第七二一海軍航空隊

桜靖

サボり

平日の正午ごろ僕は靖国神社にいた。別に僕は信心深いわけではない。学校に行かずにできた暇をつぶすのにここはちょうどよかった。

「やっぱり昼になると暑いな」

僕は春から夏へ移り変わる季節を感じながら売店でソフトクリームを買い、鳥居をくぐり、適当な右から二番目の桜の陰に入った。

   ─神雷桜─

ここは神社だ。おそらく桜一本一本にも意味があるのだろうが、僕にはそれを知る由も興味もなかった。しかし、目の前にそびえたつ桜の木に魅力を感じ、自分にも日本人の血が流れているのだと感心する。僕はソフトクリームを食べ終わり、適度に冷えた手で桜の幹に触れた。

「‼」

幹に触れた瞬間、右手が強く引かれるような感触を感じ、すぐに手を引っ込める。

「今の感触は一体……」

 僕は自分の右手をもう一方の手でさする。特に外傷はなく,ただ強く引っ張られた感触が残るだけだった。

「幹に腕を引かれた? いやそんなわけないだろう… 強い風が吹いた? いや風なんて全く、それに桜の葉も枝も揺れていないし でも右手にはしっかり感触が残っていて……」

混乱した僕はあふれる疑問をおもむろに紡いだ。独り言は一人っ子な僕の昔からの癖だった。

一通り考えたのち、結論は出ずとも落ち着いた僕は、人に見られて怪しまれていないかとあたりを見回す。周りには不自然なほど人も音もなかった。

右手に残る感触が気になり、僕はもう一度その頑丈ながらしなやかさを魅せる桜の幹に目をやる。

僕は覚悟を決め、しつこく周囲を警戒し人がいないことを確認すると、再び桜の幹に自分の手を重ねた。

その瞬間僕の体は強く引かれ、めまいを起こし、その場に倒れこむ。

めまいが落ち着き辺りを見渡すと、さっきまで目の前にあったはずの桜の木はそこになく、代わりに古びた木製の扉と晴屋食堂と看板に書かれたこれまた木造の建物があった。






「誰かいるのかい?」

突然扉が開かれ中から人のよさそうな四十代ほどの女性が出てきた。

「大丈夫かい⁉」

僕がその声に驚きキョトンとしていると右腕を掴まれ倒れこんでいた体を引き起こされた。

「とりあえずこんなとこに倒れこんでないで、店上がんな」

 そうやって僕は店の中に連れ込まれた。

「あのー、僕は… というかここは一体……?」

「ちょっと待っとき!そこの椅子座ってていいから!」

そう言って女性は台所に行ってしまった。

仕方がないので僕はいくつかあるテーブルの中で一番出口に近い椅子に座った。

「僕は靖国神社の桜の前にいたはずじゃ? なんでこんなところに… いやそれよりもここは一体どこなんだ? 喋ってる言葉もどこか違う地方のようにも感じられるし… ってかこれって僕帰られるよね…⁉」

何とか落ち着こうとするが、自分の置かれている状況の把握にすら繋がらなかった。

少しすると女性は手に水の入ったコップを持って帰ってきた。女性は僕と向かい合わせになる席に座った。

「はい、とりあえずお水でも飲んで」

そうして僕は貰ったコップに口をつけた。いつの間にか喉が渇いていたみたいだ、僕はコップの中の水を一気に飲み干してむせてしまった。

「げほっ ごほっ」

「あーあーそんなあわてんと」

「ごほっ すみません…」

 何とか落ち着いた僕は女性に問いかけてみる。

「あっ、あの、ここは一体どこなんでしょうか?」

「ここは宇佐だよ、宇佐飛行基地の近くの食堂」

「うさ……」

うさ、ウサ… うさ? どこだそこ、聞いたこともない。家まで帰れる距離だろうか?

「すみません、うさって東京のどのあたりですかね?」

「東京⁉ 何言っとるん、ここは大分や」

「おっ、おおいた⁉」

僕は飛んで行ってしまいそうな意識を必死につなぎとめた。

大分⁉ なんでそんなところに僕はいるんだ? 今まで僕は東京の靖国神社にいた筈じゃ… めまいがしている間に何が起こったんだ? まさか眠らされて誘拐? いやだとしても目的が分からなすぎる 怖い、怖い……

「じゃあこっちからも質問いいかい?」

僕がくらくらしていると今度は女性の方から声がかかった。

「あんたはどうしてあんな店の真ん前でうずくまって倒れていたんだ?」

そんなことは僕が一番聞きたい。

「ええと まず靖国神社で桜に手を引かれて… いやちがう めまいがして… きづいたらたおれてて そこから先は僕もよく…」

 状況を説明しようとすればする程、訳が分からなくて、人に聞かせても絶対に信用に値しないような話で、言葉にすることで自分の置かれている状況が鮮明化してきて詳しい説明ができなくなる。 

「なるほど? 別にしゃって話さんでもええけ」

 ああ、完全に変人だと思われた。もう嫌だ

「とりあえず落ち着いて、時系列順に話してくれるかい?」

 いや違う、きっと目の前のこの人は僕の話をしっかり聞こうとしてくれているんだ。例えそうじゃなかったとしても、そうだという事にしておこう。じゃないと今僕が頼れる人間はきっとこの人しかいないのだから。

「すみません えっと、ちゃんと話します」

「まず僕は靖国神社にいました。東京です。僕はそこの桜の木の陰で日の光を遮って休んでいました、ふと気になったので桜の幹に触れてみたら、強く腕を引っ張られるような感触がして。その時はすぐに手を離したのですが、もう一度気になって触ってみたんです。そしたら今度は腕を惹かれる感触と共にめまいもして、それでよろけちゃって、気付いたらさっきの場所に倒れこんでいました。」

