6

 視界を、灯りが煌々と照らしている。

 しばらくして、それが吊り下げられた電灯だということに気が付いた。約十日で、ようやく見慣れてきた天井。

「陽向、起きたの? 陽向!」

 何度も耳にした声と共に、彼女の顔が視界に入る。泣き出しそうな歪んだ表情の少女は、律だ。「律……」自分でも聞き取れないほど掠れた声だったが、彼女はぎゅっと唇を結んで何度も頷いた。

 すぐに凪を含めた何人かが枕元に集まってくる。その光景を目にしつつ、陽向は何が起きたのかぼんやりと思い返していた。

 山に小屋の様子を見に行って、地震にあった。低い地鳴りと激しい揺れ。急いで麓に下っていると、何かが襲い掛かってきたのだ。

 あれは何だったんだろう。黒い塊。それを白い光が弾き飛ばしたところで、記憶はぷっつりと途切れている。

「陽向がなかなか帰ってこないから、皆で手分けして探してたんだ」

 そう言った凪は、陽向の話を聞くと考え込む仕草をした。まるで覚えがないわけではなさそうだ。

 陽向はゆっくりと身体を起こす。慌てて律が止めようとするのを、大丈夫と制する。手や足や顔のあちこちに包帯やガーゼが巻かれているが、いずれも痣やすり傷といった程度だ。斜面を転げ落ち、気を失っているところを見つかったが、幸い軽傷で済んだ。手渡されたコップの水を飲んで人心地つく。

「黒い塊が、襲ってきたんだ。それを光が弾き飛ばしたのを覚えてる」

 しばらくの間、沈黙が下りる。陽向は待った。彼らに心当たりがあることは一目瞭然だった。

「……それは、ケガレだ」

 やがて沈黙を破り、白樫が低い声で呻いた。

「ケガレ……?」初めて聞く名称だ。「なに、それ」

「ケガレっていうのは、つまり……妖怪だな。この島に昔から巣くっている、とんでもなく強いバケモノだ」

「陽向、悪かった。俺が頼みごとなんかしたせいだ」

 凪が悔しそうな顔をするのに、慌ててかぶりを振る。

「そんなことないよ、凪は悪くなんかない。……それより、そのケガレってどういうやつ。人を襲うの」

「ああ、たまにな。ケガレは群れることをしない。一体で島の真ん中に息をひそめていて、ときおり外に出てきて人を喰う。だからもう、あの辺りには近づかん方がいい」

「朝の地震とは、関係あったのかな」

 凪たちは顔を見合わせる。しばらくして、「いや」と凪が否定した。「偶然じゃないかな……。なにしろ、ケガレには分からないことが多い。俺たちもその姿をきちんと目にしてるわけじゃないんだ。ただ、時たま外に出てきて、人を襲う。先日、島を飛び立った姿を見かけていたから、しばらくは大丈夫だと踏んでいたんだが」

 よく助かったな。陽向は我ながらそう思った。人喰いのバケモノと遭遇してかすり傷で済んだなんて。

 その思いを察したのか、凪がズボンのポケットから取り出したものを畳に置いた。

 それは、小さな鈴だった。

「これ、俺の……」

「光が見えたって言ったよな。倒れてるきみのそばにこれが落ちていた。助けてくれたんだ」

 肌身離さず身につけていたお守りだった。昔からの癖で、あの時もズボンに括りつけていた。

 ただ、五色の紐は千切れ、鈴は錆びて黒ずんでいる。陽向が手に取ってみると、ぽろぽろと炭のように形が崩れていく。あっという間に、布団の上に黒い粒だけを残して、お守りは消えてしまった。

 呆気に取られて陽向はそれを見つめていた。

「お守りだったのか」

「……母さんが、持たせてくれてたお守り。正直、半信半疑だったんだけど」

 近頃は母に対する義理立てに近い気持ちで、それを身につけていた。例え母が自分を鬱陶しく思い、そして自分が母に嫌気がさそうと、この繋がりが最後の砦に成り得ると無意識のうちに思っていた。鈴を持っているのは、母は自分を愛してくれているから、自分は母を大事に想っているから。そんな理由付けが出来るというだけだった。お守りとしての力があるだなんて、高校生にもなれば信じられなかった。

「お母さんが、守ってくれたんだ」

 律の呟きに、母を疑っていた自分は馬鹿だったと思う。項垂れ、破片と化したかつてのお守りを見つめた。

「……俺は、影なんだ」

 ぽつぽつと、陽向は自分のことを口にした。自分が、葛西将吾という男にとっての隠し子であること。それ故に、様々なことを諦めてきたこと。大事な人まで奪われそうになり、人を殺しかけ、自暴自棄になって凪の誘いを承諾したこと。

 俺は、影だ。いつしかそう思うようになっていた。ひなたという名はあまりに皮肉だ。学校も部活もバイトも諦め、今後も目立たぬようひっそりと人生を送るしかない自分は、日向を歩くことなど出来ないのに。

 頭に触れられ、顔を上げる。髪に触れる凪の手が、ゆっくりと頭を撫でている。

「よく頑張ったな」

 涙を零さないようにするので、精いっぱいだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る