第20話 ただの勉強会ではありません
当日は朝から雨だった。
癖毛の
今日は土曜日。午前中で授業が終わったので、俺たちはいったん家に帰って準備をしてから、すいねるの家の最寄り駅に集合した。
何を準備する必要があるのかって? もちろん、泊まりの準備だ。
勉強会の日程を決める中で生徒会長が「どうせなら泊まりでやろうよ」と言い出したことで、土曜の午後から日曜の午前にかけて泊まりがけの勉強会が決定したのだ。
俺は講師なので降りられず、それなら日高さんだけでも参加を取りやめればいいと思ったのだが、彼女は「なんで? 行くよ」とむっとした。
身バレする危険性を考えていないのか?
がしかし、行くというのなら仕方がない。俺がしっかり注意しよう。
というわけでメンバーは、俺と日高さんとすいねる、それから生徒会メンバーの計8人に決まった。
そんな大所帯で大丈夫か、との懸念は……うん、大丈夫そうだ。すいねるの家に着いて払拭された。
箱のような形をした戸建ての家。デザイナーズ、というやつだろうか。
櫛木島の家々に比べると小さいが、都内だとかなり大きな部類に入る。しかも、立地もいい。閑静な住宅街の一画にあるから高そうだ。
そんな家に、なんとなく不法侵入のような気分で入ると、スーツを身につけたキャリアウーマン風の女性が出迎えた。この人が、すいねるをプロデュースする敏腕の母親らしい。
「10時までには帰れると思う。晩ご飯は大丈夫よね? あまりうるさくしすぎないように」
まるで俺たちが来るまで出かけるのを控えていたかのように、出迎えてすぐ慌ただしく出ていった。
すいねるの母は2人のマネジメントの傍らで、友人と会社を共同で経営しているらしい。そんな母親の慌ただしさに動じることなく、
「場所は作業部屋でいいよね? パソコンあるのそこだけだし」
作業とはなんぞやと思ったが、なるほど。インフルエンサーになりきるための部屋か。
壁の1面が鏡張りになっていて、明るい照明がフローリングを照らす。一見するとダンスの練習に使うようなホールだが、部屋の片隅には筋トレマシーンやら音楽機材やらがある。
デスクトップパソコンやモニターも、その機材の隣に置いてある。きっとここでダンスの練習や体作り、動画の編集作業をしているのだろう。
「すっげえ、ジムみたい!」
「鏡やっば。ほんとに家かよ」
「これはプロジェクター?」
生徒会メンバーが部屋に入るなり興奮したように散り散りに駆けていく。
楽しそうだな。騒ぎたくなる気持ちはわかるが、勉強会はついでで本当はすいねるの家に来たかっただけじゃないのか? と、疑いたくなる浮かれっぷりだ。
彼らをじっとり呆れの目で見ていると、音月が話しかけてきた。
「パソコンはこれを使うでしょ?」
「ああ、うん」
頷くと、音月がパソコンの電源ボタンを押した。
俺はパソコンの前に座った。左隣には音月が、空いた右隣には日高さんが座り、周りを彗星と生徒会が取り囲む。
「何が知りたい?」
「八重桜は、ねるたちの動画を見たんだよね。何か気になったことがあったら教えて」
「わかった」
そうして俺は、実際に操作をしながら動画編集の極意とやらを教えた。
まあ極意といっても、プロでもない俺から教えられるのは誰かが動画でまとめている程度のもの。人様からの教えをただ横流しするだけだ。
***
「腹減ったあ」
あくび混じりの秋人の声にと胸を衝かれる。時間を確認すると、17時を超えていた。
もうそんな時間だったのか。音月が次から次に質問を繰り出してきて、答えるのに必死で時間の感覚がなかった。
「キリがいいし、この辺で終わりにするか」
俺がそう提案すると、音月が「そうね」と答え、日高さんが頷いた。誰よりも喜んだのは、すでに飽きて筋トレマシーンに座っている秋人。
「やったー! 晩飯だー!」
ガッツポーズを掲げる。おまえ、マジで何しに来たんだよ。
結局、最後まで話を聞いていたのは日高さんと音月だけだった。ほかのメンバーは早々に脱落して、思い思いの時間を過ごしはじめた。
もともと熱意に差があったからこうなることは予想していたが、生徒会の目的はやはり大槻宅の訪問だったわけだ。
晩ご飯はカレーライス。泊まりといったらカレーという秋人の安直な意見で決定したが……。
「おまえもちょっとは手伝えよ」
俺は、リビングのソファーに座ってテレビを眺める秋人に向かって叫んだ。
キッチンに立っているのは俺を含めて4人。俺と日高さんとすいねるだ。
俺は介護で手が離せない両親に代わってたまに料理をするし、すいねるも母親に代わって自分たちで用意するらしい。日高さんは以前はできなかったが、活動休止中に暇で覚えたらしい。
