第4話 希望


高校生になると、私は本格的に美術大学のデザイン専攻への進学を志すようになった。

美大に行くという目標が出来てからは、受験勉強に没頭するようになり、学校での人間関係には然程意識が向かなくなった。

今思えばあの頃私は悩む暇も無いほどに、毎日実技の習得や、週末になるとインプットのための美術館巡りに明け暮れていた。


美大のデザイン科入学のためには主に、鉛筆で対象を写実的に描写するデッサンと、絵の具を使って色面でモチーフを構成する色彩構成のスキル二つが必要だ。


学科試験も存在はするが、採点の比重として実技試験に比べればそこまで大きくはない。

そのため学科試験よりも実技試験の対策に重きを置くのが、当時の美大受験では一般的だった。


デッサンや色彩構成は、自分が子供の頃から常々やってきた絵を描くという行為の延長線上に思えたので、やっていてとても楽しかった。強制的にやらなければならない勉強という意識が殆ど無いので、あまり辛く思ったことはない。


おまけに都合の良いことに、苦手な学科試験対策は程々で良いという。

計算が全く出来ず数学はおろか算数すらまともに理解できないことは先述したが、最早そんなことすらどうでもよくなった。

学校の授業はろくに聞かず、授業中でもこっそり机の下でクロッキー(※デッサンで正しく形を取るためのスケッチのようなもの)に勤しんでいた。


好きなことに没頭できる環境は自分にとってとてもありがたく、受験勉強に取り組んでいた数年間は、それまでに比べ人間関係や生きづらさで悩むこともやはり減っていたと思う。


そして自分を取り巻く人間関係も、この美大受験を機に大きく変わってゆく。

美大受験予備校という環境で生まれて初めて、この人は自分と似ている、と思う人間に出会ったのだ。


美術を志す人間には、コミュニケーションが流暢でなく、どこか暗さを抱えたような人が不思議と多かったように思う。学校には友達が居ない、だったり、家庭には居場所がない、と口にする人もいた。何かしら生きづらさを抱えているような人も実は少なくなかったのかもしれない。

そうして自分の中に渦巻く様々な感情を表現するため、それぞれがもがいたり模索しているように見え、そういう人たちにはシンパシーを感じて自ずと肩に力を入れずコミュニケーションを取ることが出来た気がしている。友達と言えるような友達も殆どこの時初めて出来たし、彼らとは今も交流が続いている。

そういう人たち(ある意味自分と同類かも、と思える人たち)に私は生まれて初めて出会えたので、この世界に進めば少し生きやすくなるのでは、とも予感した。


高校三年間と浪人一年間の約四年間の受験勉強を経て、私は念願の第一志望である多摩美術大学に入学した。今から丁度10年前の、2014年の春である。

受験勉強に生活や精神力の全てを注いでそれが報われたという達成感から、それまでには感じたことのない希望を胸に抱き入学の日を迎えた。

しかしそんな希望の日々は長くは続かないのであった。

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