夢ヶ崎眠々は微睡みの中で 短篇
真菊書人
夢ヶ崎眠々は微睡みの中で
俺がよく読む小説には、主人公が通う学校にいる女子生徒がおとぎ話のヒロインの様にもてはやされるという独特の文化がよく登場する。俗にいう“ライトノベル”というものにありがちだが、俺はこの手のヒロインを好きになったことがなかった。別に特段理由があるわけではない。ただ好きになることがなかっただけで、当然嫌いというわけではない。
強いて言うなら、例えフィクションであってもその存在が“あからさま”だと感じたからだろうか。創作の世界にとやかく言うのはナンセンスであるとはわかっているが、作中の文言を借りるとすれば「現実離れした美少女」というものに恋焦がれる気持ちが、俺には理解できなかった。
――そう、それはすべて過去形なんだ。
放課後の図書室の片隅。夕日が直接窓から差し込むほどに傾き、グラウンドからの運動部の威勢のいい掛け声はもうまばらになってきた頃。俺はふと気付いて腕時計を見る。時間は17時38分。放課後以降は何故かチャイムを鳴らしてくれない不親切なスピーカーの代わりにセットしているアラームが今日はうっかり忘れてしまっていた。
俺は広げていたノートと参考書をそそくさと片付けていると、ふとあることを思い出す。予想が外れていることを願いながら本棚を挟んで裏手にある読書用の椅子に目を向けると、案の定だと俺は壁に手をついてうなだれる。
そこに座っていたのはまさに、現実離れした美少女――夢ヶ崎眠々が気持ちよさそうにおやすみ中だった。
「……おい」
すやすやと寝息を立てている彼女を起こそうと肩を軽く叩く。これで起きてくれればいいのだが、彼女は目を覚まさない。
俺はやれやれともう少し強めに肩を揺する。だが彼女は不機嫌そうに顔をしかめて唸る。またこのパターンかとため息を吐き、いつもの最終手段に出る。
「……そんなに寝たいなら、また電車で寝ればいいだろうが」
そう言うと、彼女は少し頬が緩んだかと思うと、ゆっくりと目を覚ました。
「おはよう、マクラくん」
夢ヶ崎はウチの高校の“眠り姫”と呼ばれている。といっても学生という身分である以上授業は真面目に起きているらしいが、昼休みははじまってものの数分で食事を済ませてすぐに昼寝。今日みたいな放課後もすぐには帰宅せずこの図書室でまた昼寝と、言ってしまえば只の昼寝大好き娘なのだが、そこは「可愛いは正義」というやつなのか、あれよあれよと美化された話は膨らみ、いつの間にかそのように呼ばれるようになっていたらしい。
「いい加減一回で起きてくれ……あと、俺の名前は鎌倉だ」
「ふふっ、ごめんなさいね。でも、今日も付き合ってくれるんでしょ?」
そう言って夢ヶ崎は上目遣いでこちらを覗き込む。その目には狙ってやっているようなあざとさはなく、ただただこちらを信頼しきっているような純粋さしかなかった。
「いくら帰りに乗るバスも降りる駅も同じだからって、毎日俺がお前のおもりをする道理はないだろ」
はき捨てるように言うと、今度は不貞腐れたような顔で口をとがらせる。
「だって約束してくれたじゃないの」
駄々をこねるように二、三回俺の横腹を鞄で小突いてくる。言ってもきかない事はもうわかっているので俺は諦めて自分の鞄を担ぎ、先ほど使っていた参考書で夢ヶ崎の頭頂部にポンと乗せる。
「これ借りてくから、パパっと手続きしてくれ。もう15分もしないで締め出されるぞ」
夢ヶ崎はまだ不満そうな顔をしながらも渋々とその本をもってカウンターに向かう。めったに人が来ない図書室とはいえ、司書係が隅で寝てるのはいかがなものかと、またため息を吐く。するといくらもしないうちに戻ってきた彼女に参考書と夢ヶ崎の鞄を渡される。
「閉めてくるので、先に出て待っててください」
受け取るや否やまたパタパタとカウンターに戻っていく。俺は参考書を鞄に仕舞う。
「ハイハイ、お姫様……」
彼女の耳には届かないくらいの小声で呟き、俺は図書室をあとにした。
―◇―◇―◇―
「お待たせしました」
小走りで向かってきた夢ヶ崎は俺のそばに来るとすこし弾む息を整える。
「先に帰ると拗ねるからな」
