第8話
彼らがどれほどの熱意で恋をしていたのか、他人であるアデラにはわからない。
今の言い争いを見る限り、恋人ごっこを楽しんでいただけかもしれない。
テレンスの言葉に崩れ落ちたレナードと、真っ青になったシンディーを見れば、それほどの想いではなかったように見える。
この程度のことで、アデラの将来は変えられてしまったのだ。
わざわざ夜会でこうなるように仕向けたのは、アデラだ。
帝国に留学していたテレンスに手紙を出し、この日はわざと早めに会場に向かった。
最初からレナードに対する愛はなかったが、今となってはもう、長年の婚約者に対する情もない。
それでも婚約者に裏切られたという事実は、見えない傷となって今後も残り続ける。これから新しい婚約者ができても、きっとまた裏切られるかもしれないと考えてしまうだろう。
だから今後、ふたりがどんな状況になったとしても、同情することはない。
そう思っても、心は晴れなかった。
(復讐を果たせば、少しはすっきりするかと思ったのに……)
テレンスは、レナードとシンディーを連れて早々に退出した。
アデラも少しだけ残っていたが、周囲から向けられる好奇の視線に耐えられなくなって、早めに帰ることにした。
「アデラ、大丈夫かい?」
優しいエイダーは、ずっとアデラを気遣ってくれた。その優しさが、今は胸に染みる。
「ええ。ありがとう」
そのまま、彼に屋敷まで送ってもらった。
父はまだ帰宅していなかったので、帰ったことだけ母に報告してもらい、気分が悪いからと言って、部屋に閉じこもる。
今日のことは、いずれ父の耳にも入るに違いない。
近いうちに、レナードとの婚約は解消されるだろう。
父に、王城の夜会で騒ぎを起こしたことを叱られるかと思ったが、予想に反して何も言われなかった。
むしろ母には同情され、あなたは何も悪くないのだからと慰めてもらった。
母が言うには、どうやら父が婚約解消のために動いているようだ。
レナードにかなり憤っていたということだから、確実に婚約は解消されるだろう。
あれから、レナードとシンディーはどうなっただろう。
気になるが、これからの彼らに待っているのは破滅だけだ。
それから数日後。
アデラは、珍しく昼過ぎに帰宅した父に呼び出され、レナードとの婚約が解消されたことを聞いた。
「……わかりました」
望んでいたことだというのに、それを聞いても嬉しさは感じない。
俯くアデラに、父は婚約解消の原因はすべてレナード側にあり、アデラは何も悪くないと言ってくれた。
アデラは頬に手を当てて、首を傾げる。
父がそこまで言うほど、ひどい顔をしていたのだろうか。
さらに後日オラディ伯爵家の当主が訪れて、直接アデラに謝罪してくれるそうだ。
「次の婚約者を、すぐに決めることはできないだろう」
「はい。わかっています」
いくらアデラに非がないとはいえ、婚約を解消してすぐに新しい婚約者を決めることはできない。
噂が広まっていることもあり、しばらくは夜会にもあまり参加せずに静かに過ごすことになる。
それもいいかもしれないと思う。
これからオラディ伯爵家は、もっと騒がしくなる。
今はレナードの浮気で婚約解消になったと噂されているだけだ。
だが、アデラが証拠を渡したガロイド商会を受け継いだ息子が、着々と準備を整えているらしい。
近いうちに、シンディーの母は彼に訴えられるだろう。
後添えとはいえ伯爵夫人が殺人容疑で逮捕されてしまうのだ。
それに比べたら、婚約解消の噂など、しばらく静かに過ごしていればほとんど消える。
それまで静かに過ごしていよう。
婚約解消から数日後には、予想していたように大きな騒ぎになった。
まずオラディ伯爵が、シンディーの母であるジネット夫人と離縁した。
ジネットは離縁したことで平民に戻り、彼女の連れ子であるシンディーもまた、平民となった。
彼女があっさりと引き下がったのは、やはりテレンスがそうするように動いたからだろう。
ジネットはシンディーを連れて町に戻ったが、それからすぐに、前夫を殺害した容疑で逮捕された。
離縁された彼女はもう伯爵夫人ではないので、町の牢獄に拘束されたようだ。
シンディーは、町にひとりで残された。
それから彼女はどうなったのか。
義母と義妹が出て行ったあと、レナードはどうしたのか。
それをアデラは、屋敷を訪れたテレンスから聞くことになる。
オラディ伯爵家の当主が謝罪に訪れたと聞き、アデラは身支度を整えて客間に向かった。
(え?)
当主というからには、レナードたちの父だとばかリ思っていたアデラは、先に部屋の中にいた男性を見て、思わず足を止める。
「テレンス?」
つい口にしてしまった名前に、彼はゆっくりと振り返る。
銀色の髪に水色の瞳。
弟とあまり似ていないテレンスはアデラを見ると、わざとらしいくらい恭しく一礼する。
「……どうしてあなたが?」
「この度は、わが愚弟がご迷惑をお掛けいたしました」
戸惑うアデラに構わず、テレンスは形通りの謝罪を告げると、ようやく顔を上げた。
「何か聞きたいことがありますか?」
謝罪のために訪れているからか、普段とは違う丁寧な口調が、かえって恐ろしい。
「……オラディ伯爵はどうなさったのですか」
どうして謝罪に訪れたのが、当主ではなくて嫡男のテレンスなのか。
最初にそれを尋ねると、彼は何でもないことのように言った。
「父は、この事件が原因ですっかり憔悴してしまいまして。ゆっくりと静養する必要があったので、地方の領地で療養することになりました。残念ですが、完全な回復は見込めないでしょう」
あっさりとそう言うテレンスの瞳は、やはり恐ろしいほど冷たい。
おそらく彼はこのような状態を招いた父を引退させ、地方に幽閉してしまったのだろう。
シンディーの母であるジネットのターゲットになり、騙されてしまった伯爵でさえこうなのだ。
この騒動の当事者であるレナードとシンディーが、何事もなく今までと同じ暮らしをしているとは思えない。
「……レナードは」
アデラは少し躊躇ったあとに、その問いを口にする。
「どうしていますか?」
「弟は、家を出ることになりました」
テレンスの答えに、まったく迷いはなかった。
「家を、ということは……」
「ええ、伯爵家を。弟は今回の騒動を心から反省し、悔いています。償いのために身分を捨てて、市井で暮らす覚悟のようです」
「そうですか」
頷いてみたが、レナードはそれほど反省していないに違いない。
まして、平民となって生きる覚悟など持っていない。
だからすべて、テレンスの指示なのだろう。
「先日離縁した義母の連れ子も、今は町で暮らしています。間違いを犯してしまったとはいえ、可愛い弟と、僅かな時間とはいえ義妹だったふたりを見捨てるのは、さすがに忍びない。ですからふたりの結婚を条件に、援助をすることにしました」
「……結婚?」
「ええ。愛し合っているふたりですが、贖罪のために、別れる道を選ぶでしょう。それを哀れに思ってしまった兄からの、せめてもの餞別です。不快に思われるかもしれませんが」
「いいえ」
アデラは首を振った。
「あのとき言ったように、私はふたりのしあわせを祈っておりますので」
さすがにアデラにも、これが温情ではなく制裁だとわかっている。
ふたりの結婚を条件に援助すると言っているが、このテレンスのことだ。今まで通りの生活ができるほどのものとは思えない。
そんな極限状態で、慣れない生活をしなくてはならないレナードは、シンディーを大切にできるのだろうか。
(……無理でしょうね)
アデラは即座に結論を出した。
彼は、それほど余裕のある男性ではない。
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