第19話

「それは、少し複雑な言葉ね」

 アデラは、拗ねたような口調でそう答える。

 テレンスは、婚約者の兄として昔から顔見知りだと言うだけではなく、アデラの事情をすべて知っている。

 その気安さが、そんな言葉を言わせたのかもしれない。

 冷酷だという噂の彼を、苦手だった頃が嘘のようだ。

「複雑? 褒めたつもりだが」

 テレンスも、笑いながらそう返した。

「だって、それだと私が売られた喧嘩はすべて買う、好戦的な女のようだわ」

 普通の令嬢ならば、ここで自ら戦おうとしない。

 アデラだって、それくらいわかっている。

 そして普通の貴族男性は、そんな女性をあまり好ましく思わないことも。

「好戦的、とは少し違うな」

 けれどテレンスは、まだ楽しげな笑みを浮かべたまま、そう言った。

「自らの名誉のために戦える、誇り高い女性だ」

「え?」

 思いがけない言葉を言われて、アデラは慌てて視線を逸らす。

 褒められて頬を染めた姿など、彼に見られたくなかった。

「あなたでも、お世辞を言うこともあるのね」

「ないな」

 照れ隠しの皮肉もあっさりと否定して、テレンスは背もたれに寄りかかって腕を組んだ。

「私は誰にも媚びたりしないよ」

 そんなさりげないしぐさも、何だか目を惹いてしまう。ティガ帝国に留学していたからか、彼の所作はこの国の貴族よりも優雅に見える。

 今までの婚約者たちとつい比べてしまいそうになって、そんな考えを振り払った。

 アデラだって、それほど優れているわけではない。いくら上手くいかなかった婚約者とはいえ、悪口ばかり言いたくはなかった。

 それに、テレンスに比べたら大抵の男性は見劣りしてしまうだろう。

 そうしているうちに、馬車の速度が弱まった。

 そろそろ王城に着く頃のようだ。

(いよいよね)

 アデラは少し緊張して、馬車の窓から外を眺めた。

 馬車が何台も連なって、順番を待っていた。

 王城には、高位貴族が優先して案内される。

 侯爵令嬢であるアデラの馬車は、それほど待たされないだろう。

 それでも、多くの者が馬車の中でそれを見ているのかと思うと、何だか落ち着かない。

「ああ、シダータ伯爵家も来ているな。伯爵家の馬車で来たということは、エスコートをしているのは、伯爵家以下の家の令嬢か」

 テレンスの言葉に、思わずシダータ伯爵家の馬車を探す。

 彼の言うように、エスコートする側とされる側のうち、身分の高い方の馬車で移動するのが普通だ。

 子爵家や男爵家の場合は、そのような決まりはなく、必ず男性側が迎えに行くらしい。でも相手が伯爵家以上であれば、王城に入る順番を優先してもらうために、男女どちらでも、身分の上の方の馬車を使う。

 だからシダータ伯爵家の馬車を使っているということは、クルトは伯爵家よりも下の身分の女性を伴っているということだ。

 おそらくリーリアと一緒に来たのだろう。

 テレンスだってそれがわかっているだろうに、わざとらしくそう言った彼を、軽く睨む。

 だがクルトはともかく、リーリアは狡猾だ。あまり緊張していては、足元をすくわれるかもしれない。

(うん、私は大丈夫)

 テレンスのお陰だとはあまり言いたくないが、少し落ち着いたアデラは深呼吸をした。

 やがて馬車が停止し、ゆっくりと扉が開かれた。

 周囲はすっかり暗くなっているが、王城から差し込む光が周囲を照らしている。

 先に馬車を降りたテレンスが、アデラに向かって手を差し伸べた。

 順番待ちをしている馬車の中から様子を伺っている者たちは、テレンスが現れたことに驚いているだろう。

 けれど彼は、そんな周囲の視線などまったく気にしていない様子で、ただアデラだけを見つめている。

「よく似合っているよ。ドレスも、髪飾りも」

「……あっ」

 エスコートを務める男性がパートナーを褒めるのは当たり前のことだが、髪飾りのことを言われて、はっと思い出す。

(そうだった。これは、テレンスに贈ってもらった宝石を使っていたわ)

 贈り物ではなく、婚約解消の慰謝料としてもらったものだが、ティガ帝国でしか採れない、非常に珍しい宝石である。

 最初は慰謝料代わりのものを身に着けるなんて、と思っていたアデラも、宝石の美しさとデザインが気に入って、今では愛用していた。

 色はゴールドでも、テレンスに贈られた宝石と、彼の瞳の色のドレスを着てきてしまった。そのことに気が付いて、アデラは唇を噛む。

(これでは私が、テレンスに乗り換えたように見えるわね……)

 付け入る隙を与えてしまうのではないかと不安になるが、今さらどうしようもない。

 そんなアデラの様子から、このアクセサリーを選んだのは故意ではなかったと察しているだろうに、テレンスは何も言わずに、恭しくアデラの手を取る。

「行こうか」

「……ええ」

 この間の一件で、友人たちは話しかけてこないだろうから、うるさく問い詰められることもないだろう。

 そう思い直して、堂々と王城に足を踏み入れた。

 貴族全員が会場入りするまで少し待たなくてはならないが、こちらを見てひそひそと噂をしている者がいるので、俯くこともできない。

 アデラはしっかりと背を伸ばし、まっすぐに前を向いていた。

 テレンスが言ってくれた、誇り高い女に見えるように。

 しばらく待つと、ようやく全員が会場入りをして、夜会が始まった。

 やはりクルトはリーリアをエスコートしていたらしく、彼はアデラがテレンスと一緒にいる様子を見て、かなり驚いていた。

 いつものように、エスコートの相手は従兄のエイダーだと思っていたのかもしれない。

 その隣に誇らしげに立つリーリアは、とても可愛らしいドレスだった。この間のドレスよりも高級な品だったので、クルトからの贈り物かもしれない。

 エスコートだけではなく、ドレスやおそらく装飾品も贈ったのだろう。

(まるで彼女の方が、本物の婚約者のようね)

 リーリアが上手くねだったのかもしれないが、クルトがそこまでするとは思わなかった。

 向こうがその気であれば、アデラがテレンスに贈られたアクセサリーを付けていてもかまわないだろう。

 気に入っている品なのだから、堂々としていようと、アデラは前を向いた。


 今日の夜会は王太子が主催で、まずは王太子夫妻が踊るようだ。

 このイントリア王国の王太子はクルトやテレンスよりも年上で、もう子どもがふたりもいる。

 現国王の子どもは王太子しかいなかった。そのため、かつて王位を争った王弟との関係も緊迫した状態が続いていたようだが、今は孫がふたりもいるので、国王も安心しているようだ。

 そんな王太子夫妻のダンスを見つめながら、テレンスと踊るのは初めてだと気付いた。

 彼はティガ帝国に留学していたから、踊っている姿を見たこともない。

(そういえばレナードとも、ほとんど踊ったことはなかったわ)

 いつも義妹を優先させて、彼女ばかりエスコートしていたのだから。

 王太子夫妻のダンスが終わり、いよいよファーストダンスが始まる。

 少し緊張しながらも、アデラはテレンスと一緒に会場の中央に進み出た。

 遠くに、クルトとリーリアの姿が見える。

 きっと彼女たちも踊るのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る