Connector
還リ咲
前
放課後の教室、扉を開けると、ぶちまけられた荷物の真ん中に彼女は座り込んでいた。
僕と早川さんは同じ委員会に所属しているのだけれど、今日は僕だけ遅くなって、教室へ荷物を取りに戻ったところだった。
幸いといっていいのか、彼女は僕に背を向けるかたちで、散らばったプリントやノートを集めている。このまま固まっていてもしょうがないから、僕は着けていたイヤホンをポケットに突っ込んで、少し彼女に寄る。彼女が教室内に居る、と物音で知ることが出来なかったのは、この、時代遅れの有線イヤホンが原因だった。
何と声を掛けるべきか悩む。大丈夫、では距離を詰めようとしていると思われるだろうか。手伝うよ、はなんだか恩着せがましい気がする。どうしたの、ではこの惨状について無理やり話させるようで気が引ける。彼女が突然おかしくなって荷物を放り出したとは思えない。何かしらのトラブルに遭っているのは明白で、けれど、それをこちらから訊ねることはできなかった。
結局、何も言えず近くに落ちていたノートを拾って渡す。
早川さんは無言で受け取って、鞄に仕舞う。表情は長めの髪に隠れてよく見えない。よく見えないし、見るつもりもない。
何も言ってくれなくて、かえって良かった。そもそもこれは僕のエゴだ。偽善だ。自分の荷物が荒らされているのを見られて、しかも片付けを手伝われるなんて、早川さんからしたらたまったものでは無いと思う。そっとしておくのが最善だ。しかし、彼女を横目に黙って帰ることができるほど、僕は心が強くなかった。
彼女に背を向けて、なるべく見ないようにして、僕は散らばった教科書を集める。
世界史だとか現代文だとか。学校は、社会についてはあらかた教えてくれるけれど、その社会をどう生きたらいいかは教えてくれない。
「ありがとう、
唐突に、早川さんが僕の名前を呼ぶ。その声から感情は読み取れない。
「いや、勝手にやったことだから」
「なんでこうなったか、知りたい?」
そこでやっと振り返って、彼女の表情を見ることができた。若しくは、見てしまった。背中で聞くには、惜しすぎた。
僕の予想を裏切って彼女は、割と深刻に尊厳を叩き潰されるような事態に陥っているのにも関わらず、どこか平然としているようだった。
諦観が込められた声で続ける。「お前、アンドロイドだろって」
AI技術と生体工学が発展した結果、アンドロイドの完成度は人間と見分けが付かなくなるまでに、飛躍的に向上した。知性が出来上がってしまったからにはそこに人権が付随して、大急ぎで法律が整備され、人間と同等の扱いを受けることになった。表面上は。
自分たちと同じ姿をした、自分たちとは別の何かが社会に潜んでいるという状況は人々の恐怖を掻き立てた。虐殺まではいかないものの、社会では平然とアンドロイドへの迫害が行われているし、それは現行モデルが世に出始めた十八年前から今まで変わらない。技術が発展しても、社会は荒みっぱなしだ。
関連法案の法整備も人権団体の利権のためという
「まったく、ひどいね」
慈しみを込めて言ってみる。得体の知れないものへの恐怖は分かる。しかし、疑わしき者をむやみに攻撃するのは、倫理が無さすぎる。無茶苦茶だ。
「しょうがない、っていう気持ちが大きいよ」
早川さんは
この顔。世界全般に対して完全に諦めているような表情を、彼女はよく見せる。様々な感情が混ざっているようだけれども、濁って灰色っぽくならずに諦観という一つの色を成している。授業中でも、学校行事の最中でも、友人らしき人と話していても、彼女は数歩、いや十数歩引いているように見える。そういう所が普通のクラスメイトと違って、僕はなんだか気になる。でもそういう顔を見せるのは一瞬で、僕はそれを見るたびに、居心地が悪く感じてしまうのだ。なぜか内臓が圧迫されるように感じて、むせる。多分僕自身にも彼女のような
「わたし、愛想悪いから」
早川さんは吐き捨てるように言って、僕は同意しかける。少し考えて、彼女を擁護する。
「愛想が良くないから、アンドロイドと決めつけるのはおかしいよ」
確かに、彼女は愛想が良い方では無い。しかし愛想が悪いから、彼女はアンドロイドであるという主張は無理やりな気がするし、そもそもアンドロイドは愛想が悪いものなのかという疑問も残る。意識を持たない、応用統計学の塊であるチャットボットでさえ相手の機嫌を伺って返答できるというのに。
「それにさ」
僕は続ける。
「社会にはもうたくさんのアンドロイドがいてその大多数が人に紛れられているってことは、もう人との判別は無理なんじゃないかな」
