第104話 【報告配信】オールドラングサイン
今回、例によって急遽披露することとなった(というスタンスの)民謡は……数年前にヨーロッパ方面での某会議で話題になったスコットランド民謡、その名も『オールドラング・サイン』である。
民謡の例に漏れずその発祥はなかなか古く、年始や誕生日や披露宴など……どちらかというとおめでたい場面で歌われることが多い。
……そんな曲を、組織から脱退するお別れのタイミングで斉唱して見送るとか……なんというか…………うん、気にしないことにしよう。
ちなみにこの曲、日本語の歌詞を宛てたものが存在するのだが……こちらは宛てられた歌詞の内容もあってか、どちらかというと別れの場面で歌われることが多い。そのため先述のニュースを目にした日本国民の何割かは――かくいうおれも、今回こうして予習するまでは――そこに込められた盛大な皮肉に気づくことができなかった……らしい。
ちなみにこの日本語版『オールドラング・サイン』、曲名は『蛍の光』である。みんなしってるね。
前回もそうだったが……おれが歌い始めた直後(正確には通信ラグを挟んでちょっと後)、コメント欄のスクロールが目に見えて停止するのが……変かもしれないが、ちょっと嬉しい。
コメントを止めてほしいわけではもちろん無くって、かといってべつにコメントを盛大に加速してほしいっていうわけでも無くって。正直どっちも嬉しいし、そもそもこの配信を見てくれる時点で嬉しい。
コメントが一瞬止まる視聴者さんは、おれの歌声を聞くことに集中してくれてるんだなって嬉しくなるし……一瞬のフリーズからすぐさま復帰して怒濤の勢いでコメントを書き込む人は、感想を一刻も早く共有しようとしてくれているんだと嬉しくなる。
語彙力を尽くして『すき』を表現しようとしてくれるコメントにも嬉しくなるし、逆に語彙力を喪失してまでも『すき』を伝えようとしてくれるコメント(というか文字)でも当然嬉しくなる。
そんな視聴者さんの反応すべてに激励を受けて、おれはおれを好いてくれるすべての視聴者さんを楽しませるため、この歌声に全力を込める。
……決しておれがチョロいわけじゃないぞ。
例によってちゃっかり薄目を開けてコメントの流れを把握しながら、おれはとりあえず丸々一曲を歌いきる。例によって日本語ではない歌詞なので正否がわかりにくくはあるのだが……この若芽ちゃんの語学力と頭脳をもってすれば、仮に本場の方々が聞いたとしても怒られることの無い出来映えのはずだ。
世界ランキング二桁の実力は伊達じゃないのだ。ふふん。
「…………ふぅ。……いかがですうわぁ!? びっくりした! え、えっと……へへ。すごかった? そう?」
「すごかった。ボクきめた。ノワのおよめさんになる」
「白谷さん落ち着いて。正気に戻って。……えっと、ちなみに解説っていうか
「尊い……ノワのおうた尊い……」
ちょっと白谷さんがつかいものにならなくなってしまったので、おれ一人だけども講義開始といこう。
白の壁紙に黒板らしきものを投影し、即席の教室風景を作り出す。隅っこにはピアノ(らしきものの絵)も映り込ませ、なんちゃって音楽教室の完成である。
「はいそれじゃあ……授業を始めます。……なんちゃって」
背景は音楽室、しかし教師役は巫女服エルフ……混沌とした情景に一瞬我に返るが、
「こちらのオールドラング・サイン、歌詞の内容をざっくりと説明しますと……『久しぶりに再会した古くからの知人と、酒を呑み交わしながら昔話に興じる』といった内容ですね。『こうして顔を合わせるとあの頃を思い出す。野山を駆け回り草木を探した。日が暮れるまで遊び回った。そうした記憶もどんどん薄れてしまうことだろう。だが、だからこそ今このときこそは、この再会にこの一杯を捧げよう』といったようなニュアンスです。……あっ、正確な訳じゃないですよ! 概ねの方向性は合っているはずですが、多分にわたしの解釈を含みます。しかし……良いものですね、男同士の昔馴染み。変わらぬ友情、共通の話題……二度と戻らぬあの日に乾杯。…………いや、べつに男同士ってわけでもないのか。男女とか女女の可能性もあるんですね。……まぁべつにそこはどうでもいいです」
「この解釈のもととなった歌詞は、ロバート・バーンズさんによって西暦千七百年代後半に綴られたもの、だと言われています。スコットランド人の詩人さんですね。その影響力はすさまじく……ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、フランツ・ジョゼフ・ハイドン、ロベールト・アレクサンダー・シューマンら歴史的作曲家さんたちも、この曲をそれぞれアレンジして編曲したといわれています」
「この曲のおもしろいところはですね……日本に輸入されて顔と名前と仕事さえも変えちゃったところもそうなんですが、その作りもそこはかとなく日本風なんですよね。メロディラインの音階をひとつひとつ見てみるとですね…………なんと『ドレミファソラシ』の中の、ある五つの音しか使っていないんですね。『ドレファソラ』の五つの音階のみで構成されていまして、これは雅楽を始めとする日本の楽曲で多い音階なんですね」
「この五音で奏でられる音階、通称『ヨナ抜き長音階』と呼ばれます。
「これはべつに『日本の音階がスコットランドに輸入された!』……というわけでは無くて、あくまで偶然の一致らしいのですが……逆に、日本で昔から親しまれていた『ヨナ抜き長音階』と偶然にも一致したからこそ、スコットランド民謡であるオールドラング・サイン……あえて言い換えると『蛍の光』が、日本でも広く親しまれることとなったんでしょうね」
「なんでもこの『ヨナ抜き長音階』……というかそもそもどうしてこの
「ただ『絶対に
口頭説明と板書、それに身振り手振りを交えながら、ころころと表情を変えつつ
リアルタイムの生配信ならでは、今や聴講生と化した視聴者さんたちのリアクションもまたリアルタイムで送られてくるので、これはなかなか楽しい。……音楽教師、やっていてクセになりそうだ。
そうだ……教師といえば。学校といえば。
せっかくだし、このオールドラング・サインを取り上げた繋がりとして……日本語版の『蛍の光』も、ついでだから取り上げておこうか。何がとは言わないが時期的にもそういうシーズンな気がしてきたし、特別授業も悪くないだろう。……まぁ今は十二月末なんですが!!
歌詞と言語は別とはいえ、メロディラインは同じものだ。アカペラであれば尚のこと、変わり映えがしないと呆れられるかとも思ったが……よく訓練された視聴者もとい音楽科講義の聴講生諸君は、誰一人不満をこぼすこと無く、全面的に期待してくれるようだった。
残業上等、居残り授業上等。
おうたのじかん、もうすこしだけ続くんだよ!
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