第3話
夏期講習が始まる日の朝、僕は晴海姉ちゃんと、姉ちゃんの親友でウチにもよく遊びに来る長津田雪さんに連れられ、合宿用の荷物が入ったスポーツバッグを抱えて、朝日奈恭子さんのお家を訪ねていた。
「まぁまぁ、晴海ちゃんに雪ちゃん、わざわざ恭子を迎えに来てくれたのね……あら、そちらの男の子は?」
「あ、ウチの弟の香吾です。香吾、ホラ、挨拶」
姉ちゃんに促された僕は、とりあえずおばさん──朝日奈さんのお母さんらしき女の人に「こんにちは」と頭を下げておく。
「コイツも今日から猪狩沢で夏期講習合宿があるらしいんで、駅まで一緒に行こうと思いまして」
「まぁ、そうなの。感心ねぇ……あ、ごめんなさい、ささ、上がって上がって」
朝日奈さんが10数年歳をとったらソックリになりそうな、おっとりした雰囲気のおばさんは、僕らを快く招き入れてくれた。
勝手知ったる他人の家と言うか、姉ちゃん達はそのまま2階に上がり、「恭子ちゃんの部屋(はぁと)」と言うプレートがかかったドアをノックする。
「恭子ぉ、入るわよー」
「ひゃ、ひゃいッ!」
中に居る朝日奈さんのカミカミの返事(まぁ、いつものコトだけど)を聞く前に、姉ちゃんはドアを開ける──姉ちゃん、それノックの意味ないから。
そうして、晴海姉ちゃんの部屋とは(いい意味で)だいぶ違う、いかにも“女の子”らしい柔らかな雰囲気の部屋に僕らは足を踏み入れた。
もちろん、中には部屋の主である朝日奈さんがいて、僕たち三人を迎えてくれる。
「い、いらっしゃいましぇ」
あ、また噛んだ。
「グーテンモーゲン、恭子! もう準備は出来てる?」
「えっと、その、はい、たぶん……」
自信なさげな朝日奈さんの答えとともに、姉ちゃんは懐から取り出した親指大の小瓶の蓋を取り、中味をパパッと周囲に振り撒く。
「うん、念の為の人払いはコレでよし、と。じゃあ、恭子、時間がないから早速だけど始めるわよ。心の準備はいい?」
「は、はい──やってください」
いつも気弱な朝日奈さんにしては、珍しく決意したような表情だ。
その返事を聞いた姉ちゃんは、床にレジャーシートを引くと、その上に椅子を置き、朝日奈さんを座らせる。髪を束ねていたリボンを解くと、背中の半ばくらいまである朝日奈さんの綺麗な栗色の髪がふわっと肩に広がった。
「雪、例のものは?」
「──ちゃんと借りて来た」
長津田さんがバッグから取り出したのは、先の丸くなったハサミと、水色のビニールシート?
姉ちゃんが、ソレを朝日奈さんの首元に巻き付け、ハサミを手にした長津田さんが、朝日奈さんの背後に回る。
まさか、と僕が思うまでもなく、長津田さんがサクッと朝日奈さんの髪にハサミを入れ、柔らかそうなその長い髪が切り落とされる。
「!」
一瞬息を飲んだのは、僕か、それとも朝日奈さん本人か。
長津田さんは、そのまま手際よく朝日奈さんの髪を切り揃えている。
(そう言えば、長津田さん家って、商店街の美容院なんだっけ)
こんな風に手際がいいのも、門前のなんたらなのかなぁ。
──などと僕がくだらないコトを考えているうちに、朝日奈さんの髪はロングから心持ち長めのショートカットに整えられていた。
「どう、ですか?」
「うんうん、なかなか似合ってるわよ、恭子」
「──ボーイッシュでキュート」
姉ちゃん達の言う通り、短くなったその髪型は意外と朝日奈さんにマッチしていた。いつもより、ちょっとスポーティで活発そうにも見える。
「そ、そうですか? ちょっと照れくさいですね」
はにかみながら、朝日奈さん自身も満更じゃないようだ。
「切った髪は、これに入れてっと……」
姉ちゃんがカバンから取り出した広口瓶に朝日奈さんの髪を入れると、中の液体にたちまち髪の毛が溶けて、透明な液がウィスキーみたいな濃い琥珀色に染まった。
「うん、これでよしっ、と。じゃあ、恭子、それに香吾も。今着てる服を脱ぎなさい」
──へっ!?
