非常口

@sea-78

非常口

 仕事が終わると僕は疲れた足で、街の外れにある美術館に立ち寄った。白いヨーロッパのお城のような外観の美術館は周りに住宅街やコンビニもない、林に囲まれた場所にポツンと立っている。会社から向かうと家とは真反対の方角にあって、普通なら仕事帰りにわざわざ寄ったりしないだろう。僕もこの美術館を知ってすぐの頃は休日に時々来るぐらいだった。けれど最近は何かにとりつかれたように、ほぼ毎日訪れている。

 今日も二十時を回ってすっかり空が暗くなった中、お城の門をくぐった。一階は受付になっていて通常は入場料を払わなければならないが、僕は特別に料金なしで、顔パスで入れた。受付の横の階段を上がって展示スペースへ向う。

 何度も来ているのでどこにどの作品があるかほとんど把握していた。二階に上がって最初の部屋は絵画のコーナーだ。

「あら、また来たのね」

 階段を上がりきると、澄み切った鈴のような声が聞こえた。

 長く真っすぐに伸びた金髪の女性が僕に笑いかけながら向かってきた。陶器の人形のように整った顔立ちに一瞬息を飲む。

 金髪の人は白いブラウスにワインレッドのロングスカートを履いていた。ロングスカートからは足が生えていなくて、平然とその場に浮いている。そのアンバランスさも相まって現実離れした美貌だった。

「どうも」

 少し緊張しながらも軽く会釈すると、金髪の人は子供の無邪気さと大人の包容力が混じったような、絶妙な笑みを浮かべた。

「ふふ、こんばんわ。嬉しいわ。私の子達をこんなに気に入ってくれるなんて。二十四時間年中無休で開いてるからいつでも見にきてね」

「はい」

 金髪の人はそれだけ告げてふよふよと浮いたまま、一階に降りて行った。

 彼女を見送って僕は一人で展示品を見て周る。

 貴婦人の肖像画。風のそよぐ丘の風景画。口から炎を吐き、町を焼き尽くす赤い竜の絵。ジャンルの様々な絵画が飾られている。そのどれもがアニメーションのように自然に、滑らかにキャンバスの中で動いていた。初めて見ると液晶画面が額縁に飾られていると思うかもしれないが、間近まで寄ってみると絵具の盛り具合から確かに描かれた絵画であることが分かる。何度見ても不思議で心奪われる。

 次の部屋はよく分からないオブジェ達が並んでいた。

 黒い大理石のような質感で、ぐにゃぐにゃとねじ曲がった物達。何をモチーフにしていて、何を表現しているのか作者に聞いても答えてくれず、これらが何なのかずっと分からないままだ。

 触っていいと金髪の人から言われているのでオブジェの一つに手を伸ばしてみると、僕の右手を避ける様に形を変えた。手を引っ込めると元の形に戻る。もう一度手を伸ばすとやっぱり避ける。どうやっても触れない、そういう作品らしい。やっぱりよく分からない。でもなんか好きだ。

 三つ目の部屋。ここにはさっきとは違って見た目はどこにでもありそうな物達が飾られていた。

 入ってすぐ目の前には学校の机。その上に学習ノート、シャーペンが置かれている。シャーペンを手に取ってカチカチと二回ほどノックすると、勝手に手が動き出してノートに文字を書き出した。

『ごはん、炊いた?』

『洗濯用洗剤買わなきゃ』

『来週は僕の誕生日』

 ノートに書かれたのは僕が忘れていたもの。ご飯は炊いてないし、洗剤も買い忘れていたし、自分の誕生日も言われて(書かれて?)思い出した。まあ、どれも大した事じゃない。そのままペンを置いた。

 部屋の真ん中には白い縦長の台に、スマートフォンがぽつんと置いてある。手に取ると勝手に起動して、ホーム画面には一つだけアプリアイコンがあった。このスマホは好きだけど嫌いだった。

 「……ふー」

 息をついてアイコンをタップする。画面には架空のSNSのUIが表示されて、タイムラインには僕が今まで関わってきたありとあらゆる人の投稿が延々と並ぶ。その投稿の数々は実際にネットに出たものを並べているわけじゃなくて、その人たちが僕にどんな印象を持っているか、その心の内をSNS風に表示しているらしい。好意的なものも、敵意的なものも全て表示されるというのが最高に趣味が悪い。

『暗くない? アイツ。嫌いじゃないけどあんま話しかけたくないんだよね~』

『大丈夫かなあ先輩。この前会った時げっそりしてたけど』

『ノリ悪くて嫌いだわ。飲み誘っても断るし。仕事はちゃんとやるけど話しかけてもぼーっとしてるし。チームの空気悪くなるから辞めてほしい』

『面倒な仕事押し付けても断らないから助かる』

『童貞感あるよねwww』

 好き好きに投稿されるタイムライン。それなりにダメージを受けつつも恨みつらみは買ってなさそうで少し安心する。

 と、そこで金髪の人のアイコンがピコンと現れる。

『前より顔色良くなってて安心したわ。今にも死にそうな顔も好きだったけどね』

 確かに死に際の人とか好きそうだ。無料でここを出入りできるようにしてくれたのも、僕のそんな顔を気に入ってくれたからだろうか。

 そろそろお目当てに会いに行こうと、スマホを置いて、他の展示品の前を横切っていく。途中、部屋の出口の壁際に置かれた大きな姿見の前を通った。この美術館の作品はどれも好きだけれど、この姿見だけはどうしても好きになれない。あまり見ないように足早にその前を去った。

