聖女には向かない職業 落ちこぼれ聖女ストリップクラブオーナーに転職す
相良徹生
第一章
第1話 フラれた聖女様
正直言って、アル公爵から東の中庭に呼び出された時はドキドキしていました。
春のまだ肌寒い風が吹く中、太陽は高くのぼり空には雲ひとつありません。芽生えたばかりの新緑を風がサラサラと揺らすさまはとても爽やかです。
そう、私は愚かにも結婚の正式な日程を話し合うことになるのだと思いこんでいました。
「ルゥ、婚約は解消しよう」
アル公爵は来るなりきっぱりと言いました。
銀色の瞳はいつにも増して冷えた輝きがあります。
「君は暁の聖女だというが、天啓が降りてきたこともないじゃないか」
衝撃的過ぎて言葉が出てきません。
「これ以上僕は待つ気はない。婚約は解消だ」
私は呆然と頷くことしかできませんでした。
「指輪を返してもらおう」
するりと、薬指から誓いの指輪が抜かれます。
公爵は私の沈黙を了解の証と受け取ったようで、鷹揚にうなずくと踵を返して去っていきました。
ぼんやりと空っぽになった薬指を見下ろします。
私の春は始まる前に終わってしまったようです。
*
「別れの挨拶なし!」
盃をグビクビと飲みほして、ミトが大声で言いました。
「なかったです……」
自分でも情けなくなるほどか細い声で私はなんとか返事を絞り出しました。
「スーちゃん、同じヤツもう一杯お願い!」ミトが盃を掲げて店員さんに注文しています。
「あいよー」カウンター奥の獣人さんが元気よく返事をします。
下町にある夜光亭という酒場は私が入ったことのないタイプのお店で、レンガと漆喰造りの田舎風の建物にぎゅうぎゅうの客で賑わっています。
お客さんの人種も様々で、獣人も竜族もいるようです。
まだ日も暮れていませんが、美味しそうなスープと香ばしいパンの香り、騒々しいお客さんと盃の触れ合う音が充満しています。
年月を感じるテーブルと椅子が、なんだか子供時代に住んでいた修道院を思い出して懐かしく感じます。
部屋一角が真っ赤な幕がかかっている舞台になっています。誰か歌うのでしょうか。
「マジであの男あんた振ったの?」
「あいぃぃ……振られました……」
空になった左手の薬指を見せびらかすように振ってしまいます。
ミトは私と同じ修道院で育った幼馴染です。
彼女は12歳の時に王都の工房に弟子入りして修道院から離れましたが、手紙のやりとりはずっと続けていました。
婚約破棄を言い渡され、どうしたものかと彼女の工房を訪ねると、ミトは仕事を中断してこの酒場に誘ってくれたのです。
「まぁいいじゃん、どっちみち上手くいかなかったって。王宮は蛇が住む魔窟よ。ルゥみたいな人のいい聖女様じゃ無理だって」
「正確にはもう聖女じゃないです……」
「あ、そうか。カルミナ聖女会抜けたのか」
「はい……」
私は消え入りそうな声で答えました。現実がきついです。
カルミナ聖女会は全国の修道院から集められた聖女が入る組織です。聖女は慣例として、婚約した時点で俗世に戻るとされ退会します。
ただし、結婚後も聖女としての肩書は約束されています。
が、私のように婚約破棄されると……―――――はい。
公爵家婚約者としても聖女としても肩書はもうなくなり、ただの還俗した女という扱いになります。
つまりただの一般人です。
王宮内の私室も今週中に引き払わなくてはいけません。
「普通、婚約破棄された女はこの世の終わりってくらいに泣きじゃくるものよ」
「そうですか……?」
壁にかかった少し汚れた鏡をチラリと眺めます。
しょぼくれた女が写っていました。つい1刻前に将来を誓った相手に婚約破棄を言い渡された女に見えます。えぇ、その通りです。
腰まであるくすんだ小麦色の髪は、春の突風で乱れに乱れて今の私にぴったりです。
薄暗いランプの元で見ると、白絹に銀糸の刺繍入りのドレスもなんだか冴えないものに見えました。
ルゥ・カレンセイ21歳。職業・聖女改め無職。特技・天啓。
