第33話 倒れる春奈、そして…

 春奈の様子がおかしい。表情が硬く、喋り方が単調、集中できていないのか視線がカメラの外をチラチラする。


 台本は進行を誘導するあくまで指標でしかなく基本はフリーでトークを展開していくのだが、ほとんどすいねるの2人が喋っていて、これではいつものすいねるチャンネルと変わらない。


 休憩になって、俺は水分補給中の春奈に声をかけた。しかし──。


「大丈夫」


 ただそう答えるだけだった。行間に「声をかけないで」との意味合いが含まれているような気がして、それ以上は何も言えなかった。


 近くに寄ってみてわかったのだが、今日の春奈は化粧をしているようだった。


 はっきりした顔立ちで化粧をしなくても十分映えるとはいえ、映像に乗っかる以上は最低限の施しが必要なのだろう。


 それは理解できる。が、音月ねるなや彗星のそれとは違った。


 目の周りを黒く塗りたくってくれないと化粧しているとわからない俺ですら、彼女の肌がぶ厚いことに気づいた。ファンデーションを濃く塗っているのだろう。


 うちの母は櫛木島くしきじま生まれの櫛木島育ちだが、大学進学を機にこっちに出てきた。それから出産するまでの数年を東京で過ごしたせいか、櫛木島に戻っても化粧を欠かさなかった。


 特にファンデーションは手を抜かない。ファンデーションという言葉を知っていたのは母の影響だ。


 櫛木島の女性はわりと化粧をしない人が多いので、俺はどうしてうちの母だけ化粧をするのか気になって尋ねたことがある。


『なんでそんなにファンデーションを塗るの?』

『しわを隠すために決まってるでしょ』


 言わせんな、とでも言いたげだった。

 なるほど、ファンデーションでしわを隠せるのか。


 しかし、本島に行けばみんな化粧をしている。しわがなさそうな若い人も、ファンデーションとやらを塗っている。


 しわを隠すのがファンデーションの役割なら一体どういうことだ?


 いや、もしかしたら人それぞれに隠したいものがあるのかもしれない。傷とかコンプレックスとか。


 子どもながらに悟りを開いた瞬間だった。


 今なら多くがオシャレのためにしているとわかるが、子どもの発想というのはなかなかに侮りがたい。


 もしや、春奈も何かを隠しているのではないか──。


「なんかがっかりだよなあ」


 撮影の再開を待っていると、若い男性スタッフが独り言のように零した。


「小暮那菜のこと?」


 隣にいた別の男性スタッフが訊くと、「そう」と頷いた。


「小暮那菜の復活かと思って撮影を楽しみにしてたけど、ほとんど素人じゃん。顔はやっぱり可愛いよ。でも、トークと表情がなあ……。君ヒロのときはもっとうまかったと思うんだけど」


 彼らから視線を逸らす。その先には小鳩さんがいて、腕を組み険しい表情を見せている。


 小鳩さんや彼らだけじゃない。よく見れば、ほかのスタッフも萎えているようだった。


 勝手に期待してがっかりして、ずいぶん自分勝手だよな。


 先ほどよりも居心地の悪さを感じながら撮影が再開した。



 後半戦では、いよいよすいねるから質問を受ける形で春奈が今後の活動について説明をする。


 事務所に事前に見せた台本にはその進行が載っていないので、大勢の大人とカメラに証人となってもらい、直接、意思を伝える初めての機会。正念場だ。


 しかし、アクシデントは正念場がくるより先にやってきてしまった。


 フリップボードを使ったトークコーナーが終わった後だ。フリップボードを回収してもらおうと春奈がソファーから立ち上がった瞬間、立ちくらんだように体が大きく揺らめいて、ダンッとテーブルに手をついた。


 そのまま彼女の体が、となりに座っている音月の膝の上に落ちたのだ。


「ストップ! どうしたの?」


 すかさず、すいねる母が撮影の中断を促して駆け寄る。

 音月は春奈の体を揺らしながら「那菜?」と何度も呼びかける。


「熱中症じゃないのか?」


 不意に誰かが発したひと言で、ざわざわしていた現場が一気に混乱を見せた。


 熱中症? こんな涼しい部屋で?

 エアコンはちゃんと稼働している。音がするし、風も感じる。むしろ、動いていないと少し肌寒いくらいだ。


 それに、水分補給もしていた。どうやったら熱中症になるんだ?


 ……いや、違う。


「熱中症じゃなくて、寝不足による失神だと思います」


 俺が叫ぶように指摘すると、音月が「そうみたい」と春奈の頬に触れながら答えた。春奈は、音月の膝の上で小さく寝息を立てていた。


 倒れた春奈を待機室に連れていき、椅子と布で作った簡易ベッドに寝かせた。


 寝顔はきれいだが、やはり肌が厚い。ファンデーションで隠せるものといったら、しわかニキビか傷、それか目の下のクマだ。


 倒れたことと併せると、寝不足だろうことは簡単に予想がついた。


 しかし、寝不足の原因はわからない。緊張か遠足前のわくわくか、はたまた夜更かししたか。


 どちらにせよ春奈が起きるまではどうしようもない。不調が言動に表れるほどの不眠だったのだから、今は寝かせてあげよう。静かに──。


「おいおい、どうするんだ? 小暮がいないと成り立たないじゃねえか」


 待機室を仕切るカーテンの向こうから男の声がした。40代ぐらいの濁声。スタッフの誰かだろう。


「とりあえず、すいねるだけでやりましょう。別日に予定していた企画を……」


 すいねる母の声だ。すかさず男の声が割って入る。


「小暮とすいねるを同時に売るっつう話だろ。俺は今日、そのために来たんだ」

敷嶋しきしまさん、それはまだ構想の段階だったはずですよ」


 この妙に凜とした声は、小鳩さんか?


「それに、すいねるはまだマーブルの所属ではないですよね。今日、私はすいねるチャンネルの撮影としか伺ってませんが」

「そりゃあわかってるが……」


 敷嶋が語尾を弱くする。


 この敷嶋というやつは、春奈の事務所──マーブルプロダクションの人間らしい。するとスーツ着用派の誰かだけど、顔がピンとこない。スーツの印象が強すぎて、顔にもやがかかっている。


 それはまあいいとして、やはりというべきか、敷嶋と手を組んだ音楽プロデューサーはどうやら小鳩杏海あみのようだ。


 話を聞いているかぎりでは、小鳩さんは春奈の復帰には慎重らしいけど。


 はあ……静かに寝かせるどころじゃないな、これは。

 なんだか話がややこしくなりそうなので、俺は眠る春奈を置いて待機室を出た。

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