デッドマンズ・ガーデン 〜世間の奴らがほぼ不死なので頑張って生きてる普通の俺を褒めてくれ〜
無印九
Resistant Lives 【序章】
白霧
——八番街・アルストロメリア区、十一月一日。
◎
立ち込める白い霧の中、二つの人影が何かを探し歩いていた。
先を征くは女、続くのは男。女よりも男の方が小柄だが、姉弟のようには見えなかった。事実、二人はただの同僚であり血の繋がりは全くない。
軽い足取りで跳ねるように進む女は、夏も終わったのにまるで海にでもいるかのように肌を晒した軽装である。対して男の方はこれから雪山にでも行こうか、というほどに着込み、面倒くさそうな様子でその背を追っている。
この対照的な格好の二人がいるのは海でも雪山でもなく、街はずれの廃ビルの中だった。
時刻は間もなく夜明け。人気のない時間を狙った、というわけではない。単に数時間前、深夜に突然仕事の依頼が入ったのだ。それもなるべく早く今すぐ可及的速やかに、との条件付きで。
女は叩き起こされてしばらくはぼんやりとあくびなどしていたが、現場に着く頃にはいつもと変わらないテンションで率先して探索を始めた。男の方は怠そうだが、眠っていなかったのが原因ではない。そういう性分なのだ。
「ねえねえ、グラフェン。何か見つかった?」
手にした懐中電灯で辺りを照らしながら女が聞く。男はグラフェンという名らしい。彼は不機嫌そうな表情で、女の声を無視した。
「ちょっと、返事くらいしたらどうなんですかぁ」
振り向く女。手には電灯。
「ねえってば」
「他人の顔にいきなり照明当てないでください。不快です」
「あっ。ごめんね」
光を逸らし、謝りつつも女は思う。最初に無視したのはそっち。
「で、どうどう? 何かあった?」
「不審物があったらこっちから言いますよ。静かにしてくれませんか、近所迷惑なので」
「この辺一帯廃墟なんで、誰にも迷惑かかってないと思うんですけどー」
「じゃ訂正します。俺はうるさいと思っているので、少なくとも俺には迷惑です」
淡々と言うグラフェンに、今度は女の方も眉を寄せる。ただ言い返すことはしない。無駄だからだ。彼がこういう性格なのは出会ってからの数年でもうとっくに分かっている。根暗な頑固者、性根は悪い奴ではないけれど、口は常に悪い。
いちいち苛々するのは自分の損。そう気を取り直し、女はまた周囲を照らす。
埃の具合から、使われなくなって十年以上は経っているだろう。ビル内をざっと見た限り、自分達以外には足跡すら見当たらない。
「これ、ハズレじゃない? こんなところにお宝なんてなさそう。あったとしても、とっくに誰かに持ち去られてるって」
ビルの中はがらんとしていて、備え付けらしき家具の残骸が少々あるものの、たいしたものはほぼ残されていない。
「せっかくならさ、どっかの悪人が拠点とかにしてて。こう、美術品とか宝石とか、お金になるものがあったらいいなー、とか」
「てっきり目が覚めてると思って話してましたが。まだアンタは夢の中みたいですね、ロフィ」
言ってみただけ、とロフィと呼ばれた女は呆れたように応じる。グラフェンという男は、こういう時には返事をする。
「でもでもお宝がないとしたら、私達は何の為にこんな所に派遣されてるの? 私、何を探せばいいのかすら検討ついてないんだけど。グラフェンはアサヒさん何か聞いてるんでしょ」
「俺もほとんど情報は持ってないですよ。アサヒが言っていたのは、ここを調べて変なものを見つけたら報告しろ、と。それだけです」
「はぁ、意味分かんなーい」
ロフィは勝手に金目の物に期待をし、その目算が外れたことでやる気を完全になくしている。グラフェンも同様に、あまりにもふわふわとした依頼内容にどう文句を付けようかと考えるくらいしかなかった。
——八番街に現れた霧の内部を調査し、変わったものを発見したら報告してほしい。
依頼をしてきたのは、彼らの雇い主であるアサヒ。真夜中に唐突にそれだけを告げ、目的も何も説明はなかった。
「そういえばこの霧って何なの? 普通の霧じゃないよね」
ロフィはとりわけ霧の発生条件について詳しいわけではない。それでも、今現在辺りを漂うものが通常のそれとは違う要因で湧いて出てきたのは分かる。
依頼を受けた時に偶然にも八番街にいたとはいえども、ここまでの移動には数時間を要している。その間、この霧は消えることなくこの廃ビルに留まっていた。それも外側から流れ込んでいるのではなく、内側から発生しているのである。発生源らしきものもないのに、明らかにおかしな現象だ。