「へえ。それじゃあ、判別する方法が無いのに、勝手に疑っていじめてるってこと?」
なぜか僕が責められているようで、苦しい。
おそらく。その、早川さんを迫害している生徒たちはあの笑みに思うところがあるのではないだろうか。あの子ノリ悪いよね。そういう矮小な悪評と、社会全体に蔓延しているアンドロイド探しもとい排斥の風潮がまざりあって、こういう迫害に至っているように思える。濁った灰色だ。これは僕の完全な推測、妄想だけれど。
「あ。なんかごめんね、わたしそういう技術に詳しくないからさ。なんかアンドロイドって怖いし」
早川さんが知らないのも無理はない。そもそもアンドロイドの個体数が少なく、人間に対する比率を学校にあてると、クラス当たり一人二人あたりらしいという。それも噂。
「なんとか、仲良くなれないものですかねえ」
自分も疑われていて当事者に近いのに、彼女は少し茶化して嘆く。それが彼女なりのこの現状に対しての防衛機制に思えて、僕はいたたまれない。
「みんな同じだよ」
その空元気が見ていられなくて、思ってもないことを口走ってしまった。
早川さんは少し驚いて返す。
「みんな同じとか、分かりあえるとかの綺麗ごとは嫌いだよ、わたし」
「分かり合えない点では、みんな同じ」
弱った僕は、無理矢理すぎる補足を付け足す。
「屁理屈じゃん」
ふふふ、と彼女。
その笑みには早川さんが今まで纏っていた諦観が少なくて、僕は、勝手に救われた気持ちになる。
それからしばらく、他愛もない話をしながら彼女の荷物を片付けた。
「片付いたし、そろそろ帰ろう」
僕は立ち上がりながら言う。日が傾いてきて、もう教室は朱く染まり始めていた。そう言えば、早川さんは全然手を動かしていない。この片付け自体への礼くらいは言ってくれても罪悪感はさほど生まれない気がしてきた。
「霧島君って、アンドロイド
彼女は思い出したように訊く。
「うん」
好きでもないし嫌いでもない。人間でもアンドロイドでも、同じくらい分かり合えない。人同士でも分かり合えないのに、異種同士なら尚更。
すると、早川さんは納得したような顔をして、座ったまま手を差し出してきた。
立ち上がらせて、という意図だと思って僕は彼女の手を取る。
力を入れても、なかなか彼女を立ち上げられない。理由は彼女の重さではなく僕の非力だろうと思ったが、どうやら彼女が僕の手を引っ張っているようだ。
僕はもう一度屈み、意図が掴めないまま彼女に従って、手をゆだねる。
そうすると、早川さんは僕の手を自分の方へ引き寄せていく。
状況が呑み込めない。重なった二つの手は彼女の長い髪をのけ、首筋でやっと止まる。
その手が耳の後ろまで滑ったとき、柔らかい肌の一か所に、冷たい金属が触れた。物凄い異物感。この感触には、心当たりがあった。
……イヤホンジャック?
「驚いた?」
早川さんがそう言いながら、うろたえている僕の学生服のポケットに手を伸ばすと、盛大に絡まった青いイヤホンが顔を出した。この雰囲気にはいささか間抜けすぎる気がして、気まずい。
「歌うのが好きなんだ」
彼女はほどきながら言う。僕がいつもするように、無闇に引っ張ってみるのではなくて、丁寧に一つずつ結び目を解いて。
そうして伸ばされたイヤホンを、僕に差し出す。
まさか。
「挿して」
有無を言わせない訊ね方。とんでもないエゴだ。僕がいまさっきまで、偽善だ押し付けだと悩んでいたことが随分小さく感じられる。
しかし彼女は魅力的すぎた。僕は別に
意を決した僕は彼女の側頭部を支えながら、慎重にイヤホンを挿す。3.5mmの端子が頭にかちりと嵌る感触は、彼女が人間では無いことを物語っている。
「聴いてくれる?」
早川さんはイヤホンを通して言う。完全に主導権を握られた哀れな僕。
そして、音が聞こえたということは、このコネクタは大胆な美容整形の類ではない。
つまりそういうことだ。
今時イヤホンジャックなんて珍しいけれど。
こうして向かい合って座って、どれくらいたっただろうか。二人の間に渡されたイヤホンは、早川さんの息遣いまでを伝える。僕よりもだいぶ鼓動が速い。彼女も緊張しているのだろうか。
しばらく目を閉じていた彼女は深呼吸して、それから咳払いを一つ。真剣な眼差しでこちらを見つめる。当然僕も。
僕たちは見つめ合ったまま。
彼女の歌声が、聴こえはじめる。
――ら、ら、ら、ら
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます