第30話 音月の想い

 なんとなく頭の片隅にあった疑問だ。まったく睡眠を妨げるような悩みなんかではない。


 そのまま忘れ去ってもよかったが、春奈と音月ねるなが衝突した今、その疑問を解消するチャンスなのではないかと思った。


 すいねると初めて相対したときのことだ。つまり、勝負をすることになった流れのくだり。


 俺がすいねるのPR動画を、すいねるが小暮那菜のPR動画を作るのはどうかと条件を設定していた中で、彗星が気になるひと言を口にした。


 音月は小暮那菜が嫌いだと──。


 その時点で彗星は春奈が小暮那菜だと気づいていたから、春奈を巻き込むためにそう言ったのかとも思った。が、音月は反論を見せなかった。


 あながち間違いではないのかもしれないと、俺の中に疑問の種が生まれた。


 音月は、どうして小暮那菜が嫌いなのか?


「日高春奈の入れ知恵?」

「いや。俺の好奇心」


 音月はため息をついた後、部屋に引っ込んだ。


 答える気はない──というわけではないらしい。ドアを開けたままだから。すると俺に「入れ」と促しているのだろう。


 男が入っても大丈夫? 訴えられないよな?

 俺はビクビクしながら音月の部屋に踏み入った。


 入ってすぐのところで立ち止まり、念のためドアは開けたままにする。


 音月は俺の一連の動きを見届けると、学習椅子に座った。足を組む。


「ねるは、自分が同世代の中で1番人気があると自負してる」


 なかなか興味深い導入だ。


「上を見ればまだまだねるよりすごい人はいるけど、同世代の中だったら1番よ。7歳のときから第一線で活躍してきたし、フォロワー数も知名度もダントツで持ってるし。人気になるための努力だって怠らない」


 音月は険しい表情で続ける。


「インフルエンサーはごまんといるから、ちょっとした怠慢が命取りになる。習い事をたくさんして、勉強もスポーツも頑張って、愛想も忘れない。人気であると同時に、ねるは誰よりも実力がある」


 まあ実際、No.1は本当らしい。


 ネットを見ても、「おすすめインフルエンサー5選」「人気インフルエンサートップ10」の記事に名前を連ねる常連だった。


「だけど、人生で1人だけ……たった1人だけ、この人には敵わないって思った人がいた。それが小暮那菜」


 面持ちを厳しくして吐き捨てた名前。驚きはない。


 音月は学習椅子を回転させて、体ごと向きを俺から逸らした。


「君ヒロ出演者の宣材写真をなんとなく眺めていたときに見つけたの。宣材写真からして違った。13歳とは思えない完成された顔だった」


 13歳といえば、島を出ていって1年後。一体、どんな成長を遂げたのか。想像がつかない。


「君ヒロは、ライバルチェックのつもりでもともと見る予定だったけど、この子が実際に動いているところが見たいと思った」


 背もたれから体を離す音月。


「実際に番組が始まって、想像以上だった。あのときの衝撃は今でも覚えてる。だって、ねる……負けたって、数秒見ただけで思っちゃったんだもん。これから先、どんなに努力してもこの子には敵わないって思った。小暮那菜は、それだけすごかった」


 音月の声が震えを帯びていっているような気がした。今もなお俺から目を背けているが、それがプライドを保つ最後の砦なのだろう。


 音月の独白は終わらない。


「だけどさ、そんなの認めたくないじゃん? 勝負する前から負けを認めてしまうくらい圧倒されたなんて悔しいじゃん。だから、ねるの目標にしたの。小暮那菜を超える人気者になるって決めたの」


「すると音月は、目標にしてた小暮那菜が活動休止したから嫌いなの?」


 尋ねると、音月は学習椅子を回すようにして体ごとこちらに向き直った。


 その反応は意外なものだった。


「ねる、嫌いなんてひと言も言ってない」


 フグのようにぷくっと頬を膨らます。


 嫌いなわけじゃないのか? 話の流れから察するにそうかと思ったのだが……。


 そういや、嫌いだと言ったのは彗星だった。音月の口から直接聞いたわけではない。俺は前提条件から間違っていたわけか。


 しかし、彗星が『音月は小暮那菜が嫌いでしょ?』と言っても否定しなかったのだから、嫌いなのだと勘違いするだろふつう。


 音月は話をつけ加える。


「好きでもないけど、嫌いとは違う。活動休止とか別にどうでもいいし。君ヒロで見て感じた小暮那菜が目標なのは今でも変わらないもん」

「じゃあ、どう思ってるの?」

「……むかつく」


 ペッとガムを吐き捨てるように零すと、


「嫌いではないけど、むかつくの! だって、ねるに敗北感を味わわせた相手だもん。好き嫌いで決めつけるのすら負けを感じる。だから、むかつく」


 いつもの音月に戻って叫んだ。


 納得。と同時に、そっちのほうが断然、音月らしいなとも思う。


 負けず嫌いでプライドもプロ意識も高い。自尊心を力に変えてしまう彼女にとっては、憧れた感情すら勝ち負けの対象になってしまうのだ。


「そういうの全部、春奈に言ったらいいのに」

「は? 言えるわけないじゃん。アホなの?」


 ぽつりと呟いた言葉に、倍の反論が返ってきた。


「音月ってそういうの気にするタイプだっけ?」

「するわよ! 人をなんだと思ってるの」


 じゃあなんで俺にはその態度なんだよ。もっと遠慮を見せてくれても構わないんだが。


「まあいいけど」と俺は肩を竦め、踵を返そうとした。ふと思う。


「でも、春奈に負けたくないって思うなら、えりかこなんか見てる暇ないじゃん。せっかく憧れが近くにいるんだから思ってること全部言って、春奈のことも聞いて全部吸収して。それで勝つのが音月なんじゃないの」


 振り向いてそう伝えると、音月は心底驚くように目を縦に開いた。白目の割合が大きくなり、黒目の輪郭がはっきりとわかるくらいに。


 しかしすぐに険相に戻って、ふいっと視線を逸らした。


「うるっさいわね。あんたに言われなくてもわかってるわよ」


 わかってるならいいや。俺は今度こそ音月の部屋を出た。

 そういや俺、何をしに来たんだっけ? ……まあいいか。


 階段を下りようとしたとき、ドアの開く音がした。見ると、音月が部屋から出てきたところだった。


 あ、思い出した。引きこもりの説得──のつもりだったが、釈迦に説法だったかな。

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