さらに言えば、その色。
報告を受けた時点においては、霧はまるで闇と同化するほどに黒い、とそう聞いていた。
実際、この建物に入る前に目視した時にはそうだったのだが、ほどなくして霧はその姿を転じ、今は綿雲のごとく白く視界を塗り潰している。
「こんな霧、私は見たことない」
「俺は似たような霧の噂なら聞いたことはあります」
「えっ、本当?」
「嘘つく理由ないでしょう。ですが別の区での話ですし、かなり特殊なものらしいのでこれとは関係ないと思いますけどね」
「別の区ってどこ?」
「十一番街、
グラフェンはそれ以上は何も言わなかった。いつもの態度、というよりも、これ以上この話をしたくないようだ。ロフィも無理に聞くことはしない。
「まあ、何でもいっか。とりあえずこれからどうする? そろそろ夜明けだけど、いったんメルクのとこ戻る?」
メルク、というのは二人の仕事仲間の男だ。今回の依頼に謎が多かったため、何かあった時にすぐ逃げられるよう建物の外に車を停めて待機している。そろそろ待つのにも飽きた頃だろう。
「そうですね、一度引きましょう。これ以上ここにいてもたいした収穫はなさそうですし」
「了解」
ロフィがそう言って勢いよく歩き出した時、隣の部屋から物音がした。何かが床にぶつかったような、そんな衝撃音だ。
「何の音かな? 何か落ちたような」
「隣、机と椅子くらいしかなかったはずですが」
「だよねぇ」
高いところに積まれた物はなく、椅子も決して自壊しそうなほどまでは傷んでいないように思えたのだが。だったらこの音は何だ。
「行ってみよ、グラフェン」
そう口にした時にはもう、ロフィは走り出していた。今いる部屋を出て、一つ隣へ。
「失礼しまーす」
明るく大きな声で挨拶し、先程探索を終えたばかりの部屋のドアを開け放つ。
「えっ……嘘? 何で?」
さっきまで、確かに何もなかったはずの部屋。その奥に、一人の青年が横たわっていた。
◎
「で。とりあえず連れて来ちゃったのね」
「だってさ、気になるでしょ」
「まぁ、確かに。二人の話を聞くと興味はあるよねぇ」
メルクは愛車の運転席の背もたれを倒し、身を乗り出すようにして後部座席に寝かされている青年の顔を覗き込む。さすがに死んでいるはずもなく、ただ眠っているようだ。
謎の霧に包まれた部屋。埃だらけの床に足跡も付けずに侵入し、倒れていた彼。そのままにしておいてもよかったのだが、まあ話でも聞いてみようか、とロフィが担いで外まで連れて来たわけだ。
建物を出た頃にはすでに霧はだいぶ晴れていた。空も白んできているが、彼はまだ眠りこけたままだ。
「それにしても目を覚まさないねぇ、彼」
「体調悪いのかな? 病院とか連れてくべき?」
後部座席の隅に座ったロフィもまた、隣で目を開けない青年を凝視する。グラフェンは助手席から振り返るとその様子を一瞥し、これ見よがしに溜息をついた。
「だから置いておけば良かったんですよ。俺は止めました。面倒事になったらロフィが責任取ってください」
「えー人でなし」
「何とでもどうぞ。気にしませんから」
グラフェンに向けてこれ以上悪態をついても仕方がない。ともかくこの青年を何とかしよう、とロフィはそっと腰元に忍ばせたナイフを手に取る。
「さてと。助けるにあたって、まずはこの人のこと知らなきゃね。見た感じ誰と同種か分からないから、こういう時はー」
左手で眠る青年の手首を掴み、高く持ち上げる。見やすいように手のひらを開き、そこに右手に握る切先を向けた。
ぷつり、と皮膚を裂く。流れる鮮血。
一筋の赤が夜明けの太陽に照らされ、そのまま手首をつたって滴り落ちる。
「えっ」
「わ……」
青年の手首を持ったまま固まるロフィ。傷口から目を離せないメルク。二人の反応に助手席から後方を確認し、思い切り顔をしかめたグラフェンは苦々しげに呟く。
「外界種じゃないですか、これ」
刺したロフィは動揺し、今にも泣きそうな顔でメルクに助けを求めるが、メルクの方もどうしたらいいか良く分からなかった。
「えっえっ、これ、どうしたらいいの? 血が出てるけど、止まらないんだけど、治るのこれ? ちゃんと治る? 死ぬの? 死なないよね?」
「死なない……と、思うけどごめん、僕もよく知らないから分からない……」
「グラフェン、どうしようぅぅぅ」
焦るロフィに対してグラフェンは冷静だった。彼女の手からナイフを奪い取ると、メルクの服の端を手繰り寄せて切り裂く。
