4章 記憶の行き先

1

 島に戻り買ってきた土産を渡すと、誰もが喜んでくれた。流行りの本や新鮮なオキアミを、スミレや白樫は嬉しそうに受け取った。数種類の香辛料を受け取った律は、「もっと可愛いもんがよかったなー」などと言いながら、それを使ったフィッシュカレーを作ってくれた。

 坂の上の家で、凪と律、それに犬耳の生えた子どもとカレーを食べる。子どもには、「小夜さよ」という名が与えられていた。まるで女の子みたいな名前だが、夜に現れたまだ小さなその子には、よく似合っている。彼は律が特別に作った甘口のカレーを幸せそうな顔で口いっぱいに頬張った。すっかり元気になったらしい。

 古い家のため風呂の灯りは薄暗く、それを小夜が怖がっていたため、陽向は一緒に風呂に入った。上がってから耳に気を付けて髪を拭いてやり、寝間着を着せ、同じ部屋に布団を敷いてやる。夜が更けて彼が寝付いてから、居間に戻った。

「寝ちゃったよ」

「小夜くん可愛いよねー。天使みたい」風呂を上がったばかりの律が、髪を拭き拭き言う。「いくらでもご飯作ってあげたくなる」

「だからって、太らせるなよ」

「はいはい。わかってますって」

 襖を開けて、麦茶入りのコップを持った凪が入って来た。そのまま襖を左右へ大きく開け放ち、外の空気を入れる。穏やかな夜風がさらりと頬を撫でるのが心地よく、二泊三日での団地生活では、一度もこの風を感じることはなかったと思い出す。大して離れていない距離なのに、まるで遠い異国のようだ。

「凪、あのさ」座卓につく凪に切り出す。「ケガレって、一体なに」

「陽向も知ってるでしょ、人を食べる妖怪だって。ケガレを構成してる妖怪のどれかが、食べられた人の魂と混ざるんだよ」

 横から入ってくる律に、「それだけ?」と返す。

「例えば、島のどこにいるかとか、どれくらい人を襲うのかとか。何も分かってないわけ」

 陽向が詰め寄ると、律は困った風に隣の凪を見上げた。彼は軽く頷き、続きを引き受ける。

「分かってないことは多いし、推測でしかないよ」

「それでもいい」

「ケガレは、恐らくこの島の山の深くに潜んでいる。とはいっても、誰かがその住処を突き止めたわけじゃないけどな。人を襲う頻度はまちまちだ。腹が減ると、山から海を渡って街に出向く。黒の塊が空に上るのをこれまで何人もが目撃した。それでも数年に一度だし、確実じゃない」

 まさに予測不可能な化け物らしい。凪は一度麦茶を口に含む。

「ケガレは妖怪の念の塊だ。大昔、ある祈祷師に退治された多くの妖怪たちの悪意で出来ているんだ」

「祈祷師に退治された妖怪……」唐突な言葉に、陽向は彼の言葉を繰り返す。「祈祷師ってよく知らないけど、妖怪の退治屋、みたいなもの」

「そんなものかな。お祓いだとか、祈願だとかを請け負う人たちだよ。その祈祷師は強力だけど質の悪いやつで、罪のない多くの妖怪たちを面白半分で手にかけたんだ。それで、無差別に滅ぼされた妖怪の恨みや念が蓄積されて、それが形を成したのがケガレなんだ」

 陽向は、滅ぼされたのに念が残るのかと考えたが、あるかもしれないと納得した。死して尚の恨みつらみ。末代まで祟ってやる。殺された人の念が仕返しをする話は枚挙にいとまがない。これだけ奇怪な現象を見せつけられれば、妖怪であってもあり得る話だろうと納得できる。

「陽向は山でケガレに襲われた時、寂しいとか悲しいとか、マイナスの感情に包まれたって言ったろう。まさにケガレは、そんなもので出来ているんだ」

 山中で感じた身震いする感覚を思い出し、再度辛い気持ちになる。成仏できない妖怪たちの負の念。獲物を求め、いつまでも彷徨い続ける化け物。

「なんか……すごく悲しいな」

「普段は大人しくしているんだが、稀に島を出て飢えを満たしに行くんだ。あの時、人間の陽向が近くにいたから、島内で襲ったんだ」

「じゃあ、どうしてケガレはあの子を選んだんだろう」

「その基準は分からない。恐らく、目に留まったものを喰っているんだろう。俺たちには過去の記憶がないから、検証もできないんだ」

「それを探るより、島でのんびり暮らしていた方がずっといいしね」

 座卓に頬杖をついて聞いていた律が言う。

「あたしたちは、もう妖なんだから、何が分かってもここでしか暮らせないし」

 ぴくぴくと茶色の耳が動いた。この姿の彼女が街に出向いて、普通の生活を送れるとは思えない。暝島で仲間と共に生きている方がいいのだろう。

「でも……」言いかけて、口を噤む。それで本当にいいのかと言いたかった。彼らも小さな島から出て、海の向こうで暮らす選択肢をどうにか得る方法があるんじゃないか。だが、所詮人間でしかない自分がどうこう口を挟んで良い問題でもないように思える。だから陽向は、何も言えない。

「ま、ちょっと退屈ではあるけど。それがいいのよ、島暮らしは」

 律が大きく伸びをし、頬を上げて笑いかけた。

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