第35話 どうしたい、どうしてほしい

 春奈を1人残して、そっとスタジオを後にする。


 ふと、視界の端に人影が映った。弾かれたように首を回すと、ドアのすぐ傍、内側からだと死角になる壁際にスーツの女性が立っていた。


「こば──」


 驚きのあまり声を上げかけて、咄嗟に口を塞ぐ。春奈に聞こえなかったかと一度振り返ってから、入り口のドアを閉めた。


「小鳩さん。どうしたんですか? みんなとご飯に出たんじゃ……」


「私は電話してただけ。戻ってきたら誰もいなくてびっくりしたのは私のほうよ。しかも、八重桜くんと那菜が込み入った話をしてるみたいだったし。聞いちゃ悪いかなあと思って外に出たんだけど……」


「聞いてたんですね」


 無理もない。スタジオのドアは開けっ放しだったんだから。


 こうなっては仕方ない。俺はずっと気になっていたことを小鳩さんにぶつけてみることにした。


「小鳩さんは、春奈──小暮那菜を芸能界に連れ戻すつもりなんですか?」

「そうね。那菜は芸能界にいるべきだと思う。あれだけの逸材を手放すのは惜しいもの」


 小鳩さんは特に隠す様子もなく答えた。もっと慎重に言葉を選んでくるかと思ったので意外だ。


 しかし、そんなあっけらかんとした言葉に続いたのは「けど」という否定だった。


「私は敷嶋さんのような強引なやり方は反対。いくら逸材といっても、やっぱり本人の意志がないといつか限界がくるから。那菜がやる気になるまで待つつもり」


 先ほど思ったとおり、やはり小鳩さんは春奈の復帰には慎重らしい。よかった。春奈の気持ちを尊重してくれそうな人が1人でもいて。


 勝手に春奈の復帰を進めようとする大人たちへの反逆としてすいねるチャンネルの撮影をしているわけだが、そんなことをしなくても理解してくれるなら越したことはない。


 俺は無意識に安堵の表情を浮かべていたらしい。小鳩さんがくすっと笑みを零した。


「八重桜くんが説得してくれると助かるんだけどなあ」

「俺がですか?」

「だって君、那菜にとって特別な存在みたいだから。案外、君の意見に耳を傾けるかもしれないよ」


 突然、何を言い出すかと思えば。待つって言ったばかりじゃないか。


「特別でもなんでも……。俺はただの幼なじみです」

「へえ、幼なじみなんだ。それなら余計に期待できる」


 なんでそうなるんだ。


「君ヒロから那菜を見てきたけど、さっきみたいに誰かに弱音を吐いてるところって見たことがないのよ。彼女は常に完璧でいる努力をしていた。ストイックで努力家。みんなが認めてる。そんな那菜が君にだけは弱さを見せた。すごいことよ」


 君にだけと言って、指先を向けてくる。その指をつかんで向きを変えたくなった。


 俺がすごいやつみたいに言わないでほしい。できることといったらせいぜい話を聞くくらいで、春奈から本心を聞き出せたはいいけど、結局、追い出されてしまい何もしてやれなかったのが現状なのだから。


 小鳩さんは指を下ろすと、


「まあそういうことだから。もし何か那菜のことで相談があれば連絡して。さっき渡した名刺に番号が書いてあるから。電話が嫌ならメールでもいいし」


 那菜の力になりたい。口にこそ出さなかったが、小鳩さんの微笑むような表情はそう言っているようだった。




 春奈はその後の撮影にも参加しなかった。俺が出ていった後にまた眠りに入ったようで、次に目を覚ましたのは撮影が終わる少し前だった。


 迷惑をかけて謝る春奈を誰も責めたりせず(あの音月ねるなでさえ「久しぶりだろうから仕方ないわ」と励ました)、春奈の復帰にこだわっていたマーブルプロダクション営業部の敷嶋は昼休憩後に帰ったので、復帰話も持ち越しとなった。


