ごっこ遊び

koumoto

水死ごっこ

 ぽっかりぷかぷか、曇って灰色の湖に、ふたりの子どもがうつ伏せで浮かんでいました。まるで死体のようですが、死体ではなく幽霊でした。マサシとヤスシ。ふたり仲よく死んでいました。

「ぷはぁっ!」

 マサシが耐えかねたように水面から顔を上げましたが、もちろん演技です。幽霊に酸素は必要ありません。とはいえ苦しみは感じていました。苦しみも痛みも、感じようと思えば感じられるのです。でも、すべての感覚は切り離されています。だから演技なのです。幽霊は所詮、存在しません。存在しているふりをしているだけです。

「五十八万七千秒かあ……えーと、一分が六十秒で、一時間が六十分だから……あれ? 面倒くさいな……何時間くらい顔を上げずにいられたんだろう」

「百六十時間くらいかな」

 後から静かに顔を上げたヤスシが、ぼそりと呟いて教えました。ふたりとも計算は苦手ですが、マサシは特に苦手です。

「えーと、半日が十二時間で、一日が二十四時間だから……百六十時間って、何日くらいになるんだろう」

「六日くらいかな」

「えー、一週間も超えてないのかよ。最長記録には程遠いだろうなあ。人間ってどれくらい息を止められるんだろう」

「さあ。生きた人間なら、二十分くらい止められる人もいるって、何かで読んだけど。死んだ人の最長記録は、知らないなあ」

「退屈だよ。最大の敵は退屈だよ。死んでいても、死んだふりを百年つづけるのって難しいんだなあ。幽霊って、永遠に暇だ」

「ぼくはそんなに退屈じゃなかったけど。水って綺麗だ。泡は宝石だ。永遠に見ていても飽きないよ」

 ヤスシは殊勝なロマンティストなのです。子どもっぽい夢想家です。幽霊のくせに楽天的です。

「じゃあおまえ、百年死んだふりできるのかよ。百年ぷかぷか浮かんでられるのかよ」

「マサシがやるならやってもいいよ」

「百年かあ……長いなあ……百年死んだふりできたら、ちゃんと死ねるかな? ちゃんと消えられるかな?」

「さあ。知らないけど」

「人生五十年、なんて言うけど、おれたち二十年も生きられなかったな。で、五十年の倍が百年? 長ぇ……長すぎる……途方もねえよ」

「まあ、ボーナスタイムってことじゃない? 早死にしたわけだし。好きなだけ遊んでいいよって、きっと神さまからのプレゼントだよ」

「マジか? なんて気前のいい神さまだ。死んで得した気分だが、長ぇよ。暇だよ。ありがた迷惑だよ。死ねよ、神さま」

「きっと死んでくれるよ、神さまなら」

 そこに、幽霊ではない死体が流れてきました。どんぶらこ、どんぶらこ、と、マサシとヤスシに死体が近づいてきました。マサシとヤスシはこの世に存在していませんから、曇って灰色の湖に、本当は死体がひとりきりです。

「なんだこの人。なに死んでんだよ。のんきなもんだな」

「やっぱり本物の死体は違うね。幽霊の死んだふりより、よほどリアリティがあるよ」

「なるほど……これは神さまからの小粋なプレゼントだな。本物を眺めて見習えってわけだ」

 マサシは敬虔な態度を示しました。ふたりとも、根は謙虚なのです。傍若無人な霊とはひと味違います。

「ふんふん、なるほど……そうか、そうか。この人、ちょっとふくよかだな? 水死体のおもむきがわかったよ。コツはつかんだ。あとは実践あるのみだな」

「また死んだふり?」

「もちろんだ。百年目指して、頑張るぞ!」

 言うが早いか、マサシは水面に顔をつけて、ぽっかりぷかぷか、うつ伏せの死体に逆戻り。ヤスシも真似をして死体がふたり。けれど、きっと長続きはしないでしょう。せいぜい三日間がいいところでしょう。子どもはいつでも飽きっぽいものですから。

 どんぶらこ、どんぶらこ、と、本物の水死体が流れていきます。曇った空模様の灰色の湖です。ふたりの幽霊が浮かんでいます。死んだ子どもはきょうも元気です。

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