第8話 離脱

 マリーベルが所属している冒険者の店に戻った時、ヘンリーは1階のカウンター近くのテーブルに着いて、気味の悪い笑顔を見せていた。

 マリーベルは真っ直ぐヘンリーの下に歩み寄って、彼を問い詰めた。

「どういうつもりなの」

「何のことだ? それよりも良かったな。もう少しで極悪3人組に騙されるところだったんだぞ、俺に感謝しろよ。これで分かっただろう。お前には俺しかいないってな」

 これでは自分が悪評を流したと自白したのも同然だ。


「いいえ。はっきり分かったのは、そんな事じゃあないわ。

 逆にあなたなんか存在しないという事がはっきり分かったわ」

「何だと?」

「私の心の中には、あなたへの気持ちは、もうこれっぽっちも存在していないってことよ」

「はッ! だったらどうするってんだ。お前にはもう俺しかいないんだぞ」


(どうするか、ですって? そんなことも分からないの? この男はこんなにも愚かだったの?)

 マリーベルはそう思い、そして当然の答えを告げた。

「あなたのパーティから抜けさせてもらいます。今後あなたと一切かかわる気はありません」

 マリーベルはそう言うと、既に首からはずして手に持っていたペンダントを投げ捨てた。それは、少し前にヘンリーから貰ったものだ。


 ヘンリーは目を大きく見開いた、なにやら驚いているらしい。

「な、何を言っている? ば、馬鹿なことを言うな?! パーティを抜けてどうするんだ。

 お前を守ってやる奴は俺しかいないんだ。俺から離れたら、誰もお前を守ってくれないんだぞ!」

「あなたに守られるくらいなら死んだ方がましよ!!」

 マリーベルはついにそう叫んだ。


 店内に居た全ての冒険者がマリーベルとヘンリーに注目していた。

 店主も奥から顔を出して来ている。

 2階からも何人もの冒険者が降りて来た。

 その中には、ガズンを見舞っていたらしいヘンリーのパーティメンバー達もいた。


「おい、冷静になれマリー」

「私を愛称なんかで呼ばないで」

「だから、冷静になれって。俺と別れたらお前は本当に生きていけないぞ。俺と一緒ならずっと守ってやる」

 ヘンリーはそう言って立ち上がると、マリーベルの方に近寄ろうとした。


「近寄らないで。虫唾が走る。あなたと同じパーティで活動するくらいなら、一人で冒険をして死んだ方がましよ。

 あなたと共に生きるくらいなら、オークに犯されて食い殺される方を選ぶわ!」

 マリーベルはそう言い放つと、店主の方を見て言葉を続けた。


「ヘンリーのパーティから抜けます。

 すみませんがこの店の登録も消しておいて下さい。

 部屋も引き払います。前払い金の返金は必要ありません。

 代わりに部屋に残して置くものの処分をお願いします。

 他に何か必要な手続きはありますか?」

「い、いや、必要ない。あんたの気持ちは良く分かったよ。あんたの言うとおりにしておく」

 店主はそう答えた。


「わかりました。今までありがとうございました」

 そう言って店主に頭を下げると、マリーベルはショックの余り動きを止めてしまったヘンリーを無視して2階に上がった。

 途中でパーティメンバー達にも「今までありがとうございました」と言って頭を下げた。

「お、おお、こちらこそ」辛うじてケントがそう答えた。

 アニスとグラックスは言葉もなかった。


 ほんの数分でマリーベルは2階から降りてきた。さほど大きくもない荷物袋を持って来ている。荷物はそれだけだ。

 そのまま店を出て行こうとするマリーベルの前にヘンリーが立ちはだかった。


「ふざけるな、誰が行かせるか。お前はここにいるんだ」

「こっちを向いてしゃべらないで、気持ちが悪い。あなたなんかに指図を受ける覚えはありません」

「何だと貴様!」

 そう言ってヘンリーはマリーベルを平手打ちした。

 だが、マリーベルは足に力を入れてその衝撃に耐え、今度は倒れなかった。

 彼女は店長の方を向いて言った。


「この店では、所属する冒険者が無関係の一般市民に暴力を振るうのを見過ごすんですか」

「いいや、そんな事はない。

 止めるんだ、ヘンリー。その人の邪魔をするな。冒険者資格を抹消して悪逆冒険者として官憲に訴えるぞ」


 その声を聞いて動かなくなったヘンリーの横を通りすぎて店の外に出ると、マリーベルは振り返って告げた。

「今起こったことは私の方から官憲に訴えます。もしも私が殺されたら犯人はこの店に属するヘンリーという冒険者だということも伝えておきます。

 ひょっとすると皆さんにも証言してもらうことになるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」

 そしてその後は一度も振り返らずに去って行った。




 マリーベルはともかく新しい宿を決めた。

 そして今後の事を考えた。

(とにかく、何としてでも皆さんの悪評を止めないと……)