「あの、これ僕の服なんだけど……」
「俺の服はこんなナイフじゃ切れない素材ですから」
「まぁ……うん、そうかもしれないけど。でも一言あっても良くないかなぁ」
ぼやくメルクを気にも留めず、グラフェンは布の切れ端をロフィに差し出す。
「これで傷口を縛ってください。力は入れないで、緩くでいい。傷は深くないからそのうち血は止まるはずです」
ロフィは言われるがままに、布を青年の手に巻き付ける。
「緩いってこれくらい? 緩すぎ……」
かな、と。
そうロフィが確認しようとした矢先、青年が突如身動きした。
『**——』
呻きながら身を起こす。薄ぼんやりと開かれた目。ここがどこなのか、自分の身に何が起きているのか。彼にはよく分かっていないようだ。
『***、***?』
よく分からない言語で何かを話している。
『****、*****?』
なおも言葉を続けるが、彼が何を言いたいのかが分からない。三人は顔を見合わせた。
青年も会話が通じないのを悟ったようだ。口を閉じると、簡易な包帯代わりの布を巻かれた自分の手を見てその痛みに顔を歪める。
『***、****……?』
相変わらず言葉は不明だが、彼が何を言いたいのかはなんとなく表情で分かる。気まずい。
「ごめん、それやったの私なんだけど……その。あなたが外界種だなんて、知らなかったから。あ、念のため聞いとくけど、あなた抵抗派とかじゃないよね?」
ロフィは申し訳なさそうに謝った。通じる通じないは置いておいて、こういうのは気持ちの問題なのである。
「えーと、こっちの言ってること分からないかもしれないけど、許してくれたら嬉しいなー、なんてぇ」
へら、と曖昧な微笑みで誤魔化そうとするロフィ。その顔が次の瞬間には真顔になった。
「おまえ、やった、これ」
喋った。
たどたどしくも、青年は突如三人にも分かる言葉を使って話しだした。
「え、あっ、分かる……の? 私達が、何を言ってるのか」
青年は頷く。どうやら、本当に理解をしているらしい。
「おまえ、わかる。おで、いう、こと」
「うん、まあ。今のあなたの言葉はなんとか分かる。雰囲気だけ」
『**、***。***********』
「ごめん、そっちの言葉は分かんない」
反応から、ロフィの言葉はおそらく青年に伝わっているのだろう。しかし彼が話す謎の言語はやはり聞き取れないし、お互いに分かる言葉で話してもらおうにも片言では状況が伝わりにくい。
「この言葉……もしかしたら、ただの外界種じゃないのかもしれないですね」
「どういうこと?」
「
「そういう超能力、あるんじゃないの?」
好き勝手に推論を述べる三人に青年は混乱しているようだ。言葉は伝わっていたとしてもその背景までは分からないのだろう。
「ねえねえ、どうしようこの人。ともかく死ななくて良かったけど、置いてくのもかわいそうだよね? 弱そうだし」
「はぁ。だから変なもの拾うの反対だったんですよ、俺は」
「あのさぁ。彼、僕らの言ってること理解してるんでしょ? 二人とも、言葉を慎みなさいね」
ここで言い争っていても埒があかないが、青年の処遇についての解決策はすぐに出そうになかった。
メルクはひとまず、この場で呆然としている青年に微笑みかける。
「ところで、君はなんて名前なんだい? あ、僕のことはメルクって呼んでね。落ち着きがないのがロロフィリア、愛想がないのがグラフェンだよ」
「言い方ー」
「いや、事実じゃないのロフィちゃん」
軽口を叩くメルクとロフィに、青年は少しだけ緊張を解いたように見えた。メルクの問いに答えるべく口を開く。
「おで、なまえ、ネモトゲンキ」
『ネモトゲンキ』というのがどうやら彼の名のようだ。
「了解。ネモでいいかな?」
ややあって青年は頷く。いいらしい。
「それじゃ、ネモのことをアサヒさんに連絡しとこうか。彼を今後どうするかも相談しよう。変わったもの見つけたら報告しろ、ってのが今回の仕事だったよね」
「あ、忘れてた」
元はといえば現場にいた青年に何か変わったものを見なかったか、と聞こうと思っていたのだった。
ただ現在の状況においては、このネモを名乗る青年そのものが何より変わった存在だといえる。
メルクはロフィとグラフェンが同意するのを確認すると、上司に連絡を取るため通信機の電源を入れた。
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