「なるほどねぇ」

やっぱり、絶対一切信じられていないぞこれ。

「すみません訳が分からないですよね」

「いやぁ、でも大変やったなぁ」

「てことは、あんた住めるところもないんやろ? ほなうちに居ってもええよ」

「え? 僕の話を信じるんですか?」

「まあそりゃ信じられんような話やけど、こんな世の中やからこそ助け合っていかなやと私は思うから……」

「あ、ありがとうございますっ!」

僕はこの状況で出会えたのがこの人で本当に良かったと思った。

「でもただでは住まさせんよ、ここは食堂や

ちょうど今から夕食時やけん、お手伝い頼んだで」

「もちろんです」

 そうか夕食時か、という事はほとんど時間の経過はしていないか、丸何日か経っているという事だろう。

「あのー、日付だけ教えてもらっていいですか?」

「今日のかい? 今日は確か七月の二十一日だったと思うけど」

「ありがとうございます」

 そうか七月末か… 夏休みが始まっている時期じゃないか、僕はそんなに意識をなくしていたのか… 家族は捜索願を出していないのだろうか? ええいもう考えるのも面倒くさい、そもそもどれだけ考えようと恐らく答えは出ないのだろうから。

僕は考え事をやめ席を立った。

「そういえば自己紹介がまだやったね

 私はこの晴屋食堂を営業しとる大石ハルよ」

「僕は桐生翔太です。それで、何をやれば?」

「そうねぇ、注文取りと料理をお出しする手伝いをお願い」

 なんだ、その程度ならお安い御用だ。僕は過去に暇つぶし程度だが叔父さんの飲食店を手伝わせてもらったことがあった。

「ここの食堂はどういうお客さんが多いんですか?」

地方の飲食店なら客層の把握も大切だ。

「うちは近くに宇佐基地があるからね、そこの兵隊さんがよく来られるよ」

 宇佐基地… なるほど自衛隊の駐屯地でも近くにあるのか。にしても兵隊さんなんてえらく古風な言い方をするもんだな。

僕がそんなことを考えているうちに食堂の戸が開いた。

「こんばんは」

開いた戸の奥に立っていたのは迷彩服を着た自衛官ではなく、確かに兵隊さんという呼び名の方が正しいような軍服を着た人たちだった。

「あれ、ハルさん。その子どうしたんです?」

「それが、急に店の前に倒れとって行く当てもないらしいけんここで匿うことにしたのよ。」

「そりゃむげねーのー、にしてもほんまにお人よしやねえハルさんは」

「僕、桐生翔太って言います。よろしくお願いします」

「いい好青年やないか、 ハルさんいつものよろしく」

「はいはい、じゃあ翔太君は奥の棚からコップ持ってきて」

僕はコップを運びながら、自衛官たちの声に耳を傾けた。

「にしても二十一日の空襲はひどかったっちゃんね」

「ほんとここまで被害が来なくてよかった」

「あれから三か月は立つが未だに復旧作業が終わってへんとこもあるらしいですよ」

「早く戦争を終わらせないとな」

「必ずやって見せよう俺たちで」

 戦争⁉ 空襲⁉ 一体何事だ⁉ まさか…

「ハルさん! 今って何年ですか⁉」

「今は一九四五年、昭和二〇年だよ」

 頭がくらくらする。今まで感じていた違和感の訳が分かった 一九四五年… 七〇年以上昔になんで僕が… 考えているうちに視界が霞み 床に落ちるグラスの音を最後に僕は意識を手放してしまった。






次に意識を取り戻すと、そこは畳に敷かれた布団の上だった。今見ていたのは長い夢だったのかもしれないと思いつつ、ふと隣を見てみるとそこには困り顔で座っているハルさんが居た。残念だ今までのは夢じゃなかったようだ。僕は何も考えられないと訴える脳みそをたたき起こし声を発した。

「すみません、気を失ってしまっていたみたいで」

するとハルさんはとんでもない勢いでこちらに振り向き喜びの表情を浮かべた。

「よかった。 このまま起きんかったらどうしようかと思った…… 軒先に倒れてたっていうのに無理させて本当にすまなかったね……」

 正直言って僕はハルさんになんの不満も持っていなかったし、ハルさんの謝罪なんて全くもってほしい情報ではなかった。

「こちらこそすみません」

 僕が起き上がろうとすると、強く止められた。

「体がしんどいんやけ、朝まで寝ときんさい」

 弱ったな、僕はいち早く今置かれている状況を把握したいのに…… こうも止められてしまうと動けない。

「わかりました。お言葉に甘えて少し寝かしてもらいます」

「あとそんなにかしこまらんでええけんね。それじゃあおやすみ」

 そういってハルさんは部屋を後にした。

ふすまが閉められたたことを確認して僕は動き出した。まずはポケット、スマホがつながるかどうか確かめたかった。が、肝心のスマホはそこにはなかった。しまったスクールバッグの中に入れて靖国神社に置いたままか、スクールバッグが靖国神社にあるままとなると僕がこちらに持ってこれたのは学ランだけとなってしまう。にしても、この世の中で学ランって着ていてもよいのだろうか。明日またハルさんに聞いてみよう。とりあえず今できることが殆どないことが分かった僕は布団に入って寝ることにした。

 布団に入ったはいいものの僕はなかなか寝付けないでいた。それもそうだ、桜に触ったら突然腕を惹かれて気づいたら八〇年前の戦時中に飛ばされているなんて誰もが寝れなくなるに決まっている。きっと僕がこれだけ冷静でいられるのは、まだ事情を理解しきれずに脳がエラーを出し続けているからだろう。まともに動かない脳でぐるぐると同じようなことを考え続けても意味がない。僕は寝ることに専念することにした。

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