第032話 遠くの空から

 ──日本、令和四年秋。

 長崎市の繁華街近くにある、とんこつラーメン店「WONDER LAND」。

 星ケ谷愛里とアリス・クラールの二人が切り盛りしている、小さな店舗。

 日本三大中華街の一角、長崎新地中華街のそばにあり、ご当地名物麵料理ちゃんぽんと競合しながらも、常連客に愛されて営業中。

 その出入口の引き戸を、小太りの初老男性が独り言をつぶやきながら開いた。

 常連客の一人、渡辺。


 ──ガラッ。


「いや~、まいったまいった! あの棒銀に惑わされて、すっかり手順乱しちまった! おーいメグちゃん、お冷頼むっ!」


「ちょっとナベさん! いまはレディースタイム! 男子禁制よっ!」


「えっ? あっ……おおうっ!?」


 愛里がカウンター内で麺の湯切りをしながら、棘のない声色で警告。

 店内のカウンター席とテーブル席二つは、すべて若い女性客で埋まっている。

 渡辺は女性客一同からの冷たい視線と、化粧、香水のにおいに気圧されて退き、正面を向いたまま左足を店外へと出した。


「わ、わりい……。この時間まだ、オジサン立入禁止だったな……はは」


「ナベさん前に、『客が女の子だらけのとんこつラーメン屋なんて見たことねー』って言ってたじゃない? どお? これで満足?」


「よくもまあそんな言葉、いちいち憶えてるもんだ……。しゃあない、湊公園でもう一局指して、時間潰してくっか……」


「あ、きょうはもうスープ切れちゃったから、これで店じまいよ? ギョーザならまだあるから、常連特権で単品出してあげるけれど?」


「……いや、いい。きょうはもう、どっか飲み屋行くわ……。しっかし、ひいきの店が新参に占拠されるってーのは、いい気分じゃねぇなあ」


「新規が入らないと先細りするのは、どこだって同じよ、ナベさん? 将棋クラブだってそうでしょ?」


 愛里が丼のスープへ麺を滑らせながら、笑顔でウインク。

 それを受けて渡辺も、背を向けて引き下がる。


「……ま、しゃーない。潮が引いたら、またらぁ」


 ──ピシャッ!


 不機嫌そうに閉まる引き戸。

 渡辺が現れてから途切れていた女性客の会話が、フェードインで再開する。

 愛里は調理し終えた二杯のとんこつラーメンを、トレーへと載せる。


「アリス! 二番テーブル、奥の席!」


「了解!」


 アリスが両手でトレーを軽々しく抱え、厨房から客席へと運ぶ。

 アリス・クラール。

 異世界の出身で、五十年以上の歳月をかけて愛里との同棲を成した六十七歳。

 時間の流れに四倍差がある二つの世界を跨いで結ばれた二人の関係は、下僕獣との戦いを通じて全国へ報道され、世界、年齢、性別の壁を超越したカップルとして時の人に。

 異世界出身、アリスという名前、そして「WONDER LAND」という店名から、小説「不思議の国のアリス」になぞらえる格好で周知。

 同性婚、年の差婚のカップルから絶大な支持を得た。

 いま、とんこつラーメンを注文した若い女性二人も、アリスが目当ての客。


「……はい、お待ちどおさま」


 割烹着を身に纏ったアリスがテーブルへ丼を並べたとたん、一際黄色い声が沸く。


「きゃああぁああーっ! あのアリスさんが、目の前にーっ!」

「実物……すっごい若ーい! あの……記念撮影、お願いできますかっ!?」


 愛里と結ばれるために、全力で加齢に抵抗してきたアリス。

 頭髪こそすべて白髪ながらも、肌の張りと筋力は令和日本でいうアラフィフ相当。

 こちらの世界で言うところの欧米風の顔立ちもあって、世間の評価は美魔女。

 その評判と、現代日本での新鮮な経験が、アリスの加齢をますます遅らせる。

 アリスは後進とも呼ぶべき若い同性カップルからの懇願に、思わず頬を緩ませた。


「そこまでおっしゃるなら……どうぞ。フフッ……」


 アリスを中心に挟んでの、若い同性カップルの自撮り。

 スマホが疑似のシャッター音を数回鳴らした。

 空になったトレーを胸元に抱いたアリスが、ご機嫌気味に厨房へ帰還。

 右目を伏せて愛里を向く。


「フフッ♪ どう、妬ける?」


「嫉妬二割、自慢八割かしらねー。自分の彼女が人気者なのは、悪い気しないわよ」


「あら、それは残念。わたくしなぞ、嫉妬五割、警戒五割なのに。フフッ」


「百パー負の感情なの? おお怖……」


「だって愛里、人を惹きつける不思議な魅力があるんだもの。インスタでエゴサしたら、あなたのガチ恋勢がけっこう出てくるのよ?」


「うはぁ。もうすっかり日本の文化染まってるわね……」


「愛里はエゴサしたことないの?」


「ほとんどないわね。わたしの名前検索したら、昔の事件出てくるから」


「昔の……事件? まさか愛里って……こっちでは前科者なの?」


「……なわけないでしょ。わたしほら、高校生ンときに一度、アリスの世界へ行ってるでしょ? そのときにこっちじゃあ行方不明者扱いで、大騒ぎだったのよ」


「あら、それは初耳ね」


「『星ケ谷愛里さんを探しています』なんて全身像入りのポスターも出回ってさあ。言い訳も大変だったし、変質者に監禁されてたとかデマも出回ってねぇ……。それで実家出て、この祖父母のラーメン店に転がり込んで、なし崩し的に店を継いだわけ」


「へええぇ……。その話、店を閉めたらじっくり聞かせてちょうだいな、ウフフッ」


「あまり話したくないんだけれど、ネットで掘り返されてる噂鵜呑みにされるのもヤだし……ま、いっか。しかし、蟲も殲滅させてることだし……。さすがにもう、あっちの世界へ呼ばれることはなさそうよね」


「愛里、あなたそれ……。こちらの世界で言うところの、『フラグを立てる』ではなくて?」


「……やっぱ日本慣れしすぎよ、アリス」

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