第048話 ガスカ社

 ──レーク海軍工廠地帯。

 東西へと伸びる、港湾部の工場地帯。

 そのほぼ中心部にある、軍事産業大手企業支社のビル。

 この世界の文明水準としては高層となる、コンクリート製の六階建て社屋。

 その四階の支社長室から対岸の兵隊の群れを、丸い眼鏡越しに睨む壮年の男。

 ──海軍大臣、ザッパ・ラルス。

 四十代半ば、身長は一八〇センチ強。

 細身でありながらも、骨に付随させている人肉はほぼ筋肉のみ……という、野生の肉食獣のようなしなやかな体つき。

 焦げ茶のオールバックに、形よく整えられた顎髭。

 薄い縦縞模様が入ったグレーのスーツは、アイロンがパリッと効いていて、柔軟性に富んだ身体を恰幅よく見せている。

 野心に満ちた鋭い目つきを、同室の支社長席の男へと目を向ける。


「……どうやらこちらへは、戦姫團を向かわせるようですな」


「それは残念。女のむくろなど、見たくもありませんからね。アタシは」


 白いスーツをパツパツになるまで押し広げている、全身の固い筋肉。

 ザッパとは異なり、骨太な巨躯をこれ見よがしに体幹から広げている。

 スポーツ刈りのような薄い頭髪は、頭部の凹凸を隠すためにきれいに切り揃えられており、腕の立つ理容師の仕事振りが伺える。

 髭のないつるつるとした顎をさすりながら男が立ち上がり、ザッパに並んで太い葉巻を咥える。


「しかし、ま……。将校たちが囮で、アタシのような民間企業が本陣とは、鎮圧部隊は夢にも思っていないでしょうね。ふーっ……」


「それはどうですかな、支社長? ふふっ」


「……ん?」


 支社長と呼ばれた男が、葉巻を一旦口から離し、煙をすべて吐き出す。

 葉巻にはうっすらと口紅が移っている。


「……大臣。アナタのその含み笑いは、いやなニュースの前触れよね?」


「ええ、恐縮ながらね。歌劇で陸軍の広報を務める後方部隊……は、戦姫團の表の顔。その実は、異才を揃えた精強部隊です。その戦姫團がこちらへ……ということは、この内乱の内幕、看破されている気がしますよ。豪族や豪商の娘が多い部隊……ということは、その筋の情報も集約されている、ということですから」


「ま、別にいいわ。戦争が始まってしまえば、国内の軍需企業はすべてこのガスカ社の傘下……という事実さえ、変わらなければね。戦犯結構。それは大臣、あなたもでしょう?」


「……ええ。ただわたしが得たいのは、金ではなく……夢。子どものころに夢見ていた空飛ぶ飛行機が、四十路を迎えても実現していないこの世界には絶望しています。破壊と再生スクラップ&ビルドがなければ、夢は芽吹かないのだとようやく気づきましたよ」


「大臣、徹底的な現実主義者リアリストだと思っていたのに、心は夢見る少年だったのね」


「夢とは、現実を見つめ続けた先か、現実から目を背けた先にあるもの。わたしはその前者、なだけですよ。ところで支社長。あの戦姫團の行軍に、あなたの姪子さんが合流しているという情報がありますが」


「……ミオンね。亡き兄の一粒種。かわいい子わ。そしてずいぶんと、データを提供してくれた。けれど情けは無用よ。下士官への伝達は不要。ふーっ……」


 ──カンカン、カンカン、カンカン!


 鉄輪のドアノッカーが、計六回。

 社外の者、軍属の者の合図。

 支社長が咥えていた葉巻を灰皿に置いて、返答。


「……漫画か?」


「……はっ! 第一話が仕上がりましたので、お持ちしました!」


 くっきりとした木目の厚い扉の向こうから、プロパガンダ用漫画の担当女性兵・カリータの声。


「……いまがどういう時か、わかっているのか?」


「はっ! 支社長室には、立派な耐火金庫があると聞き及んでいます! 支社長も大臣もお気に召しておりましたので、万一の消失に備えて……と、持参した次第です!」


「ふふっ……いい心掛けだ。使うべきときに、使うべきものが頭に浮かぶ。使える奴の特徴だよ。入っておいで」


「はっ……! 失礼します!」


 ──ガチャッ……バタン。


 入室するカリータ、その背に続くイザヴェラ。

 見覚えのない女の存在に、支社長が目ざとく気づく。


「……そっちのは?」


「はっ! 同部隊の同期で、絵心がある者です。リム・デックスの助手として、手伝わせております」


「いいだろう。封筒をこちらへ」


 ギュッ……と葉巻を灰皿へ押しつけ、消火。

 手をはたいて煙を飛ばし、原稿へ匂いが移らないよう配慮。

 支社長の、漫画の気に入りようが伺える所作。


「どれどれ……へええ。しっかり仕上がると、また商品価値の高まりを感じるねぇ。アタシは金儲けは好きだが、あの漫画……特に少女漫画ってやつは、商材として好かないね。やけにキラキラした男女が、着飾って言葉を飾って、結局やることは乳繰り合い……くだらない。でもこの漫画は……いいよ。幅広い客層に、安定した売り上げが見込める。プロパガンダに使うのは、ちと惜しいね」


 商品価値を見出し、原稿を丁寧に扱う支社長。

 その背後から、ザッパも広い肩越しに拝読。


「……ああ、わたしもこの漫画は好きだ。夢がある。設計技術者に見せたが、描かれている軍艦の構造が理に適っていて、いずれこの造形へ収斂しゅうれんしていくだろうと感心していた。空想を描くということは、こういうことだ」


 原稿に目を通す、支社長と大臣。

 その隙に、カリータがイザヴェラへとそっと耳打ち。


(……な? 上層部に大受けだろう?)


(しかしあの原稿は、ほとんど自分の作画……。リム先生が、自分の絵柄のほうが合うからと描かせてくれたが、自分はリム先生の美麗な生原稿を見たかった)


(ああいう少女漫画はダメだと、いまお二方が言っただろう。よし、そろそろ失礼するぞ!)


 カリータがイザヴェラを押しながら、退室を促す。


「それでは失礼します! 引き続きリム・デックスの監視に当たります!」


 ──ガチャッ……バタン。


 支社長がトントン……と原稿を叩いて揃え、封筒へと入れる。

 商品価値を認めたものは丁寧に扱う、身に着いた性分。

 その背後でザッパが、顎髭を弄りながら閉められたドアを見詰めていた。


「後ろの女性兵……どこかで見たような────」

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