「オレ料理できないんだよ」
「自分も」
「うちもー」
会計の奥見先輩と生徒会長が、秋人に同調して手を挙げた。副会長だけは手を挙げなかった。
「副会長もですか?」
「副会長は、料理はできるよ。その代わり野営食だけね」
生徒会長が答えると、副会長は首を縦に振った。
「飯ごうでいいなら作るよ」
「遠慮しておきます」
この人ら、マジで何しに来たんだよ。遊びに来ただけにしか見えない。
「ちょ! 八重桜、八重桜!」
「なに?」
「袖、袖。まくって」
急に呼ばれてはたと振り返ると、洗いもの中の音月に袖をまくるよう命じられた。
大声を出すから何事かと思えば、袖が水に濡れそうなだけだった。びっくりさせるなよ。と、文句は心の中に吐き捨てて、横から袖をまくってあげる。
1折り、2折り……と折り返して、両手を解放させたとき。
「
今度は食材の皮を剥いている最中の日高さんにお願いされた。わたしもって……。
「ちゃんとまくれてるよ」
「袖じゃなくて前髪。落ちてきちゃったの。ポケットにヘアピンが入ってるから留めて」
はいはい。
日高さんのカーディガンのポケットに手を突っ込んでまさぐる。すぐに見つけて取り出した。金色の細いヘアピンだ。先生が使っていたから使い方はわかる。
何も考えずに手を伸ばそうとして、ふと。動きを止める。
ちょっと待って。よく考えたら、袖をまくるより難易度が高くないか? あたりまえのように言うことを聞こうとしたけど、髪を触らないとピンを留められない。髪を、触るのか……?
しかも、彼女の顔がまっすぐに見上げてくるので近い。
「左右に留めてくれればいいよ」
まごつく俺に日高さんは軽く助言をしてから目を閉じた。目を閉じるな、目を。なんだかキス待ちしてるみたいに見えるからやめてくれ。
まずい。意識し出したらとまらない。心臓が大きく脈を打つのがわかる。くそう、手が震える。
すると、日高さんの背後から彗星がぬっと顔を出してきた。
「うわあ!」
突然のことで狼狽えてしまった。
彗星はゲスなものを見るかのようにジト目を向けてくる。
「うちで変な考えを起こさないでよ」
「起こさねえよ!」
それはそういう目か。失礼だな、人の家のキッチンで襲うわけないだろ。
「八重桜、サボってないでちゃんとやってよ」
音月がこっちに目もくれず注意してくる。見てもいないのに、なんでサボり扱いを受けないといけないんだ? そもそもサボってないし。この双子はどうも俺を下に見ている気がする。
急にアホらしくなってきて、さっさと日高さんの前髪をヘアピンで留めて、皮むきに加わった。
隣では日高さんがクスクスと微笑を零している。前髪を留めているおかげで、目尻が下がっているのがよく見える。
……あれ? お願いされて前髪を留めたが、よかったのだろうか。
少し前までは、鬱陶しい前髪で顔を隠していた日高さん。最近は、センターで分けた前髪を横に流して目元を出すようになった。
じっくり見れば美人な顔立ちだとわかりそうなのに、それでも彼女の素顔に疑いの目を向けられることはなかった。
しかし、ヘアピンで留めると黒目がちな目が強調されて輪郭もあらわになる。
一度でも疑いを向けられたらアウト。いつバレてもおかしくない状況ではないだろうか。いや、もっといえば、このままみんなと過ごしていいのだろうか。
「ところで、日高さんは夜ご飯はどこで食べるの?」
彗星が話しかけてきた。音月に聞こえないよう声のボリュームを下げている。
「外で食べてこようかなって……」
「それなら客間を使うといいよ。体調が優れないとか言って、適当に抜け出してさ」
「いいの?」
日高さんが手を止めて聞き返す。
「特別なカレーってわけじゃないけど、どうせなら日高さんも食べたいでしょ?」
意外だった。彗星が助けてくれるとは思わなかった。
初めから日高さんの正体に気づいていたのに誰かにバラそうとする素振りはなく、むしろ興味ないとまで言ってのけたから、てっきり日高さんの変装は自分には関係ないと知らんぷりを通すと思っていた。
まさか身バレしないよう取り計らってくれるとは……。
というか、これって本来、俺が立ち回らないといけなかったことじゃないか?
泊まりになればみんなで晩ご飯を食べる流れになるのはわかっていた。素顔を晒す危険性にも気づいていたのに、その対応策を考えていなかった。
これじゃあ協力者失格だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます