第8話 古術の担い手 参
「とうとう、出会ったか……」
今宵は雲に邪魔されず薄い下弦の月が町を照らしている。
その景色を肴にするのはどれほど贅沢なのだろうか、風も穏やか、熱を持つ体には丁度いい。
「一年かぁ……意外と短い時間だったなぁ」
ある日突然現れた一人少年の姿は今でも思い出す。
自電車を漕いでここまで来たのだろう、涼しくなっているというのに半袖、体からは湯気が立ち込めていた。
「看板見て来ました! 俺に武術を教えて下さい!!」
「あぁ?」
「俺は鏑木仁といいます。隣町に住んでいる中学二年生です!――――」
初めて会った時からふざけた餓鬼だったことを思い出す。
「仁……」
たった一年で神木古武術を極めた天才。
そして――――この世で最も……
「今頃は巻き込まれてんだろうなぁ……がはははっ」
陰陽師に隣に立つ才能を持った人間だ。
「ちゃんと戻って来いよぉ」
酒瓶をぐびぐびと呷る。
男の背後を見れば既に数本酒瓶が転がっていた。
「やっぱり現代の酒はいくら呑んでも酔いやしねぇ、良い酒だ。でも流石にこれ以上は怒られるから辞めとくかぁ」
その男が肩にかける上等な着物は彼岸花によって真紅に彩られ、背中には骸の姿が描かれている。
その骸は太陽に拝むような姿をしており首と胴体が離れていた。
◆
これは夢だとすぐに分かった。
目の前には土偶式神が立っていて、それらに打ち勝っていく光景を俯瞰して見ているような感覚。
その光景を眺めているうちに、ようやく勝利を実感した。
「(勝てたかぁ、良かった良かった)」
こうして改めて見ると脳が自然と整理されていく。
呪力、式神、調伏の儀、
「(誰に言っても信じて貰えないんだろうなぁ……マジで
もうすぐで中学生最後の学校生活が始まるというのに一体どうすればいいんだ。こっちは冬休みの宿題すら終わっていないのにも関わらず、こんな意味不明な出来事に巻き込まれている。
しかも何だこれ……
「夢の中にまで【星の結界】とやらが現れる始末かよ」
それらにはオーロラのような輝き、星座、美しい景色が広がっていた。とても幻想的であり気を抜けば意識ごと引き込まれてしまいそうな危機感すら覚える美しさであった。
そして何よりも目立つのは『東・西・南・北』の文字。
あれも恐らく呪力で現れているのだろう。
「というか……そろそろ目覚めてくれねえかなぁ」
もう完全に意識あるぞ?
全く……もう体ももう回復――――
「うぉぉぉおい!! なんじゃこりゃァァァア!!? 俺の体に変な入れ墨入ってるんだけど!?」
脳内を駆け巡るのは怒りに満ち溢れた顔をした母の顔。
いや、母の顔だけじゃない。もう家族全員が怒りに満ちあふれている。
あ、終わった。もうお終いだ。この体じゃ学校行けない……。
「どどど、どうすんだよぉ……」
お、落ち着け。クールになれ。
深呼吸……深呼吸。
「あ?」
腕、足に刻まれている模様が輝き出し――――視界が光に包まれる。
そして、電流が流れるように瞼が勢いよく開かれた。
「ゆ、夢?」
まるで最初から眠っていなかったように目が覚めた。
周囲は明るい、障子の隙間から陽の光がこの和室を照らしている。畳の香りが漂う部屋……ここはどこかの和室のようだ。
体を起こしみるとどこにも痛みは感じない。
「……
着せられていた甚平を脱いで体を確かめる。
「うわ、終わった……マジで終わりだ」
体に刻まれた入れ墨を確認し、膝が崩れ落ちそうになっていると襖が開かれた。
立っていたのは一人の女性。着物でありその佇まいから侍女のような存在であることが分かる。
「えぇ……と?」
目を見開いてこちらの体を見て驚愕している。
正直、その表情はあまり女性がしてはいけないような気がするが……。
「し、失礼しました! お目覚めだったのですね」
「はい。おはようございます」
裸見られちゃった。
「……体調の方は問題ありませんでしょうか?」
「全く問題ありません。あ、服とか色々ありがとうございます」
「それが私たちの仕事でございますので。朝食の方がご用意できましたのでご案内いたします、こちらへ」
それから脱いだ甚平を着直して、女性の後を追った。
この建物の造りは全て和。まるで時代が変わったのかと思うほど景色が違う。暗くて最初は分からなかったが、神社とは建物の構造が違う。どちらかと言えば屋敷に近い設計だ。
「到着しました、こちらになります。それでは私は失礼いたします」
「え? これ普通に入ってもいいんですか?」
「はい、もちろんでございます」
何か人の家の食卓に入っていくってのは気まずい。
少しの緊張感とともに襖を開ける。
「やぁ、待っていたよ。鏑木くん……いや娘と被ってしまうから私は仁くんって呼んでも言いかな?」
「はい、もちろん」
このイケメンは――――
「まぁ、まずは座ってよ。色々と話したいことがあるからね」
