第036話 罪の意識

 ──丈の低い柔らかなイネ科の雑草が広がる、小高い丘の草原。

 戦姫團、セイレーン一行はそこで行軍を止め、先ほどの戦いの疲れを抜く。

 幅四メートルほどの流れが緩やかな川を挟んで、気が合う者同士で固まって昼食と水分を摂る。

 メニューはおにぎり、乾パン、乾燥フルーツ、塩飴等々の携帯食。

 階級による質の差はなく、進軍を急ぐために大掛かりな調理器具や素材を用いない物が、担当の者たちによって配られた。

 配膳に加わっていたラネットが、手を空にしたところでフィルルの元へと駆ける。


「……すみません、團長。火を起こす調理をしても、よろしいでしょうか?」


 いす代わりになる石へと腰掛けていたフィルルは、腰掛けたままでラネットを見上げる。

 ラネットの表情には普段のはつらつさがなく、太陽光の加減で前髪が影を作っていたこともあって、暗く見える。


「あら、ここにラーメン屋の屋台を出すつもり? 一時間後には発ちますけれど?」


「あ、いえ……そういうわけでは。ただ……ちょっと料理でもして、気を落ち着かせたくって」


「……飛行船を墜としたこと、気にしてますのね?」


「……はい」


 トーン、ひいては城塞の仲間を護るためとはいえ、人命に手を掛けたラネット。

 罪悪感から、フィルルへから視線をサッと逸らす。

 フィルルは石の両サイドに手をついて腰を上げたのち、人差し指でラネットの額をツンとつついて、視線を正面へと戻させた。


「……あれの犠牲者は、害悪な老婆が一人。それも飛行船の墜落前に、銃で撃たれています。あなたが気に病む要素は、なに一つありませんわ」


「けれどボクは、それを知らなかったわけで……。声を発した瞬間のボクは、まぎれもない人殺しだったと……思うんです」


「フフッ、詮なきことを。わたくしなぞ、脳内で死に至らしめた者なぞ、数え切れず……ですわ。特に、リムさんへ仕事を振った海軍の愚か者などは、適当な姿を思い浮かべては、百通り以上の処刑を科しておりますわ。オーッホッホッホッ!」


「は、はあ……」


 フィルルの普段と変わらぬ高笑いが、ラネットの意識をわずかに日常へと戻した。

 その後方には、樹木に背を預けて座り、死んだ魚の目で空を見つめるイザヴェラ。

 顔面には、フィルルの手形がくっきりと赤く残っている。

 その正面へと歩いてきたネージュが腰を下ろし、イザヴェラと目線を合わせて右手の指を三本立てた。


「……イザヴェラ。何本に見える?」


「アハ……アハハ……五本……。アハハハ……」


「うーむ……。ダメージが抜けていないか……。食事はまだ出せないな──」


 ラネットの目の焦点が、フィルルへと戻る。

 先ほどと同じく笑顔だが、いくぶん柔和さが加味されているように見えた。


「まあ、それであなたの気が休まるというのであれば、許可しましょう。ただし、片付けまでが短時間で済み、一口程度のもので……ですが」


「は……はいっ! ありがとうございますっ! では、失礼しますっ!」


 大きくお辞儀をしたラネットの顔からは、暗さが消えていた。

 それからセイレーンの馬車へと飛び込むと、自分のリュックを片腕で背負って飛び出してくる。

 朝、母子とミオンを救ったときに中身がグシャグシャになってしまった、食材を詰め込んでいたリュック。

 駆けながらリュックの中へ鼻を突っ込み、くんくんと匂いを嗅ぐ。


「うーん……。ずっと馬車の中に置いてて日に当たってないし……しっかり火を通せば大丈夫かな。念のため、ムコに嗅いでもらおっと」


 ──バサッ!


「……潮の匂い、海産物だな」


「わわっ!? ムコッ!」


 ラネットの前方わきに立つ樹木、その枝葉の中からムコが天地逆さまで現れる。

 陸軍研究團・異能「鼻」二代目のムコ。

 異能「声」のラネットとは同期の同胞となる。


「え、ええと……。どうかな、ムコ……? これ、食べられそう?」


 ラネットがリュックの口を広げて、ムコの鼻先へと近づけた。

 ムコは姿勢を変えることなく、くんくんと鼻を鳴らす。


「腐敗臭は……ない。でも、心配が一つ……」


「心配……なにっ!?」


「……ここにいる全員分、なさそう。海の魚はめったに食べられないから、わたしにも分けてほしい」


「あ、量の心配ね……ははっ。身をほぐして焼きそばに混ぜるから、みんなに一口は行き渡るんじゃないかな……?」


「了解。かまどの用意と火起こしは任せて」


 すっ……と後転で静かに着地したムコが、跳躍気味の駆け足で川へと足を浸ける。

 そらから拳大の石を草の上へいくつも放り投げたあと、器用に円状に積んで簡易のかまどを構築。

 周囲の草に紛れた枯れ草や枯れ枝を目ざとく見つけ、かまどへと詰め込む。


 ──カッ!


 腰の荷物袋から火打石を取り出し、一回目の打ち合わせで器用に発火させた。


「……準備できたぞ、ラネット」


「はやっ! さすが山生まれ山育ち……って、ボクもだけど。じゃ、さっそくフライパンに油をひいて────」


「……ラネット、はい油」

「ラネットちゃん、はーい、お油っ!」

「油ですね、ラネットさん! どうぞっ!」


 リュックから先端を覗かせていた食用油の瓶。

 それ目掛けて、三方から三人の少女が手を伸ばした。

 正妻、トーン。

 側室気取りの、カナン。

 そして新顔、ミオン。


「「「……っ!?」」」


 三人は一瞬手を触れさせ、それから静電気を浴びたかのようにサッと戻した。

 そして交互に顔を見合わせ、視線を宙で衝突させて、バチバチと火花を散らす。

 その様子を見てムコが、手の中にあった火打石を跳ねさせて弄びながらラネットを向いた。


火打石これ、いらなかったね?」


「……だね。あははは……」

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