 そう思って具体的なことを考えようとするが、流れ出る涙を止めることが出来なかった。

 とりあえず落ち着いたことで、いろいろな感情が溢れ出てしまったのだ。


 そうこうしているうちに、マリーベルを訪ねる者があった。

 マイラたち3人だった。

 マリーベルは驚喜して直ぐに部屋に迎え入れた。とにかく彼女達に謝りたかったからだ。


 だが、マリーベルが謝る前にマイラが頭を下げた。

「すまない。あなたが会いに来てくれた時面会を断ったのは私の一存だった。誤りだったと思う」

「そんな、とんでもない。謝るのは私の方です。皆さんをこんなことに巻き込んでしまって、本当にすみませんでした」

 お互いが深々と頭を下げあい、それからまずマイラが事情を説明し始めた。


「私は、はっきり言えば面倒ごとに巻き込まれるべきじゃあないと思った。

 冒険者稼業は生易しいものじゃあない。死と隣り合わせの危険な仕事だ。ただでさえそうなのだから、何かの拍子に足元をすくわれる様な危険は少しでも回避するべきだ。

 だから厄介事は出来るだけ避けるべきだと思った。それであなたと接触しないようにしようと思ったんだ。

 だが、レミに怒られてしまったよ。間違っていると。レミは今回の件の事情を調べてくれていたんだ」


「そうよ。マリーさんがこれ以上辛い目に会うなんて、絶対に間違ってる。

 だって、今までずっと辛い目に会っていたんだから。こんなのおかしいよ。マリーさんは全然悪くないじゃない。絶対におかしいよ」

 レミはそう言うと泣き始めてしまった。


 レミは比較的短期間の内に、自分達への悪評の出所から、その背景。そして、マリーベルの不遇な有様すら調べ上げていたようだ。

 ヘンリーのマリーベルへの不当な仕打ちは、公衆の面前でも割と平気で行われていたので、調べるのもそれほど難しくなかったのだろう。


 エイシアが更に話しを続けた。

「それから、私達が今日ここに来た理由はもうひとつあります。私にハイファ様の神託が下ったのです」

「神託、ですか?」

 マリーベルはさすがに驚いた。


 世界を形作った神々は、神話の時代の終わりに神々の戦を引き起こした末、滅びたり、異なる空間へと姿を消したりしており、今や地上に干渉する力をほとんどなくしている。出来る事は神聖魔法の使用を許可する事と稀に神託を下す事くらいだ。

 そして、その神託もめったに下るものではない。

 その神託が下ったというのだ。

 エイシアは話しを続けた。


「ハイファ様は、絆を手放すな、と、そう言ったように思いました。それだけです。

 神託というのは、このくらいのはっきりしない表現の場合が多いのです。

 ですが、私には手放してはならない絆とはマリーベルさんとの絆の事だと思ったのです」


「それで、3人で話し合ったんだ。その結果、私が間違っていたことが分かった。

 厄介事を出来るだけ避けるべきだって考え自体は間違っていないと今も確信している。だが、私はその為の手段を間違えた。

 新しい友を見捨てることで厄介事を避けようなんて考えるべきじゃあなかった。

 この街に厄介事があるなら、私達がこの街を避ければいい。私達は自由な冒険者なんだからならな。そして、叶うことなら新しい友とも一緒にな、そういう結論になった」


「そ、それはどういう意味ですか?」

 マリーベルの問いに、マイラが応えた。

「やっぱり仲間になろう。この宿に来る前に、あなたが属していた冒険者の店に行った。ヘンリーとかいう男はかかって来そうだったが、店主に止められていた。

 そして大体の事情も聞いて、あなたが去ったという方向を手がかりに、どうにかこの宿にたどりついたんだ。そういう訳だから今のあなたがフリーだということは分かっている。

 どうだろう、仲間になってもらえないか?」

「是非お願いします」

 エイシアもそう続けた。

 レミも激しく頷いている。


「はい、よろこんで、こちらこそ、お願い、します」

 そう答えると、マリーベルはまた泣き出してしまった。

 だが今溢れている感情は嬉しさだけだった。

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