「分かりました」
襖の扉を開いて待っていたのは五人。昨日見ていた四人と見たことない女性、願や祈に似ていることから母親なのだろうと予測できる。
信じられないくらいに美人だ……美男美女の家族。でも今はそんなことよりも蕪木さんがいないな、あの人がいないと少し淋しいし肩身が狭いな。
「ここにある物は好きに食べて貰って構わない、私たちはもう食べたからね。少し行儀が悪いかもしれないけど食べながら話してくれていいよ」
食卓に並ぶ大量の料理たち。まだ湯気が立っていることから作られてからあまり時間が立っていないのかまだ温かいままだ。
「ほら、食べろ」
「あ、ありがとうございます……えぇーと」
「私のことは願でいい。妹のことも祈で問題ない」
「分かりました」
「敬語もいらないですから、気軽に接して下さい」
姉の願とは全く違う雰囲気。初めて出会った時の柔和で優しい顔、そして調伏の儀で見せられた規律に厳格な顔の二面性を持つ祈が、こういう優しい穏やかな笑顔をすると少し恐ろしさもあった。
女性の性格が変わる瞬間を目の当たりにしたからだろうが……祈の隣に座るあまり表情を変えない願の方がどうしてか馴染みやすいように感じる。
「……わかった」
「うんうん、仲が良いことはいいことだね。それじゃ本題に入る前にまずは改めて自己紹介から始めよう。私は
「よろしくお願いしますね、仁さん」
一礼する姿も綺麗、伊達にこの二人のお母さんじゃないな。
もぐもぐ……――てかご飯美味いな。
やっぱり朝は和食ですわ。
「そして、君の向かいに座るが丙藤十郎。私たち癸家と同様、
「よろしく頼む」
「もぐもぐ、むぐ……ん、よろしくお願いします」
鮭を食べれば、味噌汁が出され。
味噌汁を飲み干せば、ご飯が出され。
ご飯を食べれば、サラダを出され。
食べても食べても次々と自分の下へ運ばれてくる皿。その料理が乗った皿を運び続けているのは願と祈だった。
「もぐもぐ……あの、むぐ」
ちょっと、願さん?
「お前が沢山食べることは紫医院で知ってる、存分に食べるといい。ただお父様たちの話しはしっかり聞けよ?」
いや、これじゃ無理やん。
「あはは、問題ないよ。私たちと会話をしたことを記憶の片隅にでもあればね、それじゃ本題に入ろうか」
そこで誓は一枚の札を取り出し呪力を流した。
するとその札が一枚の紙になる。
「昨日、私たちが仁くんの闘いを見ていたのは知っているよね。それを見ていて聞きたいことがあるんだけど、出来る限りで良いんだけど答えてくれるかな」
食べ物が口に入り過ぎて返事ができないため、仁は誓の言葉にそのまま頷いた。
「ありがとう、それでまずは仁くんは調伏の儀という儀式を行った。あれは本来人間に対してやる儀式ではないんだけど、それは置いといてその結果……君には呪力があると判断されたわけだけど、これに関しては何か心当たりはあるかな」
もぐもぐ……? 今なんか聞きなおした方がいいような、まっいいか。
「……んぐ、それに関しては自分でも全く心当たりありません」
「でも君は呪力が視えているだろう?」
「呪力……? あぁ、一度蕪木さんから見せて貰いましたので感覚的に視えているのかもしれません。よく気配を感じる鍛錬をしていましたんで」
「それだけで――(……信じられない)」
呪力というのは超常的な力だ。
悪く例えるならば呪いの力。明確な殺意を持ったことがある者、人を殺したことがある者、人を恨みながら死んだ者。
良く例えるならば霊感が強い人、勘が冴えている人、共感性が高い人、そういった言葉で表せないような力を持っている者たちが極稀に持っていることがある。
言うなれば、視えざる力――それを感じることは出来ても、普通は視ることは出来ない。それこそ鍛錬などで可能になるなんてことはありえない。
「その感覚も、あの調伏の儀で見せた身体能力も全て神木古武術というもので培ったのかい?」
「そうっすねぇ……辛かったです。あむ、あ、美味しい」
「神木古武術……少し調べてみる必要があるな。ちなみに門下生は仁くん一人だと調べがついているんだけど本当かい?」
「本当ですよ。自分以外に弟子はいないですね……そもそも俺以外の人を見たことがないです。かなり辺鄙なところにあるんで」
「なるほど。神木古武術という武術は初めて耳にしたが凄まじいな」
あの土偶式神は生身で倒せるようなものではない。
倒してしまった者が目の前にいるが、陰陽師として長く呪霊や付喪神と対峙してきた誓にとっては未だに信じ難いものだ。
祈が危険だと判断したのも頷ける。この力を持って一般社会に溶け込んでいる存在を最初に人間だと判断することはないだろう。
……こうして視るとよく分かる。鏑木仁から発せられるの謎の圧力、異常だ。膨大な呪力――――そう例えても間違いではないだろう……ん?
