Resection.// 捜査一課リセクション係
空烏 有架(カラクロアリカ)
❁ 赤ずきんの災難 ――赤ずきん
【作戦コード:レッドフード】
赤色の頭巾を被り、ワインの入ったバスケットを手に、少女は森の中を歩いていた。
鹿革の靴に包まれた華奢な脚が、木の枝や葉を踏みしめる。そのたびパキリと音がした。けれど、少女はそれよりも、自分の鼓動のほうが気になって仕方がなかった。
不安を押し殺して、もう一歩。
「――やぁ、赤ずきんのお嬢さん」
「ッ……あら、狼さん。こんにちは……」
急に木影から
狼人はそれを見て一瞬目を細めつつも、とくに気にしてはいないふうに話を続けた。
「……、どこに行くんだい?」
「おばあさんのお見舞いに。ご病気なの」
「なんて偉い娘さんだ! それなら良いことを教えてあげよう、この先に香りのいい花が咲いているよ。摘んで持っていっておあげ。花を飾ってあげたら、病気もたちまち快くなるさ」
「まあ、親切にどうもありがとう。ぜひそうしましょう」
赤ずきんは笑顔で頷く。狼人は目配せをして、花の咲いている方角を指差した。
彼女が花畑のほうへ歩いていくのを見送ったあと、狼人はそっと肩をすくめて呟いた。
「……しっかりやってくれよ。頼むぜ、
しばらくして、赤ずきんはバスケットいっぱいに花を摘んで、おばあさんの家にやってきた。
ドキドキ痛む胸をぐっと堪え、ドアを叩く。……二回? 三回だったかしら? ああもう、ノックの数くらいは違ってても許してほしい。
緊張に震える少女の耳に「お入り」と、老婆としても低すぎるしゃがれ声が届いた。
中に入る。まず目につくのは大きなベッド、そこに横たわる者の黒ずんだ顔。
ナイトキャップに包まれた頭からは、明らかに毛深い耳が覗いている――「よく来てくれたねえ、扉を閉めておくれ」赤ずきんは頷いて、自らの退路を断った。
「おばあさん、お加減はいかが?」
「おまえが来てくれたから、それだけでずいぶん良くなりましたよ。さあ、こっちへ来て、かわいい顔を見せておくれ」
指示に従い、一歩近づく。
「もっと近くに来ておくれ」
「はい。……ねえ、おばあさん、どうしてそんなにお耳が大きいの?」
「おまえのかわいい声が聞こえるようにさ」
歩くたび、かごの中で、ワインが
「おばあさん、どうしてそんなにお目目が大きいの?」
「おまえがよぅく見えるようにね」
一歩ずつ、少女は『死』へ歩み寄る。
「ほら、もう少し近くに来ておくれ……」
「ああ……はい、おばあさん。……どうしてそんなに、お口が大きいの」
「それはねえ、――おまえをひと口で平らげるためさ!」
咄嗟に上げた甲高い悲鳴ごと、赤ずきんは引きずり込まれた。……あとに残ったのは耳が痛くなるような静寂だけであった。
老婆に化けていた狼人は、ベッドから跳ね起きて変装を解いた。
それから、そばのキャビネットからあれこれ取り出して、準備を始める。ときどき窓に引いたカーテンを、そこに何の気配もないのを注意深く確かめながら。
ここまでの段取りは上々。あとは――待機。
おばあさんだの赤ずきんだのは謂わば前座。本当に待つべき獲物は、一番最後にやってくるのだから。
さて、何も知らぬ猟師は、いつも通っている遊歩道を定刻通りに歩いていた。森の中をぐるりと周回するその道沿いに、件のおばあさんの家がある。
そこから異様に大きないびきが聞こえるのに気付いて、彼は眉間を曇らせた。
「やれやれ」
扉を叩きもせずにそっとドアノブを回す。鍵がかかっていないのは知っていた。
音もなく静かに開いたドアの向こうには、ベッドに横たわる老婆の姿――に化けた狼だ。段取りは知っている。不必要な銃は肩から下ろし、ジャケットの内からナイフを取り出して、そっと近づく。
あとはこいつの腹を裂いて、赤ずきんたちを救出すればいい……。ちょっとグロいけどまあ我慢だ。
ところが近づいてみると、老婆の寝間着を着せられているのは枕とブランケットで作られた身代わり人形だった。
――やられた。
咄嗟にナイフを構えつつドアの方へ走ろうと振り返った、彼の目の前に、黒光りする銃口が一つ。
「それは捨てて、両手を上げろ」
「ッ!」
拳銃を構えているのは狼――の名残を耳と尻尾あたりにだけ残した、今やほぼ人間の姿をした男だった。半裸に羽織ったジャケットに、警察のバッジが光っている。
その背後では赤ずきんを被った小柄な女性がドアを塞ぐようにして仁王立ちしつつ、震える手で警察手帳を掲げている。
「む、無駄な抵抗は止めて指示に従いなさいッ、偽猟師! えと、えと……本名は忘れましたけど、十六件の詐欺と二件の強盗および、『赤ずきんの猟師』殺害容疑であなたを逮捕します!」
「……声震えすぎだろ。噛んでないだけマシか……」
