かつて憧れた美少女が隣の席の陰キャになっている

吉永結希人

第1話 隣の席の陰キャは幼なじみ?

 化学の教師が時間ギリギリまで板書しているが、俺はノートに写し取るのを早々に諦めて筆記用具を片づけノートと教科書を閉じた。


 早く終われと念じて1分が経った。授業終了まで残り1分。秒針が1周するのを追いかける。


 秒針が4を指し示したとき、向かいの席の女子を一瞥した。


 顎のラインまで伸びた前髪が輪郭を隠し、白い不織布マスクが鼻から下を覆っている。見える顔のパーツは眉と目だけ。よく見れば、長く細い眉とアーモンドのような目が理想に近い形をしている。


 しかし、ひどく陰湿なオーラを放つ女子だ。

 近寄るなオーラがぷんぷんで、感じ悪い。


 向かいの女子は俺の視線なんて気にも留めず、黒板とノートを交互に見ながらシャープペンシルを走らせている。


 彼女と顔を合わせて1週間。俺は彼女を、ただの陰キャラだと思っていた。俺だけではない。クラスの大半がそう思っていることだろう。


 なぜなら、彼女はクラスメイトに話しかけられても、基本「そう」とか「うん」とか短い返事ばかりだからだ。


 キラキラした高校生活とは裏腹な現状に落胆してその態度ならわかるが、初日から冷たかった。もう、もとからの性格としか思えない。


 そうして勝手に陰キャの評価を与えたわけだが……。


 正直に言うと、今は後悔している。

 陰キャどころか、もしかしたら彼女は──。



「はい、じゃあ今日はここまで。日直、号令」


 チャイムが鳴るとともに教師が終了の合図をかけた。


 日直の「起立」の号令で立ち上がり、「礼」が終わると息をつく。化学実験室はあっという間に賑やかになった。


 俺は立ち上がったまま向かいの女子に話しかけた。


日高ひだか春奈はるな、だよね」

「は?」


 椅子に座り直して筆記用具をペンポーチに片していた彼女は動きを止めて、訝る声とともにこちらを見上げた。


 彼女のアーモンドアイに俺が映っている。

 こうまっすぐに目を合わせるのは何年ぶりだろう。


櫛木島くしきじまだよね」


 言い直すと、アーモンドアイが縦に開かれた。自分の胸が高鳴るのを感じる。


 やっぱりそうだ。隣の席の陰キャは、俺がかつて憧れた幼なじみだったんだ!


 ***


 もともと俺は、同い年の子どもに比べて体格がいいほうだった。見た目だけでいえば、ガキ大将そのもの。よく食べて寝なくても勝手に体が成長していった。


 身長が190センチある父親の遺伝だろう。人よりも成長が早いのは無理もないと思っていたし、中学校に入学するまではこの体とうまく付き合っていた。


 問題は中学生になってからだ。


 その中学校には、男子が入れる運動部がバスケ部、サッカー部、野球部、バレー部に限られていた。


 バレー部を除いたほかの部活は、ミニバスやらクラブのチームやらに所属していた人たちが集まるので、未経験者は必然的にバレー部に選択肢が絞られた。


 今思えば、どうして運動部にこだわったのか。まあ、格好がつくと思ったのだろうな。そうしてバレー部に入部した俺は、あれよあれよと身長を伸ばしていった。


 高さが必要な競技だから嬉しいかぎりではあるのだが、卒業する頃の身長は中3にして179.9センチ。高校入学後の健康診断で、ついに180センチ台に乗ってしまった。


 成長のすべてをバレー部のせいにする気はないが、少なくとも片棒は担いでいるだろう。


 本来だったら、高身長はステータスになる。俺だって自慢したかったよ。だけど、生まれながらにして持つアイデンティティがそれを良しとしなかった。


 自己紹介するのも嫌なのだが。


 俺の名前は、八重桜馨。

 音にすると、、だ。


 この容姿でその名前。小学校までは気にならなかった名前が、中学に入った瞬間、コンプレックスになった。でかい体に似合わない可愛らしい名前は、中学でからかいの対象となったのだ。


「女子は八重桜の苗字が羨ましいんじゃねえの?」と冗談半分で言った友達の言葉に、女子が「え、やだよ。そんな可愛い名前は背負いたくない」と本気で返してきたときは、さすがにへこんだ。


 俺、背負ってるんですが。


 まあ、からかってきた人間の大半が友達だったからいじりの範疇だ。似合わねえと笑っていたのも最初のうちで、2か月も経てば日常に溶け込んでしまった。何食わぬ顔で「八重桜」と呼ぶようになった。


 ただ俺は知った。この名前は自分にふさわしくないのだと。よって、高校では先手を打とうと思った。


 入学式後のホームルームで、金髪碧眼の外国人が


「ハーイ、こんにちは。みなサンの担任になりマシタ、宮本みやもとジェシカ、デス」


 と、陽気に挨拶したのを始まりとして、出席番号1番の阿井あいから生徒の自己紹介が行われた。

 阿井が、


「生まれてこの方、出席番号が1番以外になったことがありません。阿井秋人あきとです」


 と、ユーモアを交えた結果、その後もゆるやかな空気に包まれる中での自己紹介となり、時にはクスクスと笑いが起こる非常に雰囲気のいい状態で俺まで回ってきた。


 バンッと机を叩くようにして立ち上がる。


「出席番号34番、八重桜馨。俺のことは苗字でも名前でも呼ばないでください」


 後ろに2人を残して、俺は場を凍りつかせた。


「オウ……。では、ナント呼べばいいデスカ?」

「勝手にあだ名をつけて、あだ名で呼んでください」


 そんなわけで、俺はクラス共通のあだ名をつけられた。


 さくらちゃん、と──。


 可愛らしい名前が嫌だったからあだ名で呼べと言ったのに、もっと可愛いあだ名をつけられてしまった俺は、ものの見事に出だしで躓いてしまったわけだ。それも自業自得で。


 こうして前途真っ暗な予感をさせるスタートを切ったのだが、そんな俺にも1つだけ高校生活に楽しみがあった。


 それは、なぜか空いた隣の席の存在。

 日高春奈さんという女子の席らしい。


 その名前に聞き覚えがあった俺は、彼女の存在だけを楽しみに学校に通った。



 1週間後、ようやく彼女が登校してきた。

 ところが──。

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