【第2話】「きまり」より「こだわり」
自分の場合、何か好きなことに没頭すると、こだわりの強さ、完璧主義っぷりが何よりも前に出てしまう。そうなると必然的に周囲が見えなくなり、どんどん協調性が損なわれていく。
好きなこと、で言えば、自分は小学校高学年頃から、絵を描くことと同じくらい、文章を書くことにも没頭するようになっていった。
作文の授業で「原稿用紙3枚以内に収めよ」というお題に対し、原稿用紙を50枚使い、しかも全てのページに色付きの細かい挿絵を描いて、クラスでたった一人期日を大幅に過ぎてから提出した。
最早課題という域を超え、自分の作りたいものを作ることが最大の目的になっていた。
指定枚数を度外視し、入れてはいけない絵を入れ、挙句提出期限を全く守らない。当然先生にはこっぴどく叱られる。しかしいくら叱られても微塵も気にせず、作った物の出来に満足してしまう。
ある時はクラスメイト4〜5人で班を作り、調べ物をして模造紙に発表資料としてまとめる授業があった。その時自分は、頑なに他人と班を組むことを拒み、その頑固さで先生をも根負けさせてしまったのか、結局一人でその課題に取り組むことになった。
文章や絵を用いて構成する作り物が何よりも楽しい自分にとって、他人の手が入ってしまうことで自分の理想が壊されてしまうという懸念があった。完璧な発表資料を作りたいがゆえに、そこに他人の手が入ることが許せなかったのだ。
とにかく全ては"ルールを守る"為ではない、"理想とする物を完璧に作り上げる"為にあった。
そんな自分勝手な振る舞いを続けていたので、当然のように、どんどん周囲から浮いていく。
中学に上がると、明らかに孤立していく感覚が強くなり、クラスメイトの会話に入れなくなっていった。
不思議なことに文章となるとすらすらと言葉が出てくるのに、相変わらず口頭で人と会話する時は強く緊張してしまい上手く言葉が出て来ず、何か言えたとしても全く場違いな発言で空気を凍らせてしまう。
次第に自分がクラス全員から嫌われているという被害妄想を持つようになる(被害妄想もまた、発達障害に顕著に見られる傾向の一つである)。
思春期特有の多感さと相俟って、集団の中で行動することが、どんどん難しくなっていった。ところが自分の何がいけないのか、それは殆ど理解できなかった。
それでも「集団の中で普通に生きていけない」、そんな自覚だけはとても強かった。
そのうち、学校に行くことを拒み、一日中家で引きこもって過ごすようになっていった。
中学2年生のことである。
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