第3話 【事前準備】仮想配信者計画_03




 一体どれだけの時間、呆然としていたのだろうか。

 気付いたときには雨も風も雷も、まるでそんな荒天なんか無かったとばかりに消え去っていた。


 なんだか意識が朦朧とするような、寝起き直後のような……なんともいえないふわふわとした感覚。……まさかベランダで立ったまま寝ていたとでも言うのだろうか。

 ぼうっと見上げていた空はいつの間にか曇天のものとは違う理由で暗く染まり、見下ろす家々の窓からが電灯の灯りが漏れる。どこからともなく美味しそうな匂いが漂い始め、どうやら夕食の支度の時間のようだ。


 ……というか、日も落ちたのに部屋着のままだったか。雨によるものとは違う理由で肌寒さを覚えるのも、そりゃあ仕方のないことだろう。



 ぶるりと身を震わせ、とりあえず部屋に戻ろうと踵を返す。

 一歩目を踏み出そうとしたところで足に引っ掛かるに足を取られ、明けっ放しだった掃き出し窓から跳び込むように……顔面から倒れ込んだ。





「おブェっ!」




 我ながら甲高い……どこかおもしろい悲鳴に笑いそうになるが、座布団越しとはいえ強かに打ちつけたデコと首が非常に痛む。

 脳を揺さ振られたのかぐわんぐわんと揺れる視界の中、下手をすれば死んでいたかもしれない転倒事故の原因を探るべく、足に絡まるへ意識を向ける。



 めまいが治まっていく中、日も沈み薄暗いベランダと部屋との境目で見つけた原因それは……非常に見覚えのあるもののように見えた。



 部屋着の下と、下着。


 スウェットのズボンと、ボクサータイプのパンツだ。




「……あ? 何だこ…………ん??」





 いや待て。待て待て待て。



 他人のお下がりでも無い、自分の体格に丁度合っていた筈の部屋着ズボンが……すとんと足元に落ちていた。

 それはまだ良い。訳解らない謎だらけでちっとも良くないが……まだ良い。



 ……問題はそこじゃない。

 もっともっとヤバい問題が、にある。




「あ…………ぁあ……? え、ちょ……!? は!?」




 やっぱり聞き間違いでは無かった。気のせいでは無かった。慣れ親しんだ野太い声の代わりに俺の意思を代弁するのは……柔らかく、可愛らしく、幼げな――変声ソフトの調律でこれでもかと、しかし一向に飽きることなく耳にしていた――『看板娘』たる仮想配信者ちゃんの声。


 3Dモデル製作の傍ら、気分転換と自身の鼓舞のために幾度となく聞いた声だ。聞き間違える筈が無い。




「!! そうだ!! モデルは!?」




 尚も足に絡まろうとする――ぴったりなサイズの筈なのに何故かぶかぶかに見える――部屋着と下着を纏めて脱ぎ捨て、ばたばたと部屋の中へと飛び込む。なんだか視点の高さがおかしい気がするがとりあえず無理やり無視する。何よりも大切な『看板娘』の3Dアバターを確認すべく、スタンバイ状態の愛機PCを叩き起こそうとキーボードに手を伸ばし――


 真っ黒なままの画面を一瞥し、に顔が引き攣り、すぐさま手を引っ込め愛機PCを素通りする。



 ドアを開け、廊下を進み、目指す場所は洗面所。

 もう一枚ドアを開けて洗面台、そこにあるモノへ……自らの姿を寸分の狂いなく映す鏡へと、一も二も無くかじりつく。







「な……なんじゃこれェェェエ!?!?」





 情け容赦無く真実を映し出す鏡に、見ても小柄で可愛らしい女の子でしかない姿に……決して少なくない時間、呆然と佇んでいた。








 ………………………………



 ………………………………








 どれくらいの時間、呆然としていたのだろうか。


 ……ふと。

 可愛らしく尖った耳が、遠く響く小さな電子音を捉える。




「……ッッ!!? やっべ!」




 今日の……に鳴るようセットしておいた、りんご印タブレットのアラーム。それが示すものに思い至り、色白の肌から『さーっ』と血の気が引いていく。

 頭では何も考えられないまま、それでも初配信を成功させるため……危機感を覚えた身体は、機材を次々立ち上げていく。

 自分の身体が半ば自動で動くような得体の知れない感覚にありながら、あまりにも理解し難い現実に思考が追いつかない。柔らかそうな小さな手が大きなマウスを握りしめ、渾身の3Dアバターモデルが消失した以外は準備万端な愛機PCをてきぱきと操作し、混乱する頭を置き去りに着々と準備が整えられていく。



 あれよあれよという間に全ての準備が整ってしまい、現在時刻は二十時を少し回ったところだ。

 『やるべきこと』を忠実に片付けているなこの身体は、未だに事態を受け入れられていない思考を完全に放置し、ご丁寧にSNSつぶやいたーでの配信告知まで済ませている始末。


 既にネットの波に乗り世界中を駆け巡っているその『つぶやき』は、先週投稿された告知動画と同様のテンション。あざとくも可愛らしい仮想配信者UR-キャスター見習い『木乃・若芽ちゃん』の言葉として紡がれ、見た者の何人かは今夜この後の配信を心待ちにしてくれることだろう。

 まさか『木乃・若芽ちゃん』の身に想像を絶するトラブルが舞い込んでいようとは……他でもない『若芽ちゃん』本人が絶望に囚われ現実逃避に走っていようなどとは、思ってもみないだろう。





(……あっ、『神』RT。……もうだめだ)




 他でもない『若芽ちゃん』の生みの親、自分はもとより数多の民から『神』と崇められる絵師イラストレーター先生が、告知のつぶやきを手ずから拡散RTしてくれた。それを皮切りに告知は加速度的に拡散していき、みるみるうちに後に引けなくなってしまった。

 ……いや、それは違うだろう。紛れもない善意をもって接してくれる『神』の所為にするなんて、恥知らずにも程がある。


 それに。この『仮想配信者UR-キャスター』計画に乗り出した時点で、もとより退路など無い。告知通りに今日配信を始められなければ……逃れられやしないの目処は、どんどん薄れていくのだ。

 今でこそ神絵師イラストレーター様効果で注目を集めているが、この注目は長続きしない。風化する前に次の起爆剤を投下出来なければ、このご時世数多あまた溢れる仮想配信者達に埋もれて沈んでいくばかりだろう。



 初期投資を回収する目処も立たないまま……観客ギャラリーのまばらな生放送枠で、失意とともに『引退』を表明する。

 数週間、数カ月後には話題にさえ上らなくなり、一年も経てば『若芽ちゃん』が存在した痕跡さえ……殆ど残らず消え失せるだろう。






(……それは……






 そうだ、嫌だ。




 本気で打ち込んだ創作物さえ、世に送り出せずに消え失せてしまうことが。

 今はまだデータの塊に過ぎない我が子に、命を吹き込んでやれないことが。

 声を、動きを、表情を、歴史を、喜びを与えてやることが出来ないことが。

 皆に愛されるキャラクターとして、生を与えてやることが出来ないことが。



 『木乃・若芽』という可愛い我が娘を、このまま死なせてしまうことが。

 それは……






 運命の金曜日。デジタル時計の表記は、二十時二十分。


 未だ後ろ向きだったおれの思考と意思は……覚悟を決めた。



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