第9話
ふたりの未来はけっして明るくないだろう。
「最後にこれを」
テレンスはそう言うと、従者に持たせていた箱を差し出した。
「これは?」
かなり大きめの箱だが、装飾がとても美しく、これだけでかなりの価値がありそうだ。
アデラは躊躇いながらも、促されるままに箱を開ける。
「……まぁ」
そこには、大振りの宝石がいくつも入っていた。まだ加工前のものだが、その美しさに思わず見惚れた。
光沢のある美しい宝石。
透明に見えるが、光を反射して虹色に煌めく。
これはティガ帝国でしか発掘することができない、貴重な宝石だ。まだ発見されてから日が浅く、あまり出回っていない。
だからティガ帝国内でも、取り扱える者が限られていると聞く。
指輪のように小さなものでも、かなりの値段だと言われている。それが大きな原石でいくつも入っていたので、さすがに驚いた。
「これは?」
「オラディ伯爵家から、リィーダ侯爵家に対するお詫びの品です」
贈り物だと言われたら、さすがに受け取れなかった。
気軽に受け取ることなどできないほど、貴重な品である。
だが婚約解消の慰謝料だと言われてしまえば、アデラには勝手に断ることはできない。
これは、オラディ伯爵家からリィーダ侯爵家に支払われたものだ。
「……わかりました」
父に報告して、このまま渡すしかないだろう。
それでも金額に加算すれば、膨大なものになる。
それだけの慰謝料を支払ってくれたのだ。
今回のことはアデラにはまったく非がないと、明確に示してくれた。
戸惑いながらも受け取ったアデラに、テレンスは静かに告げた。
「これで、満足しましたか?」
「え?」
冷酷でも、取り繕ったような笑顔でもない。
ただ淡々と、静かにそう言うテレンスにアデラは戸惑う。
「満足、とは」
「あなたを裏切った弟とシンディーは破滅しました。おそらく、あとは不幸になるだけでしょう。すべてあなたの望み通りだったのでは?」
「それは……」
自分を粗末に扱い、そのくせ利用しようとしていたレナード。
そんな彼に媚びを売り、邪魔ばかりしていたシンディー。
たしかにふたりが許せなくて、こうなるように仕向けたのは、たしかにアデラだ。
シンディーの母の罪を暴き、テレンスに手紙を書いて、わざわざ呼び寄せたのだから。
でも、それで満足したのか。気が済んだのかと聞かれたら、頷くことができなかった。
レナードが伯爵家を出て平民になったと聞いても、少しも嬉しくはない。シンディーのことも、自業自得だと嘲笑うことができない。
むしろ虚しいような気持ちさえ残っている。
「……わからないわ」
アデラは、小さな声でそう呟いた。
「ただ、あまり嬉しくはないみたい」
正直にそう告げると、テレンスは微笑んだ。
いつも冷たい顔をしている彼の、こんな穏やかな笑みを見たのは初めてかもしれない。
「きっとあなたなら、そう言うと思っていた」
そう言うと、彼は立ち上がった。
「今回のことは、あなたは何も悪くはない。弟達は自分のしたことの報いを受けただけだし、制裁を実行したのは私だ」
それに、と付け加えると、水色の瞳が真っ直ぐにアデラを見つめた。
「ジネットの件に関しては、多くの人があなたに感謝しているだろう。悪は裁かれるべきであり、罪は償わなくてはならないのだから」
そう言うとテレンスは、最後にもう一度、大袈裟なほど恭しく一礼とすると、去って行った。
その後ろ姿を見つめながら、思う。
彼もまた、誰かに裏切られたことがあったのだろうか。
相手を追い詰め、破滅させるまで復讐したことがあったのかもしれない。
そのときテレンスは、相手の破滅を見て喜びを感じたのか。
それとも今のアデラのように、ただ虚しさしか感じなかったのだろうか
それを確かめる術はない。
何よりもすべて、アデラの想像に過ぎないことだ。
(……お父様に報告しなくては)
アデラは気持ちを切り替えるように首を振ると、父の執務室に向かった。
今回のことは、さすがに社交界でも大きな噂になったようだ。
夫殺しの毒婦に騙されていたオラディ伯爵は、爵位を息子に譲って引退し、地方の領土に籠ってしまった。
伯爵を騙していたジネットは殺人の罪で牢獄に入れられ、厳しく余罪を調べられている。
その娘と恋に落ちてしまった伯爵家次男のレナードは、騒ぎを起こしてしまった責任を取るため、身分を捨てて平民となった。
彼は犯罪者の娘になってしまったシンディーを見捨てることはなく、ふたりで一緒に暮らしていることになっている。
実際には、平民として生きていくために、一緒にいることしかできないだけだ。
当事者が誰もいなくなったオラディ伯爵家は、ティガ帝国に留学していた嫡男のテレンスが継ぐのではないかと噂されていた。
だが彼は、謹慎するようにひっそりと過ごしている。
婚約が解消されてしまったリィーダ侯爵家の令嬢アデラに、多額の慰謝料を支払ったことも、すぐに話題となったようだ。
世間の声は、次第に騒ぎを起こしたオラディ伯爵家を責めるよりも、ひとり残されたテレンスに同情的なものになっていた。
彼がティガ帝国に留学している間に、父はジネットと再婚したのだ。何も知らず、面識もなかったのだから当然のことかもしれない。
(本当に知らなかったのかどうかは、今も疑問だけど……)
彼にすべてを知らせる手紙を出したのはアデラだが、そのとき初めて知ったにしては、テレンスの手際はあまりにも良すぎた。
父親を速やかに引退させ、弟にシンディーを捨てさせなかったことで、オラディ伯爵家に向かう非難を最小限に抑えた。
利用させてもらったつもりが、実は彼に利用されていたのかもしれない。
結果としては、アデラも婚約解消による被害を最小限に抑えることができたのだから、それで構わないと思っている。
レナードとシンディーが何をしていても、ふたりを見守る役柄を演じきった甲斐があった。
あれがなかったら、いかにオラディ伯爵となったテレンスが誠意を見せてくれたとしても、婚約者に相手にされなかった女だと噂されていたかもしれない。
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