 空が明るいうちに帰宅できた俺は、真っ先にシャワーを浴びて自室に籠もった。


 ベッドにうつ伏せでダイブすると今日一日の疲労がどっと押し寄せてきて、このまま眠りにつきたくなった。


 体力はそれなりにあるほうだと自負していたが、初めての撮影現場かつ一日中大人に囲まれる状態は思いのほかつらかった。普段あまり出番のない表情筋をたくさん使った気がする。社会人は大変だな。


 それに、疲労の原因は体だけではない。


 体を表へ返す。天井をじっと見つめていると、シーリングライトがだんだんレフ板に見えてきて、マジで疲れてるなと実感する。


 小鳩さんはああ言ってくれたけど。


 ──那菜が君にだけは弱さを見せた。すごいことよ。


 だからなんだというのだ。見せてくれたところで俺は何もできていない。


 目立ちたくないと言いながら自分を隠しきれていない春奈の甘さにいてもたってもいられずに協力を申し出たその日から、結局、俺が春奈にしてやれたことってなんなのだろう。


 学校で目立たないようアドバイスをしてあげた。生徒会やすいねると繋がりを作ってあげた。せいぜいそれくらいだ。


 誰とも関わろうとしなかった春奈が、「今日の撮影を満足に終わらせられたら芸能界に戻る」と決断できるまでに至ったのは、春奈が自分の足で立ち上がったからだ。俺は何もしちゃいない。


 目立ちたくないという春奈の願いを聞き届けたら、つらい過去から少しは救われるかもしれない。そう思って協力関係を結んだけど、根本の部分で認識が間違っていた。


 俺にとって目立たない生活は言葉どおり人の目から隠れる生活だったが、春奈にとっての目立たない生活は普通の生活を送ることだった。悪意の少ない何気ない毎日を……。


 つまり、俺がやろうとしていたことは過去を切り離すことで、彼女が望んでいたのは過去を清算すること。そもそもが間違っていた。何もわかっていなかった。


 結局、俺は何がやりたかったんだろう。


 不甲斐ない自分を無性に殴りつけたくなったとき、そんな心情なんてお構いなしにお腹がいびきのような音を鳴らした。


 ……ったく、こんなときでもお腹は空くのな。厚かましい胃だ。


 たしか、小鳩さんに昼ご飯をおごってもらうことになって、食べ損なったおにぎりがあったはず。


 起き上がって、ボディバッグからラップに包まれたおにぎりを取り出す。すると、おにぎりと一緒に名刺が出てきた。


 今日もらった名刺は2枚。うち1枚はカメラマンからもらったもので、そっちはもらってすぐに財布に入れた。とすると、この裸の状態で入れたやつは小鳩杏海あみの名刺だ。


 トレジャースターズ。どういった会社なのだろう? 後で調べようと思って忘れていた。


 俺はパソコンを立ち上げて、検索ボックスに会社の名前を入れた。左手のおにぎりをぱくり。


 なるほど、トレジャースターズはレコード会社らしい。またおにぎりをぱくり。


 しかも、大手らしい。再びおにぎりをぱくり。


 へえ、そうなのか。ほうほう……。

 そうしているうちに、おにぎりはあっという間に手元から消えていた。


 公式サイトの所属アーティスト欄には、君ヒロからデビューしたここが花よりの名前があった。


 小鳩さんがプロデュースに関わっていたらしいから、オーディション自体がもともとトレジャースターズとの共同だったのかもしれない。


 そういえば、俺、まだ君ヒロを見てないんだよな。


 放送当時は興味がなかったし、春奈が出演していたと知った後も見る気になれなかった。バッドエンドとわかっているものをわざわざ見ようとは思わない。


 アイドル小暮那菜の姿を知っているのはすいねると先生のPR動画の中だけだが、それも今は消えてしまった。


 一度、ちゃんと見たほうがいいのかもしれない。


 今の日高春奈を見ていれば過去の小暮那菜なんて知らなくていいと思っていたが、日高春奈を知るにはやはり小暮那菜も知らないといけない気がする。



 土曜の夜から日曜の夜にかけて全話を視聴した俺は、そのまま動画編集ソフトを立ち上げた。

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