第18話 彗星のずるい思惑
すいねると勝負をすることになって、1週間。ちょうど折り返し地点だ。
編集作業は驚くほど順調だった。疑問に思ったことは日高さんがすぐに答えてくれるし、案もどんどん出してくれる。学びもあっておもしろい。
編集のへの字も知らない頃を思い出した。
『最初は面倒くさそうにしていたのに、すぐ夢中になっていたな』
すいねるとの勝負を報告するついでに現状を話したら、先生からそう言われた。俺はわりと学ぶのが好きらしい。
初めは不本意だと思っていたこの勝負も、今では受けてよかったのかもと思うくらいには楽しんでいる。
このまま何事もなく勝負の日を迎えられたら──。
これがフラグというものなら、悪魔を呼び寄せたのは間違いなく俺のせいだ。
「へえ、小暮那菜はまだ健在らしいね。姿を消してから1年、相変わらずうまいや」
水曜日の昼休みに生徒会室で日高さんとすいねるの動画を見ていると、彼女が急に立ち上がり、2人のダンスの何がすごいかを説明しはじめた。実際に自分の体を動かしながら教えてくれる。
踊りながら饒舌に話す日高さんもすごいけどな。と、だらしなく頬をゆるませているときだった。ドアが開くと同時に中性的な声が入ってきたのは。
ドアに背を向けていた日高さんはぞっとしたように振り返り、日高さんに隠れて入り口が見えなかった俺は体を傾けて覗くように見た。
声だけでは誰かわからなかった。何十回と動画で見て、たった今までも声を聞いていたというのに。
そこにいたのは、日高さんよりも長い髪を後ろで1つに結ぶ──双子の兄、
「な、なんでここに!?」
日高さんが焦るのも無理はない。なぜなら彼女は今、マスクを取っているのだから。
彗星に素顔を見られた。ごまかそうにも小暮那菜の顔を思いきり晒してしまっているし、ダンススキルまで見られてしまっては人違いだと言い張ることもできない。
日高春奈が小暮那菜だとバレ──。
……ん? ちょっと待て。
前後関係がおかしくないか?
「厳重に鍵をかけてたみたいだけど、職員室で借りちゃった」
彗星は手を挙げて、指に引っかける鍵を見せびらかしてきた。
生徒会室の鍵は全部で3つ。顧問の先生が保管しているメインキーと、職員室の金庫に入っているサブキーと、何かあったとき用に用務員さんが持っているスペアキーの3つ。
俺や生徒会は顧問の先生から鍵を借りて開けているが……ぬかった。鍵をかけたところで、開けようと思えば手段はあったのだ。
「どうしてそこまでして……」
日高さんは動揺を抑えきれないらしい。数歩後ずさりし、さっきまで座っていたパイプ椅子にぶつかった。
「小暮那菜さんに話があってね。君たちのクラスの、
「なんで日高さんが小暮那菜だって知ってるの? もともと知ってたんだろ」
「あ、そういえば……」
日高さんもようやく気づいたらしい。
彗星は『小暮那菜はまだ健在らしい』と言って部屋に入ってきた。ドアに背を向けていた彼女の素顔を見る前に小暮那菜だと断言した。
まるで、初めから日高春奈が小暮那菜だと知っていたみたいじゃないか。
「僕、人を見極めるのがわりと得意なんだ。変装したくらいじゃごまかされないよ。それに、そのスタイルの良さ。僕が1番と認める小暮那菜と同じレベルだもんね」
頭を抱えたくなった。スタイルだけで見極められてしまったのなら、いくら手を打ったところでバレるのは時間の問題、初めから詰みだったわけだ。
こればかりは仕方ない。むしろ、小暮那菜だと知ってもバラそうとしなかった情けに、ありがとうを言うべきだろう。
ただ、理由が気になったので掘ってみることにした。
「知ってたのに何も言わなかったのはどうして?」
「興味なかったからね。事情があって変装してるんだろうけど、僕には関係ないし」
彗星はあっけらかんと答えた。
冷めてんなあと思ったが、関係ないのはそのとおりだし、彼の冷淡さに助けられたのも事実なので指摘するつもりはない。
あるとすれば疑問。どうして彼が今ここにいるのか。
「興味なかったのに今になって話があるわけだ。どうして?」
「んー、そうだね」
返答を濁しながら、入り口で立ち止まっていた彼は中に入ってきた。
「小暮那菜さんに耳寄りな情報を持ってきたんだ。もっとも、今の小暮さんには悲報かもしれないけど」
ずいぶん、もったいぶった言い方をする。
「どんな情報?」と訊くと、彼は首を横に振った。
「タダでは教えられないなあ。条件がある。今回のPR動画対決、負けてくれない? もちろん、
とんだペテン師だな。
「可愛い妹のためってわけね」