「……そんな子供じゃありません」
そう言った彼女はまさに子供の様に頬を膨らませていた。そして二人は近くのバス停まで一緒に歩き始める。
「俺みたいなやつと一緒に帰ってるところなんて見られたら、なんて言われるか知らねぇぞ」
独り言のようにぼやくが、どちらかというと俺自身が知った顔に見つかりでもしたらなんて言われるかわかったもんじゃないと気が気でないだけだった。
「こんな遅くまで学校に残ってるのは、私とマクラ君だけですよ」
「俺は残りたくて残ってるわけじゃない。あと鎌倉だ」
「でも、残ってくれてるでしょう?」
その言葉に反論しようと夢ヶ崎のほうを見ると、彼女はまた笑っていた。それはそれは楽しそうに、そしてとても嬉しそうにしていたので、俺は気まずそうに顔を背ける。すると彼女はクスクスと笑う。
「……なんだよ」
「いいえ?ただ、いつも図書室で寝過ごしそうになっていた私を見つけてくれて、その上送り届けてくれるマクラ君はやさしいな~って思ってるだけですよ?」
「別にあの時は――」
言おうとした直後、背後からバスが通り過ぎる。それは普段俺たちが乗っているバスだった。
「いけない、急ぎましょ!」
そう言って夢ヶ崎は俺の手を引いて走り出す。俺は急に引っ張られた反動をなんとか踏ん張りバス停に向かって走る。幸いほかの乗客がいた為、乗り過ごさずに済んだ。
「はぁ……はぁ……急に引っ張らなくても、走ったっての」
普段運動なんて滅多にしない所為か、たかが数メートルを走っただけで息が切れ、フラつく足で一番奥の座席に倒れるように座り込む。
「ごめんなさい、咄嗟に」
そう言って夢ヶ崎は俺の隣に座ってくる。乗客は俺達含めて三、四人程度だが、決まってここに座っている。
「ちょっと運動したおかげで、よく眠れそうです」
「お前、それはふつう逆じゃ……」
すると俺の肩にトンと体重がかかる。バスが曲がったわけではなく、夢ヶ崎が身体を預けてきたのだ。
「それじゃあ、また20分ほどよろしくお願いしますね。マクラ君」
そう言うと夢ヶ崎は瞳を閉じる。「俺はマクラじゃない」とツッコもうにも、もう聞いちゃいないと諦め、窓縁に肘をつく。窓ガラスに反射して映る彼女は、とても穏やかな表情で眠っていた。
―◇―◇―◇―
バスに揺られること20分。俺と夢ヶ崎の降りる駅に近づくと、俺は夢ヶ崎を起こした。辺りはすっかり暗くなっていた。
「それじゃあ、私はここで……」
「送ってくよ」
俺の申し出がよっぽど珍しかったのか、夢ヶ崎は目を丸くしていた。俺もほぼ無意識にそのような言葉が出ていたので、内心焦りつつも弁明する。
「お前の家、そんな遠くないんだろ?暗くて危ないから……それくらい付き合う」
我ながら支離滅裂な言い訳だったが、夢ヶ崎は数刻考えたのち、「じゃあ、お言葉に甘えて」と並んで歩き出す。
「鎌倉君って、案外かっこいいところあるんですね」
「案外ってなんだよ。あとちゃんと名前呼べるじゃねぇか」
そう言うと夢ヶ崎はフフッと笑って、俺は頭をかいた。本当に、こんな妙な関係がいつまで続くのかとため息を吐く。だが口で否定していても、拒む理由を探しても、結局明日も今日と同じなのだろう。他人から見れば役得以外の何者でもないのだろうが、実際に当事者になると心労は絶えなかった。そう色々と考え込んでいるうちに、夢ヶ崎と表札に書かれた一軒家の前にたどり着く。
「じゃあ、私の家はここなので……」
と、夢ヶ崎は立ち止まる。何事かと様子をうかがっていると、夢ヶ崎がニヤニヤと笑いながら俺の耳元で囁く。
「……いつでも遊びに来てくださいね?」
思わず顔を赤くして「違う!」と強く反論する。夢ヶ崎は愉快そうに笑って玄関に向かう。
「それじゃ、また明日」
そう言って夢ヶ崎は自宅に入っていった。あぁもう、と俺はまた頭をかく。そして、顔の近くにあった手で自分の頬を強くつねった。
――本当に、夢ならはやく醒めてくれ。
夢ヶ崎眠々は微睡みの中で 短篇 真菊書人 @937Gpro
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