第5話 幼なじみのその後
「落ちた?」
『デビューはできなかったってことだよ。韓国の事務所で練習生の経験がある子、有名俳優夫妻の2世。そんな実力者もいる中で、無名だった
「ちょっと待ってください。小暮那菜って誰ですか?」
『春ちゃんの芸名だよ。彼女、芸名にしたみたいだな。どうりで最初にレスがあったやつに日高春奈の名前を出しても知らないわけだよ。やつ、小暮那菜の名前は知ってた』
芸名にしたのか。雑誌に載っていたときは本名で活動していたから、俺が追うのをやめた後に変更したのだろう。
『投票は数回に渡って行われたらしいが、小暮那菜は1回目の投票からしばらく1位を取り続けたのだとさ。審査員の評価も最高クラスを連発。見た目の可愛さもさることながら、ダンス、歌唱力、トーク、どの項目においても群を抜いていたと、当時番組を見ていたやつは手放しで褒めている。演技は微妙だったらしいが、成長していく過程がおもしろかったと言っているし、人気になるのも頷けるな』
この手のオーディション番組のおもしろさは、出演者の成長過程を見られる育成要素があるところだと、ローカル番組で地元応援プロジェクト委員のおっさんがさも識者のように豪語していたっけ。
「それでも落ちるんですか?」
『何もなければ合格確実だったらしい』
「何もなければ?」
引っかかる物言いに、続きの言葉を待たずして聞き返してしまった。
『オーディション期間中にゴシップ記事が出たんだよ。〝超人気アイドルと同棲か〟──とな』
俺は無意識に唇を真一文字に結んでいた。
『これを報じたのがデマで有名な週刊誌だから、例によってでまかせだろうが、相手が悪かった。名前を聞いてもわからないだろうから出さないが、ひと言で言えば、厄介なファンを抱える売り出し中の1番人気だ』
たしかに名前を出されてもわからないだろう。島にいた頃は、ネットどころかテレビもろくに見なかったし。
強いてあげるなら、毎夕6時から放送のローカルなニュース番組。母が見ていたので流し見していた。
その番組に出てくれるアイドルならわかっただろうけど……まあ、ありえない。
それに、知らないほうが得なこともある。
『相手のファンが騒ぎ立ててな。いわゆる「匂わせ投稿」というやつを見つけてきて、小暮那菜を誹謗中傷し出した』
「匂わせ投稿?」
『付き合っているのを、写真や文章で匂わせるってやつだよ。これが君ヒロ側のファンの目にも入って、順位を落としていった』
「デマなんですよね? それだけで落選するほど順位が落ちるものなんですか?」
『いや、それだけじゃないようだ。ああ、こっちのニュースはあたしも知ってるぞ。有名な映画監督が児童ポルノで捕まったニュース。
先生がめちゃくちゃぶちキレていたやつか。
高校生のときに彼のワークショップに出向いて声をかけてもらったことがあるとかで、あのとき声をかけてきたのはやましい魂胆があったのかと、手がつけられないほどキレていた。
『この映画監督の作品に小暮那菜が出たことがあって、彼女も被害にあったのではないかと噂が立ったらしい。こっちは事務所が即座に否定したが、皮肉なことにその対応のせいで同棲のほうは本当なのかと意見が広がった』
腹の底で黒くドロドロしたものが渦巻くような感じがした。思わず腹を押さえてしまうほど不快感に苛まれるようだった。
『イメージとは、高ければ高いほど落ちるときのダメージが大きい、危険性を
先生は総評して話を締めくくった。
表面的な話を聞いただけでは春ちゃんに何があったのかわからない。どうして今の姿になったのか、想像はついても本当のところは本人に聞くしか知りようがない。
だけど、原因があるかもしれないことはわかった。
春ちゃんは、ある日突然、変わったわけではなかったのだ。
***
それからしばらくして、日高春奈の周りで変化が訪れた。
彼女は相変わらず陰キャに徹しているが──徹しているつもりなのだろうが、時間が経つにつれ、彼女の生まれ持つ性質が見つかりはじめたのだ。
「よく見ると、日高さんってスタイルいいよね」
事の発端は、
秋人はどうも俺と彼女をくっつけたがっている。化学実験室で俺と彼女が話しているのを見て以来、日高春奈と唯一会話を成り立たせた人物として、俺を特別視してくるのだ。
「背高いし手足は長いし、胸もいい感じに膨らんでるし。特に身長は、桜ちゃんくらいないと隣を歩く男子がチビに見られて可哀想だ。彼女には桜ちゃんしかいないね。顔さえ度外視したらお似合いだよ」
その顔が実は最高レベルなんて言ったら、やつはどうするのだろう。言わないけど。
秋人の言葉をきっかけに、今まで日高春奈を地味認定していた男子たちがこぞって注目し出した。やはり美人は隠しきれないものらしい。
そうして見つかりはじめた日高春奈だが、当人は口の端にかかっているなんてつゆほども思っていないようで、時折、前髪を耳にかけて整った顔の上部を晒している。
俺は、いつかバレるのではないかとヒヤヒヤしていた。
話しかけるなと言われたし、検索するなと言われたのに調べてしまった手前、彼女に声をかけられずにいるが、一刻も早く現状を伝えたかった。
音楽の時間だった。
4つの芸術科目の中から1つを選ぶ選択授業。音楽を選択した俺は、1人ずつ1節を歌うという課題に、音楽なんか選択するんじゃなかったと後悔を抱きながら出番を待った。
そして、出番がやってきた──日高春奈の。
今にしてみれば、どうして素顔を隠しているやつが音楽を選択したのだろうと疑問に思えるが、このときの俺はさして深く考えていなかった。
というより、そこまで考えが回らなかった。
日高春奈は、異様な緊張感に包まれている音楽室にその美声を響かせた。
素人目に見ても異常だった。発声、ブレス、音程、声量。すべてがこれまでの発表者と比べものにならない。これがプロかと、唸るほかなかった。
次の発表者が可哀想になるくらい完成された歌声だった。
まあ、次の発表者は俺だったんだけど。
日高春奈の美声は瞬く間に噂になって、すぐさま合唱部の部長が勧誘に来た。
「うちは全国の常連よ。テレビにも出てる。それでも金賞は取ったことがない。日高さんが入ってくれれば、きっと金賞も夢じゃないわ」
なかなかに熱い先輩だったが、誘い文句がダメだ。地雷しか踏んでいない。
案の定、彼女は断った。
「興味ありません」
しかし、それで諦める先輩ではなかった。
来る日も来る日もうちのクラスに足を運んでは彼女を勧誘し、校舎ですれ違えば合唱部で鍛えた声で話しかける。
おかげで日高春奈の存在がどんどん広まっていった。
この先輩に関わるかぎり噂の的になり続けるだろう。
そしてある日──。
「見学に来てくれるだけでいいのよ。ね?」
「先輩」
見て見ぬふりをするのが限界だった俺は、ついに助け船を出してしまった。
「実は、日高さんは習い事をしていて部活に入る余裕がないんです。彼女、言葉足らずで……すいません。なので、諦めてください」
コンクールに出るときは教えていただければ応援に駆けつけます、とダメ押しで補足したら先輩は諦めてくれた。
「わたし、習い事なんて」
「いいから、ちょっと来て」
文句がありそうな日高春奈の手を取って連れ出す。
教室を出る間際、にやつく秋人が目に入ったが見なかったことにする。今は、自分の才を軽んじている彼女にひと言を言ってやらないと気が済まない。
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