいことはない。




「んぅー…………」



 もぞもぞと身じろぎして、のっそりと起き上がる。ハンモックの上は心地よくも不安定でなかなかふんばりが効かないが、身体をうまくひねってバランスを取る。

 今度は乗るときのような無様は晒さず、踏み台をうまく使って靴を履き、おっかなびっくり地面に降りる。

 身体を伸ばして調子を整え、つい先程までおれに安眠を提供してくれたハンモックを見下ろす。ふと思うことがあり、今度はおしりをハンモックに委ね、身体を横向きに座ってみる。



「おぉー…………」


(あっ、今の声拾っちゃったんじゃない?)


(えっまじ?)



 ……まぁいいや。そんなこと気にならないくらい、今のおれは能天気なのだ。

 なぜならこの……ハンモックに横向きに座って足をぷらぷらさせるやつ。暫定的にハンモックチェアと呼称するが、これがまたいい感じに気持ちいいのだ。


 というわけで、お昼寝から目覚めてからしばらくを、ハンモックチェアでゆらゆらと過ごす。




(あはぁー…………きもち……)


(ねぇノワ、おなかすかない?)


(んう……ちょっとおなかすいた)


(んふふ。……それはよかった)


(…………?)




 ゆらゆらとハンモックのロッキングでリラックスしていたおれの聴覚が、おれとラニ以外の第三者の接近を知覚する。

 なにごとか、どういうことかとラニカメラのほうへ視線を向けると……おれの視線の先にたたずむ相棒は、いたずらっぽい表情を浮かべたまま。


 やがてその第三者が視界内に姿を表し……その手に提げられた小さな風呂敷包と、それを携えるかわいい和服美少女の姿を、おれの視覚と意識が捉える。



「……っ! …………っ!」


(アッ…………かわいい)


(わかる)



 おれの姿を見つけ、花が綻ぶような笑みを浮かべた霧衣きりえちゃんは……おれに声をかけようとしたそのお口を慌てて押さえ、代わりに控えめに手を振ってくれる。



(しずかにね、って伝えてあるから。……おりこうさんだ)


(なるほど…………かわいい)


(わかる)



 いったいいつのまに言い含めていたのだろうか……ラニの言いつけどおり、声や物音を立てないように近づいてくる霧衣きりえちゃん。小包を提げたまま軽々と斜面を飛び降り、カメラの後方に音もなく着地する。

 するとラニも【蔵】を開き、なにかを霧衣きりえちゃんに手渡す。それを受け取り抱えた霧衣きりえちゃんはこれまた危なげの無い足取りで、石や木の根が蔓延る地面を草履で悠々と歩んでくる。


 やがてその姿がカメラの撮影範囲に入り、環境音動画に霧衣きりえちゃんが姿を表す。……あっこれは永久保存版では。


 それはそうと、いったいどうしたんだろう。……もしかすると、おれの寝落ち気味なお昼寝で心配を掛けてしまったのかもしれない。

 何の連絡も入れなかったのは……さすがに申し訳なかったか。




「わかめさまっ、霧衣きりえが参りましたっ」


「アッ、オッ……ど、どしたのきりえちゃん。おれまた何か迷惑かけちゃってた?」


「い、いえっ、決してそのようなことはございませぬ! ……あのっ、僭越ながら……おひるごはんをお持ち致しました」



 環境音としての水音にかき消されるくらいの、集音マイクに届かないくらいの、お耳がこそばゆいひそひそとした小声。……それこそ内緒話のようなウィスパーボイスに、ちょっと『くらっ』としそうになる。ぐぐぐ……堪えろおれ。こらえた。

 冷静さをわずかに取り戻したおれの思考が、今しがたの霧衣きりえちゃんの発言……『おひるごはん』を認識し、あわてて現在時刻を確認する。


 スマホの画面に表示される現在時刻は、十一時半。……おぉ、見事におひるどきだ。

 どうやら霧衣きりえちゃんはおひるごはんをどうするのか、おれに確認を取りに来てくれたようだ。……この撮影、かなり突発的だったからなぁ。なかなか戻ってこないおれにしびれを切らしてしまったのだろう。申し訳ないことをしてしまった。




「ふふっ。……すこしだけ、お待ちくださいませ。ただ今お味噌汁をご用意させて頂きまする」


「………………??」


「温め直すだけにございますゆえ、しばしお待ちくださいませ」



 その言葉と共に霧衣ちゃんが取り出したのは、先程ラニに手渡された包み……アウトドア用キッチンツールの数々。小さな折り畳みテーブルふたつと、ガスバーナーと、金属カップと、スプーン等だ。

 テーブルのひとつにキッチンツール類を広げ、もうひとつの上で風呂敷包みを解く。

 杜若色の布に包まれたその中身は……小さく握られたおにぎりが四つと、鮮やかな黄色がおいしそうなだし巻き玉子のタッパーと、汁物が封じられた密閉容器と、おわんが二つ。



 シンプルながら美味しそうな……霧衣きりえちゃんの手作りおひるごはん。


 おれは静かに、しかしそのテンションは爆アゲだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る