「そんなんじゃないよ。僕はただ、勝って八重桜くんと小暮さんをまとめて手に入れられたら、すいねるの今後に役立つかなと思ってね」
俺は首を傾げる。
「そっちが勝っても、協力するのは俺だけだよ?」
「本当にそうかなあ。小暮さんはそのつもりはないんじゃない?」
日高さんを見ると、彼女はぐっと下唇を噛んだ。どうやら図星らしい。
まあいいや。何も言うまい。俺は彗星に視線を戻して、さらに確かめる。
「その情報に価値はあるの?」
取引に乗ったとして、ゴミのような情報だったら大損だ。
彗星は肩を竦めた。
「さあ? 今言えるのは、小暮那菜関係で芸能界が動いてるってことくらいかな」
むちゃくちゃ価値ありまくりの情報じゃないか! ……マジか。
「まあそういうことだから。考えといて」
にっこり余裕の笑みを見せて、彗星は生徒会室を出ていった。
とんでもない置き土産を残して行ってくれたな。可愛い仮面を被ったペテン師だ。いや、ペテン師だから可愛い仮面を被っているのか。おかげで生徒会室には気まずい空気が流れている。
俺は椅子に深く座り直した。その際にパイプ椅子がギシッと軋み、静かだった空気にわずかな音を与えた。
ぼーっと突っ立っていた日高さんは、その音で我に返り、椅子に腰を下ろした。マスクをつけて、平然とした様子でスマホをいじる。
何事もなかったかのようにしているが、きっと動揺しているに違いない。動揺を悟られないよう平然を装っているのだろう。
どうしたものか。思考する余地なく突っぱねるつもりだったが、日高さんの今後に関わる情報となると話は別だ。
先生曰く、近道だとしてもずるい話に乗ってはいけないらしい。『悪いことだから?』と訊くと、
『違う。弱みを握られて、その後も足を引っ張られ続けるからだ』
と、言っていた。先生の言うとおりなら、ここで彗星の取引に応じたら今後もいいように使われる可能性がある。リスクが高すぎる。聞き入れたら地獄落ち確定だ。
ただ、日高さんの生活を脅かすかもしれないその情報は一刻も早く欲しい。小暮那菜のことで芸能界が動いているだと? 下手したら、今後の学校生活をぶっ壊されるかもしれない。日高さんとしても知りたいはずだ。
どうしたらいいのだろう……。
腕を組んで深い思考に陥っていた俺の耳に、突如、音楽が飛び込んできた。
♪〜♪〜♪〜
日高さんがいじっているスマホから聞こえてくる。それは、PR動画のBGMとして使おうか迷っている曲だった。
「この曲、メロディーはいいけど、やっぱり歌詞が合わないと思うんだよね。すいねるにはちょっと後ろ暗い感じがする」
日高さんは、曲に神経を研ぎ澄ませるように何もない天井を見上げている。マスクで顔半分が隠れてしまったが、その横顔と口調からは迷いが見えなかった。
「聞いてる?」
彼女は曲を止めて、見上げていた視線を落とした。俺の顔を見て怪訝そうにする。
「何を驚いてるの?」
驚いていると指摘されるほど表情に出ているとは思わなかったが、驚かずにはいられなかった。
だって、日高さんに本当に迷いがなさそうだから。彗星の言葉を受けても動画制作を続けようという意志が感じられる。俺としては、すごく意外な反応だった。
「やる気なの?」
「なにを?」
「動画作り。彗星が言ってたこと、気にならないの?」
やる、やらないを抜きにしても、もう少し悩む素振りを見せてくれても構わないのに。
日高さんはスマホをテーブルに置いた。
「わたしのことで何かが動いてるって? そりゃあ気にならないって言ったら嘘になるけど、交換条件にすることじゃないよ。勝負を受けたからには手を抜いたりしない」
俺は、日高さんを見誤っていたのだろうか。
彼女にとってもっとも大事なのは、目立たないで過ごすことだと思っていた。何がなんでも目立つことは避け、不利益になりそうなら他人を切り捨て自分を優先するのだと。そう思って俺は「勝手に協力する」と言った。
しかし、実際の彼女は、協力関係のことといい今回のことといい、天秤にかけたときに片方が良心だったら重さは問わずそちらを優先する。たとえ自分で自分の首を絞めることになったとしてもだ。
本来、日高春奈という少女はそういう人間だったはずだ。俺はまだ、彼女の容姿に囚われていたらしい。
「そうだね。やろうか」
***
『──で、やっぱりやめると?』
「いえ。引き続きお願いします、先生」
『おまえも相当ペテン師だぞ。まあいいけど』
1週間後、俺たちが作ったすいねるのPR動画は、捨て垢によって全世界に発信された。
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