第28話
貴族の屋敷には、基本的に緊急用の脱出経路がつけられている場合が多い。
そのほとんどが魔物被害を想定したものだ。まさか民衆に反乱されて活用する等、夢にも思わない。
とは言え、ベリル子爵家も例に漏れず、屋敷の地下牢から市街地全域に広がっている地下水路へ行けるようになっていた。
地上ではハーズの街の住民たちが子爵の屋敷に大挙して押し寄せ、既に屋敷の中になだれ込んでいる。
しかし、当の本人はその逃げ道を使って早々に逃げていた。
下水が流れている水路の傍を歩きながら、薄暗い地下道をベリル子爵は肩を怒らせながら歩いている。
「ゴミ共が。私は必ずもう一度この街に戻り、反逆者共を処刑してみせるッ」
この期に及んでまだ再起しようとしている子爵の姿に少し滑稽さを感じる。
身体は豚のように肥え太り、貴族としての風格は皆無である。
ユリフィスはわざと足音を大きく立てて、子爵に自分の存在を気付かせた。
地下空間だからか、音が反響してよく聞こえる。
「……そ、そこにいるのは誰だッ」
一族の中でも当主しか知らない抜け道である。
さぞ驚いただろう。
ユリフィスとしても好き好んでこの場に足を運んだわけではない。
子爵に一つだけ聞きたい事があったため、わざわざ後を追ってきたわけだ。
人の眼が完全に届かないこの場では、何が起ころうと余人に知る由はない。
振り返った子爵の、僅かに震えている声に内心苦笑しながらユリフィスは姿を見せた。
宙にはブランニウル家の血統魔法である【
そのため、子爵にはユリフィスの容姿がはっきり目に映ったようだ。
特徴的な髪色に片目には
マントを羽織り、腰には長剣を差した中性的な容姿の美少年。
そして何より目を引く、半魔の証である紅の瞳。
「……その紅い目……まさか貴様は」
「貴様とは随分な挨拶だな、子爵」
肩をすくめるユリフィスはそっと歩み寄る。
「……いや、失敬。第三皇子殿下であられるか?」
街に来ている事は知っていたのだろう。
ただ、何故この場にユリフィスがいるのかについて訝しんでいる様子だ。
「そうだ、子爵。いや、もはや今の貴方を見て子爵と呼んでいいものか迷うところではあるな」
領民から反逆され、家族や配下すら置いて逃げ出した彼の姿勢に疑問を呈する。
そもそも、再起などできるはずがない。
中央に対して、反逆されたなどと馬鹿正直に言えばそれこそ恥の上塗りだし、虚偽の答弁をしたところでそれを見抜けない程第二皇子や宰相は愚かではない。
今の肩書きとして相応しいのは、私利私欲のために領民を弄んだ罪人。
それがお似合いである。
「何をいわれる。私こそこのハーズの街の支配者、ベリル子爵家の当主だ」
「……だが領民には反乱され、協力者である教会には見捨てられたわけだ」
「……ッ」
ベリル子爵の顔が憎々し気に歪む。
「のこのこ帝都に戻っても罪人として処刑されるだけだと思うが」
「血統魔法を持つ私ではなく、従う事が当然のゴミ共の肩を持つというのか?」
「そもそも領主としての務めを果たさず、それどころか領民の娘たちに乱暴狼藉を働く立派な犯罪者をどうして庇うと思うんだ」
「い、今まで私はあのお方に常に協力してきたのだぞッ、今回も――」
「ここまで事が公になれば、もはや第一皇子は庇ってくれないだろう」
その瞬間、ベリル子爵は眼を見開いた。
「……私と殿下との関係を知っていたのか?」
ユリフィスとしては、あの方と言われて当てはまる存在が第一皇子くらいなものだったから半ばあてずっぽうである。
いわば勝手に子爵が白状したようなものだ。
「それよりも子爵。このままでは貴方は死ぬぞ? どうするんだ?」
「……クソッ、こんな世界間違っているッ! 選ばれし英雄の末裔の私が、惨めにも処刑されるなどあってはならん事だ……」
頭を掻きむしり、血走った眼で唸り声をあげる。
しばらくしてから、僅かに理性を取り戻したのか子爵は充血した瞳でユリフィスを捉えた。
「そ、そうだ……ジゼルが言っていた。第三皇子殿下、貴方は確か宰相閣下を後ろ盾にしたとお耳にしましたが」
急に敬語になった子爵の変化を敢えて無視して、ユリフィスは首肯を返す。
「……もしかすると帝位継承権争いをする気になったのですかな? であれば私も味方になりましょう。ベリル家の財や血統魔法は非常に役に立つと思いますがどうでしょう。悪い話ではないはず」
血統魔法はともかく、まだ財を保っていると思い込んでいる子爵の間抜け具合に吹き出しそうになりながらユリフィスは返答した。
「……素晴らしい条件だ。代わりに俺が宰相に掛け合って貴方の罪を無くせば良いのか?」
「そ、その通りでございます、第三皇子殿下」
したり顔で微笑む子爵に、ユリフィスは問う。
「では新たな協力者となる俺に教えてくれ」
ようやく本題である。
ここまで会話に付き合ったのは口を軽くするためだが、あまりに思い通りに子爵が喋ってくれるのでつい楽しくなってしまった。
「教会が貴方に協力していた目的は何だったんだ?」
その問いに、子爵は苦々しい表情を浮かべて続けた。
「……何とも荒唐無稽な話ですが」
「それを聞きたいんだ」
「分かりました」
そして子爵は全てを話してくれた。
圧政を敷いて、わざと反乱を起こさせ平民に貴族を殺させる。
偉業の達成を経て、人為的に固有魔法を獲得する事。
つまりは新たな【
それが教会側の目的。
「……なるほど」
「何とも馬鹿げた話です……確かに恐れ多くも私を殺す等偉業そのものだが、固有魔法はそう簡単に得られるものではないのです」
苦笑交じりに告げた子爵に対して、ユリフィスは無表情で首を横に振った。
「そうとは限らない。俺も先ほど同じ実験をした。原作で俺たちは教会を滅ぼした。だからブラストも勝てると踏んだわけだが、存外苦戦したようだ。魔力が結構持っていかれている」
「は? 何の話を――」
「しかし実験は成功だ。無事、固有魔法を得た。原作通りにな」
ユリフィスは新たな配下が得た魔法を行使する。
固有魔法【
原作のブラストはこの魔法をガントレットや鎧等の身体に纏う形で使っていた。
だが、ユリフィスはこの魔法を放出系の魔法として使うつもりである。
周囲の空間が歪み、そこに灰色の剣や槍といった武器が十種以上展開される。
「……で、殿下……何を……?」
異様な雰囲気に、冷や汗が額に浮かぶ子爵にユリフィスは無慈悲に告げた。
「教会の目的が固有魔法の発現なら、貴方を平民に殺させるわけにはいかない。従って、今ここで俺が殺す」
その瞬間、あらゆる武具が子爵の身体をめった刺しにした。
喉に突き刺さった槍で、悲鳴が強引に抑え込まれる。
左右の手を刺し貫いた長剣で血統魔法の発動を封じ、足に絡みついた鎖で逃走を禁じる。
最後に成人男性の身長より大きな斧によって上半身と下半身を寸断する。
それ以外にもあらゆる武具が子爵を襲った。
完全なる死。
思い出したように身体から血が零れるが、ユリフィスは既に背を向けている。
死闘を終えて生死を彷徨っているだろう配下の手当ての為に、急ぎこの場を離れた。
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