「先輩こそどうして全裸であんなチャラけた狼の演技なんてできるんですか!? 正直変態かと思いました!!」
「バカ野郎、プロフェッショナルと言え。狼が服着てちゃマズいだろが」
話している間も薬の効果が切れて、獣の体毛がはらはらと抜け落ちていく。対する少女も少しずつ背が伸びて、だんだんブラウスの前が苦しそうになっていく。
彼らは潜入捜査官。一人は獣化薬を用いて狼に、一人は幼化薬で少女に化けて、赤ずきんの童話のキャラクターに扮していたのだ。
目的はただひとつ、先にこの世界に逃げ込んでいた犯罪者を捕らえるため。
何年も前に開発された『物語の世界に入ることができる装置』。人々に至福をもたらした夢の技術は、悪党にとっては新たな逃亡手段の一つとなってしまった。
とくに童話が狙われやすいのは、話の作りが単純で、キャラクターへのなりすましが容易だからだという。
そして数日前に身元不明の遺体が見つかった。司法解剖で現代人ではないことがわかり、物語の登場人物ではないかとの線で捜査を進め、『赤ずきん』の猟師であることが突き止められた。
殺人犯は彼になり替わっている。問題は、猟師の出番はかなり終盤にしかないので、それ以外の時間帯の行動が掴めないことだった。
潜入捜査官が追ってきたと気付かれたら逃亡されるおそれがあるため、わざわざ登場人物と入れ替わって物語を演じ、彼の登場を待たねばならなかった。ちなみに本物の赤ずきんには事情を説明し、自宅で母親とともに待機してもらっている。狼は別の場所にとっ捕まえてある。
物語の構造上、先に接触して話を通しておけなかったおばあさんはというと、キャビネットの中に隠れさせていた。
「あの、刑事さんたち?」
そのおばあさんがひょっこりと顔を出して、ドアを指差す。
「犯人さん、逃げようとしてますよ」
「は? ……おい待てコラ止まれ詐欺師野郎! 止まらないと撃つ――」
「――動くな! この女の首を掻っ切んぞ!」
「きゃあっ……!?」
まだ幼女から中学生くらいの大きさにまでしか戻っていなかった後輩は、いとも簡単に悪党の手に落ちていた。華奢な首筋に冷たいナイフを突きつけられて半べそになっている。……中身は元から幼稚なので、これは素だろう。
一方、すでに完全な人に戻ってただの半裸男と化していた先輩刑事は、苛立ちもあらわに銃口を下げる。
「せ……先輩、ごめんなさい……」
「動くなよ……よし嬢ちゃん、しばらく付き合ってもらうぜ。まずその目立つ頭巾を脱げ。それからゆっくり後ろに下がって、この家から出……」
喋っている間も少女はむくむくと育っていく。人質が腕の中で超スピード成長するというのはさすがに慣れない状況だろう、犯人も少しやりづらそうだ。
いや……彼の視線は、彼女の胸元に注がれていた。恐らく彼女は成人女性。それが幼い少女の姿に化けていたのだから、本来の大きさに戻ったら、当然服のサイズは合わなくなる。
つまりブラウスはすでにパッツパツになって、今にもボタンが弾け跳びそうだった。ギチギチと苦しげな悲鳴を上げる生地の隙間からは生肌が覗いている――もちろん下着は着けていない。ついさっきまでつるぺたの幼女だったから。
限界寸前のバストをガン見されているのに気付いた後輩刑事は、そこでムッと頬を膨らせた。
「……変態」
「なっ……そっちこそ痴女だろ、ノーブラとか」
「仕方ないでしょわざわざ言わないでよ変態ッ! ……きゃああ――ッ!?」
たぶん思わず叫んだのが引き金になったのだろう、ボタンを留めていた糸がとうとう息絶えた。その瞬間、犯人の意識が完全に眼下の絶景に持っていかれたのを、真向いに居た先輩刑事は見逃さなかった。
――響く銃声。血飛沫とともに後ろへひっくり返る男と、反対にしゃがみ込んで前を隠す女。
「せ……先輩、危ないじゃないですか私に当たったらどうするんです!? あ、あと……み、見たでしょ……」
「そんだけ騒ぐ元気があるならかすってもねえだろ、問題ねえな。あと興味もねえ」
「興味の有無は訊いてませんッ!」
「うるっせぇ……だいたい見られて減るもんでもねえだろうが……」
「私の心の平穏は減るんですぅぅ!!」
偽狼と偽赤ずきんがやいやい言い争いをしている中、森の中に待機していた他の警察官たちが一斉に突入し、犯人は速やかに連行されていきました。ちなみに急所は外れていて命に別状はなかったそうです。
その後、赤ずきん世界で新たな猟師が生まれるまでは、ボランティアが代理を務めることになりました。なので物語そのものが崩壊する事態はなんとか避けられましたとさ。
めでたし、めでたし。
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