第122話 【状況整理】どうにかしないと……
とんとんとんとん、と……小気味の良い音が連なって、どこか遠くで鳴り響いている。
鋭敏な聴覚が外からの音信号を拾い、それを受けておれの頭が少しずつ働き始め……とりあえず現状が睡眠状態にあったということ、今まさに覚醒しようとしていることに、おぼろげながら思考が纏まり始める。
「…………ぇ? …………んんぅ?」
いつもの寝間着とは違う肌触りの……なんだかさらさらすべすべした肌触りの、寝間着……ではない何かを身に付けていることに気付く。
あまり回らない思考のままのっそりと上体を起こし、そのまま漫然と視線を下に下ろし……
「……………………はっ!?」
大胆に着崩れ、はだけ、皺の寄ってしまった巫女装束に……言葉を失う。
頭の中を『仕事』『しわ』『クリーニング』『着替え』などという単語が飛び交うが……そこまできて自分が現在自宅の自室、まごうことなき自分用の寝床で眠っていたことに、ようやっと気付く。
ローテーブル代わりのコタツテーブル、壁際には液晶テレビ。ベランダに続く掃き出し窓には、淡いブルーの遮光カーテン。
……何度となく目にしてきた、非常に見慣れた室内だ。
(…………そっか。無事終わったんだっけ)
ここ数日の間おれの思考の大半を占めていた、年を跨いでの一大企画。生まれたて弱小放送局が手にした、初めての企業案件。
その結果思いもしなかった御方と顔を繋ぎ、思いもしなかった縁を紡ぐこととなったことまで……それらすべてが無事に終わったことを、やっと頭が思い出す。
そして……今まさに聞こえてくる、この音。それもつまりはそういうことなんだろうと、頭の覚醒にともない朧気ながら理解し始める。
(『嫁』でも構わんのだがな、って…………ああ、もおおお!)
そうだ、昨日は何も考える余裕が無いまま沈んでしまったが……本来これは非常にゆゆしき事態である。
……だって、だって、おれはもともと三十代男性、当然嫁なし彼女なし配偶者なしの独身貴族……今だから言っちゃうけどこの歳まで異性とそういうことしたことの無い、俗に言うところの『魔法使い』だったのだ!
まあ今では名実ともに『魔法使い』なんだけどな。がっはっは。……なにわろてんねん。
なし崩し的にかわいい妖精ラニとの同居が始まったとはいえ、彼女だって生来の性別は男だ(と聞いている)し、おまけに非常に小柄な妖精さんである。
性自認が男であるおれだが、そこは人間サイズとは明らかに縮尺が異なる、小さな小さな女の子だ。
都合の良い解釈を自分自身に言い聞かせ自己暗示をかけ続け、妖精さんは
だが……そこへきて。
この堂々たる狗耳美少女
やむにやまれぬ事情があったとはいえ、世間体をもとに考えれば誰がどう見たってアウトだろう。見るからに幼げな、十三か十四そこらの女の子を自宅に連れ込んだ上で……お嫁さんの真似事をさせているというのだ。
控えめに言って事案以外の何モノでもない。
しかもしかも。戸籍上は養子、当然血は繋がっていない。おまけにあろうことか親(のような神様)公認で『嫁にしてもいいぞ』とか言われちゃってる始末。
しかもたぶんだけど……霧衣ちゃん本人も、どうやらまんざらじゃない様子。
おれだって創作者の端くれ、年二回の祭典と虎とメロンと薄い本の収集をそこはかとなく愛する男だ。
あえて言おう。これなんてエロゲ。
『す――――。ボクに――――から、――っぱり――――思うよ』
『き、恐縮に―――。――――ワカメ様に―――、で――――する』
扉の向こうから聞こえてくる可愛らしい声。世間知らずで純真無垢でいたいけな美少女、ひとつ屋根の下。何も起きないはずがなく。いやいやいやいや。
……諦めよう。いつまでも目を背け続けるなんて、できるわけがない。多少謀られた部分があることは否定できないが、おれだってあの子を助けようと……あの子の人生を背負って生きていこうと決めたのだ。
男なら、自分の言葉に責任は持たないとな。男なら。……男なら!
「最低限……きりえちゃんの自室……確保したげないとなぁ」
しわしわになってしまった巫女装束を脱ぎながら、直近まずすべきことについて考えを纏める。彼女の生活環境を整えること、それは最優先で行うべきだろう。
あられもない下着姿になりながら、脱ぎ去った鮮やかな緋袴を手に取る。巫女服って洗濯機で洗っても大丈夫なのか、なんて妙に俗っぽいことが気になってしまう。…………ていうか着たまま帰ってきちゃったけど、そもそもこれマズかったんじゃない?
ま、まぁいいか……そのあたりはまた今度チカマさんに聞いてみよう。REINで。
巫女装束のことは置いといて……そう、とりあえずは
現状この物件の間取りは1LDK……個室が一部屋とダイニング部分の、部屋数でいうと二つしか存在しない。
しかもそのうちダイニング部分はほぼ完全にスタジオと化しており、居住性は皆無。おまけにおれの部屋からトイレにいくにはそのダイニングを通るほかなく、そんな状況では当然プライバシーなんて確保できるはずもない。
心が休まることもないだろうし、おちおち着替えだって出来ないだろう。
年頃の女の子にとって、プライベートな空間が確保できないというのは相当のストレスだろう。大切に大切に育てられてきた箱入りの美少女であればなおさらだ。
劣悪な環境で生活させて、フツノさまやリョウエイさんたちの信頼を裏切るわけにはいかないし……それがなくたって、
……最低限、新しい物件を探すしかないだろうな。個室が二つ以上とスタジオスペースの確保、となると2LDKかそれ以上。
当然、いろんな問題が沸いて出てくることだろう。物件の契約にまつわる諸費用に、荷造りや引っ越しや荷ほどきの時間と手間。その間はスタジオも使えなくなるだろうし、となると前もって動画を撮り貯め編集してストックを確保しておく必要がある。
幸いというべきかおれの業態はほぼ在宅勤務、出勤経路諸々は考慮する必要がない。都市部から大きく離れた地方であれば、いい物件も見つかるかもしれない。
一難去ってまた一難、考えなきゃいけないことは盛り沢山だ。
だが……泣き言は言ってられない。
やるって決めた。おれが決めたんだ。
疲労のせいか、はたまた魔力を大幅に消耗したせいか。今朝はなんだかいつもよりシャキッとしない。……ねぼけてるというか、いまいち思考が纏まらない。
おれは眠気を飛ばすべく、頬をぺちんと叩いて気合いを入れ……とりあえず今日という一日をスタートさせるべく、さっきからいいにおいを漂わせているキッチンへとふらふら向かっていった。
可愛い同居人二人に指摘されるまで、自分自身のあられもない姿に思考が及ばなかったあたり……おれのいっぱいいっぱいさが解っていただけたのではないだろうか。
自宅でよかった。マジよかった。
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