――ただし、もう10年ほど天啓が降りてきたことはない。
「そうですね……」
まさに、ただの人です。
公爵に婚約破棄を告げられて確かにショックでした。
でも、涙は流れません。
「聖女としてのお役目を果たしたかったんでしょ」
ズバリと言われ、なにも言えません。
そうです。つらいのは、自分の情けなさと居場所のなさです。
公爵に振られたことより、21年間積み上げてきたものが音を立てて崩れ落ちていったのにはこたえました。
田舎の修道院で生まれ育ち、13歳の時に聖女見習いとして王都の迎え入れられたこと。公爵と結婚してもしなくても、聖女として天啓を受け取ることが最優先の人生でした。
地面にぽっかりと穴が空いて、飲み込まれた気分です。
私はこっくり頷きました。
「……」
「これからどうするの?故郷の修道院に戻るの?」
ミトの声は優しげでした。
修道院ではキッチリまとめていたツヤのある黒髪は、今ではざっくりと後ろで編み込んでいます。
何年も手紙のやり取りだけで会ってもいなかったのに、仕事中に抜け出してくれました。
本当に友人には恵まれたと思います。
「修道院には戻れません……。少なくとも今は無理です」
これから憐れみの視線にさらされるのです。多分。
婚約を知らせる手紙に、あれだけ喜んでくれた育て親の神官様に合わせる顔がありません。
盃をぎゅうと握ります。初めてみる巨大な陶器の盃には、小麦色の液体がなみなみと注がれていました。
「よっ無職! お疲れ様!」
「はいぃぃぃ……なにか仕事ください……」
「まぁいいじゃん。慰謝料として屋敷もらえたんでしょ?」
屋敷というのは、結婚したら公爵と一緒に住む予定だった高級住宅地にある邸宅です。
「10部屋もあるのです……一人で住むには広すぎます」
「売ればいいじゃん」
ミトがきっぱり言います。さっぱりした物言いは彼女の美徳です。
一方私ときたら……「それはちょっと……」とモゴモゴしてしまいます。
「神聖なる誓いの元に贈られた物を現金化するってのはやはり……その……」
「何言ってるの! 破棄されたら神聖もクソもないじゃん」
「たしかに!」
「よし! 飲め!」
「はい!」
勢いに任せてゴクゴクと飲みます。途端に喉が燃えるように熱くなり、むせ返ります。
「ぶはぁぁぁ、なんですかコレは!!!」
「麦酒ですよ~。お姉さん飲むの初めて?」
店員さんが明るい声で言いました。ちょっと西方訛の可愛い声です。
「ランちゃん、ごめんね~。この娘飲み慣れてなくてさ」
ランちゃんと呼ばれた店員さんは獣人で、金色の癖っ毛に小麦色の丸っこい耳が生えています。
私より身長が低いのですが、男の子でしょうか。小麦色の肌に真っ白の麻のシャツが眩しいです。
ゴホゴホと咳き込む私の背中を身体に似合わない大きな手で擦ってくれます。
「ゲホッ……お、美味しいです」
少々聖女らしくない仕草で咳き込みます。もう良いのか、聖女じゃなくなりましたし。今はただの職無しの女です。
「お姉さん無理しない方がいいよ~」
実は異人種と正面から話すのは初めてでした。王宮は圧倒的に私と同じヒューマスが多いですし、神殿にも警備兵の竜人が数人いるだけです。
しゃべる毎に耳がピョコピョコ動いて可愛いです。
「ランちゃん聞いてよ、この娘男に振られたんだって」
ミトが私の肩をバンバン叩きながら横から口を出します。
「んあ゛……」
言葉にならない声を発してしまいます。知られたくないっ!! と思うのですが、秘密にしたところでどうなるのでしょうか。
どうせ明日には、王都中に広まっていることです。
「そうなの~、おねぇさんいいトコロのお嬢さんだろうし、もっといい人いるよぉ~」
獣人種特有の金色の虹彩にひし形の瞳孔が優しく光っています。いい子! 頭ナデナデしたい。
「コレ見て元気出しなよ!」
突然店中の明かりが消えました。
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