『ねえねえ、こっちの帽子どうかな? 可愛い?』

 一瞬だけ僕の姿が鏡に映ったようで、その瞬間、いつかだったかショッピングで聞かれた言葉が姿見から発せられた。

 白い帽子にピンクのリボン。ウェーブ掛かった茶髪に無邪気な笑顔。

 滲み出す記憶に顔を顰めながら先を急いだ。


 ◆


 茶髪のあの子が居なくなって、もうすぐ一年が経つ。

 出会ったのは大学生の頃。付き合いだしたのは大学を卒業する少し前だった。

 青春とは無縁の人生を生きてきた僕にとって、初めての恋人だった。僕のどこに惹かれたのか、未だに分からないけれど向こうからの告白だった。お互い就職も決まっていて、仕事に合わせて新生活の準備を始めていた頃だったから、「じゃあ一緒の部屋に住もうよ」と付き合いだしてすぐ同棲生活が始まった。

 彼女は料理が苦手だったから、僕がご飯担当に任命された。

 1LDKの小さな部屋。朝食はパン派だと言っていたのに僕に合わせて彼女は白米を食べていた。

 お互いテレビっ子だったけど、朝ごはんの時間だけは絶対にテレビを点けなかった。どっちかが言い出して決めたわけじゃない。なんとなくその時間だけは余計なノイズを入れたく無くて、自然と静かな朝を過ごすようになった。

 寝起きの彼女がぼーっと箸を進めて、僕はそれを眺めながら彼女のペースに合わせてご飯を食べていた。

 段々と目が覚めだしたら向こうが「美味しい」と笑いかけてくる。

 あまりに眩しく笑うものだから僕はいつも「うん」と頷くぐらいしか出来なくて、そんな反応に彼女はクスクスと笑っていた。

 

 付き合いだして四年経ったある日。

 結婚も視野に入れ始めていた矢先。

 突然、泡が弾ける様に彼女は散って僕は一人、部屋に取り残されている。


 ◆


 二階の奥。一階から上がってきた階段から最も遠い場所。

 長い長い真っすぐの廊下があって、その先にはひとつの扉があった。

 扉の上には緑に光る、『非常口』の標識。僕が今、一番会いたかった作品だ。

 ゆっくりと足を進める。赤い絨毯を音も無く踏みしめて、緑以外の明かりがない不気味な廊下を歩く。

 行き着いた目の前には、飾り気のない何処にでもありそうな灰色のドア。

 つやの無い銀のレバーハンドルに手を掛け、ゆっくりとハンドルを下に提げながら手前に引いた。

 

 青。

 

 青。

 

 あお。

 

 扉の先はどこまでも続く青空。点々と小さな雲が浮かんでいて右から左へとゆっくり流れている。

 空はどこまでも、本当にどこまでも続いていた。ずっと先はもちろん、上下左右どこもかしこも空。水平線や地平線は無く、平衡感覚を失うほど青空しかない空間。

 まるで初めて飛行機に乗った時の、窓から見た景色のようだった。

 絶え間ない風が吹いていて、新鮮な空気が僕にぶつかりながら廊下に流れ込む。

 つま先はまだ廊下の終端に合わせていて、ここから一歩踏み出せばどうなるか、想像に難くない。

 

 作者である金髪の人曰く、ここから飛び降りたら最期、どこまでも落ち続けてそのうち音も痛みも無くあの世へ行き、この世界には遺体すら残らないらしい。つまりこの『非常口』という作品は直接あの世へ行ける自殺スポットだ。

 金髪の人がどういう意図でこれを作ったのかは分からない。何か深いメッセージがあるのかもしれないし、ただ単に、やつれた顔をした人が自ら命を絶つ瞬間を見たかったのかもしれない。『私の作品を見るあなたもまた、作品のひとつ』と前に言っていたから。

 でも美術館が設立されて以来、ここから飛び降りたものは一人もいないらしい。

 

 僕も彼女が亡くなって何度も死のうと考えた。一年経った今でも彼女を失った喪失感は消えないし、同じ所へ行って楽になりたいという衝動は毎日のように襲ってくる。

 今日も死ぬつもりでこの作品に会いにきた。けれど、この青すぎる空を見ると、いつも足を止めてしまう。

 それは飛び降り自殺に恐怖を感じるからじゃない。

 人生の出口を謳うには、この作品はちょっと綺麗すぎる。

 こんな素敵な作品に殺してもらえるという貴重な権利を、今の僕が使うには勿体無いような気がした。どうせならもっと劇的で特別な日に殺して欲しい。そう思ってしまうほど僕は『非常口』に惚れ込んでいて、そんな日が来るまでもう少し生きてみようと引き返してしまうのだ。

 今にも死にたいのに、今じゃ無いと焦らされ続けて気づけば一年も経っていた。

 

 風が吹く。

 僕を廊下側に押し返すようにも、引き込むようにも感じられた。

 新鮮な空気は肺を回る。


 僕はゆっくりと扉を閉じた。

 美術館を出たらコンビニに寄って、洗剤と弁当でも買いに行こう。

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