Vermilion

惑星ソラリスのラストの、びしょびし...

第1話

 起き掛けの小便が濃い黄色から深いワインレッドへ。おれは思わず仰け反り、その拍子に射線が便器から外れる。ううむ、なにか、悪い病気ではあるまいか。

 といったことを、カフェで泌尿器にくわしい友人に相談する。彼はおれのスマホの写真を見ながら、

「確かにこれは著しいな。一度、検査してもらったほうがいいだろう」

 やれ、検査か、いやだなあ。おれが渋っていると、小ぎれいな格好をした六、七十くらいの老人がいきない隣に座り、おれのスマホをじっと覗き込み、「Romanée-conti、1945……」と呟く。そして、懐から一枚の名刺を取り出すと、万年筆でさらさらと何かメモ書きし、おれに差し出し、

「もし宜しければ、いつでも構いません。こちらの番号へご連絡いただけませんか?」

 おれは名刺をしげしげと眺める。どうやらこの老人は一流ホテルのソムリエらしい、ということが辛うじて分かった。

 二日ほど悩み、おれは思い立ってその番号へコール。すると間もなくリムジンがおれの木造アパートの前の道へやってきた。

 ホテルへ着くなり、客が使うそれとは別の、特別なエレベータに乗せられる。階数を押し示すためのボタンは無い。どうやら、ただひとつのフロアのためだけのものらしい。

 扉が開くとだたっぴろい大広間。薄暗くよく分からなかったが、眼が慣れてくると、貧乏人のおれでさえその威容が感じ取れる調度品・絵画・彫刻の数々が、壁に沿って並べられている。広間の中央にテーブルがひとつ。先日の老人が立ち上がりおれを歓迎する。

 それから、おれと老人はふたり、その大広間の中央、ぽつねんとあるテーブル(といっても、このテーブルさえおれの住んでいる部屋には入りきらぬだろう)で食事をとる。この料理に比べれば、おれのふだん食べているものなどおよそ料理とも言えぬ代物。おれは舌鼓を打ちつつも、支払いのことが気になり始めた。

 デザートを終え、食後のコーヒーを啜っていると、老人がようやく本題を切り出す。

「実はですね、先日スマホで見せていただいたアレ」

「はあ、小便のことで?」

「ええ。実はアレを、出していただきたいのです」

「アレを?」

「いま、ここで」

「いま、ここで?」

 老人の目は本気である。

 おれは遠慮がちにチャックを下ろす。おれ自身がぼろろん。老人が、その先端をつかみ、反対の手に持った空のワイングラスを添える。

「あの、ほんとに?」

 老人が黙って頷く。

 おれは覚悟を決め、しかし奇妙な状況に尿管はきゅっと縮こまり、なかなか出てこない。ようやく、「んっ……」じょじょばー。ワインレッド。それがグラスを容量1/3を満たし、

「止めてください!」

 老人の鋭い声。止水。膀胱がつんとした痛み。

 老人は極めてプロフェッショナルな、ある種の芸術作品のごとき手つきでグラスを回し、鼻を突っ込んで思いっきり匂いを嗅ぐ。それから、ぐいと一息でおれのワインレッドを飲み込み、目を瞑り口の中でもにゅ……もにゅ……と丹念に揉み、味を確かめ、ごくり。老人の喉仏が大きく上下に動く。

 死んだ? と思えるほどの、長い沈黙。テーブルの上の蝋燭だけがわずかに揺れる。やがて老人が目を開くと、滂沱の涙が零れ落ちる。

「ありがとう、ありがとう───ッ!」

 老人は立ち上がり、社会の窓からおれ自身がまろびでたままのおれの手を強く握り、次いで肩を抱く。おれたちは薄暗い大広間の中央でひしと抱き合った。


*


 ホテルの最上階のスウィートからはTOKYOの夜景が一望できる。シルクのバスローブに身を包んだおれは窓際に立ち、キューバ産の最高級の葉巻をやりながら、その時を待つ。

 やがて部屋の電話が鳴る。ベットで眠っていた金髪の女が受話器を取り、おれに差し出す。おれは黙って受話器を耳にあて、

「……すぐ向かう」

 女はベットから起き上がり自身のバスローブをその美しい肌のうえに纏うと、クローゼットからおれのための燕尾服一式を持ってきて、甲斐甲斐しくおれに着せてくれる。

「行ってくる……」

 おれは女に接吻。そして部屋直結のエレベータに乗り込む。

 大広間。今宵の客は二組の老夫婦。おれはご婦人方の手の甲に軽い口づけをし、大統領、そして総理大臣に挨拶をする。

 ソムリエがワイングラスを持ってくる。おれは背をすっと伸ばし、直立不動の姿勢をとる。ソムリエがおれのチャックを下ろし、おれ自身がぼろろん。それを見た大統領が「Oh,it's a small world......」と洩らす。ご婦人方はあっ……と口を覆い、しかしその目はおれ自身に釘付け。ソムリエがそっと、おれ自身を指でつまみ、ワイングラスを下に添える。

「Show Time......」

 おれは今宵のゲストたちへそう告げ、ニッコリと微笑んでから、尿管を開門する。そこより出でたるは鮮血が如きヴァーミリオン、何より濃厚で、芳醇な、大瀑布。

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Vermilion 惑星ソラリスのラストの、びしょびし... @c0de4

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