「俺からも一ついいか?」
「はい」
「丙家は武の家系でもあってな、陰陽師として以外にも武道に励む者たちも多い。そこで頼みがあるんだが、神木古武術ってのを教えてもらうことは可能なのか?」
「型とか原理なら問題ないと思います。それ以外は多分……あれは師範にしか教えられません、俺では無理なんです」
「それはどうしてだ?」
「師範の教え方が喰らってものにするって考えなんです。俺も詳しく教えられたわけではないんです、一撃、一撃、毎回ボコボコされて覚えてきました。俺の技は師範のモノマネでしかないですから」
あの蹴り。
あの拳。
常人に当たればスナック菓子を粉々にするか如く骨が砕ける。普通に振るだけでも凶器と化しているのに、加えてしっかり技を使う……もはや化け物だ。実際に稽古始めたてのころは酷い有り様だった。もう壊れたことがない場所はないほどだ。
「喰らって覚えるか……それは問題ないと思うがな、陰陽師には法術による肉体強化がある。言葉通り呪力による肉体の強化だ、難しいことは置いといて単純に体が強くなると考えてもらっていい」
何だって?
「肉体強化……そんな羨ましい力があるんですか? それなら――……いや、やっぱり分からないです。一回その肉体強化した人と戦って、その状態でどのくらい耐えられるか見てみないと」
「なるほど……一回戦えば分かると。それなら今度丙家に招待したい、俺の倅と戦ってくれないか? あいつなら喜んで承諾してくれるだろう」
「もちろん大丈夫ですよ」
「ありがたい、感謝する」
――――もぐもぐ……やべ、変な約束しちゃった。
「それにしても四神様からの肉体強化の法術がかかった土偶式神の胴体を貫通させてましたけど凄まじい膂力ですよね、鏑木くんはどんな特別な鍛錬を?」
「いやぁ特には何も、強いて言えば地獄の鍛錬の賜物だな」
「鍛錬だけであの身体能力か……素晴らしいな、ほらこれも食べるといい」
なんだか、凄い和む空気だ。
良かったぁ、この空気壊さなくて。
また何でそんなに強くなったのかなんて聞かれたらどうしようかと思ったぜ。モテるため……なんて言ったら空気死んでたな、こりゃ。
てかそれより、何か二人共優しいような気が……
「あら、そろそろ料理が尽きますね。仁さん、まだまだ食べられますか?」
「い、いえ、もう沢山頂きましたから大丈夫です。ありがとうございます美味しかったです。それよりも誓さん、俺からも聞きたいことがあるんですけど良いですか?」
「もちろん」
先程からあまり発言がなく仁のことを見ていた誓への質問。
それは今朝目が覚めた時、体にある入れ墨のことだ。
「あの……これなんですけど」
席から立ち上がり、甚平を脱ぎ捨てて裾を上げる。
「「な!?」」
「「「え!?」」」
仁の四肢に刻まれたそれは、ここにいる全員の瞳を大きくさせるには十分過ぎるほどの衝撃だった。
何故ならば――――それは、
「【四神印】」
誰かがそう呟いた。
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