クリスマス・ゴースト・ストーリー

馬村 ありん

part.1 ゴースト

 いまごろは、街を歩けばどの店にもツリーが飾られ、スピーカーからはクリスマスソングが流れてくる。そんな風景に出会うたびにいつも、僕は幽霊ゴーストにまつわる事件を思い出す。現地の時間で一九九八年十二月二十四日、午前零時のことだった。僕は幽霊を見た。


 当時僕は留学生でイギリスはマンチェスターの古い寮で暮らしていた。マンチェスターといえば、有名なサッカーチームの本拠地として、数々のロックンローラーの出身地として有名だ。古い工業都市であったが、街並みは寂しく、留学したころは都市としての衰退を感じずにはいられなかった。


 僕が借りた部屋は、街の中心地からほど近い住宅街にあり、レンガづくりの二階建て、三角屋根がかわいらしい古い建物だった。一階は大家が暮らし、二階が僕の下宿先だった。八月に越してきて、そのころには約四か月が経っていた。

 

 幽霊の出現は唐突だった。それは音からはじまった。……スン。最初は何の音か分からなかった。なにか動物のなき声かと思い、窓から侵入されたかと目を見張ったが、二つある寝室の出窓はどちらも閉ざされていた。当然だ、イギリスの冬は寒く窓を開けて寝るなんて狂気の沙汰でしかないのだ。外で雪がしんしんと降っているのがカーテン越しに見えた。


 耳をすませると、それが女のすすり泣く声だということに気がついた。声は近くから聞こえる。直後、目の前に幽霊の白く輝く、半透明の姿が浮かび上がってきた。


 僕は恐怖と裏腹に崇高の念に打たれた。幽霊は美しかった。まだ十代後半と思しき幼い顔立ち、腰まで伸びた長い髪。装飾のないドレスを身に着けていて、頭には頭部をおおう頭巾のようなものをかぶっていた。ヴィクトリア時代の幽霊だ、と僕は思った。


 幽霊は僕の横たわるベッドのふちの方に立っていて、僕の方をのぞきこみながしくしくと泣き続けていた。


『どうして、どうして、私を迎えにきてくれないの』


 幽霊の声を僕は聞いた。雨風の強い日に耳朶じだまで吹き込んでくる風音かぜおと越しに聞こえてくるような、くぐもった声だった。


『――約束したはずよ。航海から戻ってきたら会いに来てくれるって』


 その言葉を最後に幽霊は煙のように姿を消した。電灯をつけて部屋を照らした。クローゼット、本棚、レコードプレイヤー、トルコじゅうたんの敷かれた木の床、読書机。いつも通りの光景だ。ついいましがた目にしたものが現実の光景だったのか理解するまでに時間がかかった。

 

 朝起きて、大家さんの作ったトーストとスクランブルエッグの朝ごはんを食べながら僕は真夜中のできごとを話した。大家さんは口元のシワを歪ませ、笑い顔を作った。


「ああ、今年も出たのね」


 ごく落ち着いた口調で大家さんは言った。


「この頃になると毎年現れるのよ。あなたみたいに部屋を借りた若い子のもとにね。約束を破ったとか、そんなことを言うのよね」


 その通りだ、と僕は言った。


「安心してね。何か悪いことをしてくる幽霊ではないから。『嘆きのリタ』って呼ばれているわ。一度現れるともう会うことはないはずよ」


 その後僕は大学に行って、勉強を終えたあとは友人たちとパブに行った。そこでも当然例の話が出た。そしてそのことが僕に生涯忘れることのできないクリスマスの思い出を作ることになる。

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