「姉ちゃん、冗談……だよね」
「ん? いやいや、本気と書いてマジよ、マジ」
姉ちゃんいわく、これから僕は「朝日奈恭子」に、朝日奈さんは「鶴橋香吾」に、と立場を入れ換えるのだから、当然服装も交換するべきだと言うのだ。
そのためにこそ、朝日奈さんも到底男子には見えない長髪を切ったのだから。
「そりゃあ、理屈は分かるけど……」
姉ちゃんだけならともかく、此処には朝日奈さんや長津田さんもいるのだ。さすが裸になるのは恥ずかしい。
見れば、朝日奈さんも、年下とは言え一応男である僕がいるせいか、真っ赤になって俯いている。
「ふぅー、このままじゃラチがあかないわね。いいわ
──パチン!
姉ちゃんが指を鳴らすと、たちまち意識がもうろうとしてくる。
(しまった! 姉ちゃん、“暗示”を……)
頭の隅で微かにそう考えるものの、すでに僕の意識の大半は半ば居眠りしたようなボーッとした状態になっている。
「じゃあ、雪は恭子を手伝ってあげて。あたしはコイツを脱がせるから。
はーい、香吾く~ん、脱ぎぬぎしましょうねぇ♪」
そんなことを言いながら近づいてきた姉ちゃんに命じられるまま、僕の身体は勝手に動いて、次々に服を脱いでいく。
程なく、僕はパンツ一丁すら履いてない素っ裸になってしまった。
姉ちゃんの暗示で心が麻痺しているせいか、恥ずかしさもあまり感じないのだけが不幸中の幸いだ。
けれど……。
「うーん、意識のないまま着替えさせちゃうのは、ちょっと面白くないわね」
また、姉ちゃんがトンデモないことを思いついたらしい。
「雪、そっちはどう?」
「──問題ない。服はすべて脱がせた」
「じゃあ、コイツの服を渡すから、恭子の服をこっちにちょうだい」
「了解」
僕と朝日奈さんが着ていた服をそれぞれ持ち主と逆の方に持ってくると、姉ちゃんは再び「パチン」と指を鳴らす。
それで“暗示”が解けたのか、僕らは動けるようになっていた。
「──! な、何すんだよ、姉ちゃん」
大いに抗議したいところだが、フルチン状態ではそれもままならない。
「いつまでもためらってるアンタたちが悪いのよ。あんまり時間もないコトだし、ほらほらチャッチャと着替える!」
ぐぬぬ……この状態では、何を言っても無駄だろう。仕方なく僕らは、渡された服に着替えることにした。
僕はベッド、朝日奈さんは勉強机の方を向いて、互いに背中合わせの状態なので、振り返らなければ互いの裸は目に入らないのは、不幸中の幸いだった。
ベッドの上に積まれた衣類の小さな山から、白いレース飾りのついた女の子用パンツ(“ショーツ”って言うんだっけ?)を手に取り、一瞬思考がフリーズしかける。
「こら、香吾、グズグスしてないで早く着替えなさい!」
姉ちゃんに急かされることでフリーズの解けた僕は、覚悟を決めて、ドキドキしながら、そっとショーツに足を通す。
腰まで引き上げると、形はいつも履いてるブリーフと大差ないはずなのに、着心地は全然違うのがよくわかった。
ふわふわと柔らかくて薄い生地のせいか少々頼りないけど、同時にぴったりと股間に優しくフィットする着用感が、なんだか気持いいかも。さっきまで朝日奈さん本人が着てたほのかな温もりが残っているのも、心地よさをプラスしてる感じ。
(うぅ……なんかクセになりそうで、ヤバいかも)
フルフルと頭を振って、ヘン気持ちになりそうなのを振り払い、伸ばした手が摘みあげた白いモノは……。
「──ぶ、ぶらじゃあ」
絶句している僕を見かねたのか、「貸しなさい!」とひったくった姉ちゃんに指示されるまま、ストラップに手を通すと、ブラのカップが胸にピッタリ密着する。
あとで聞いたところ、朝日奈さんの胸ってAAカップらしい。詳しくは知らないけど、高一でAAって、相当なペチャパイだよね? もっとも、そのおかげで、パッド一枚入れただけでブラに違和感がなくなったのだから、朝日奈恭子になりすまさないといけない僕としては、良しとすべきなのだろう。
いつまでも下着姿(それもブラとショーツ!)でいるのは恥ずかしいので、そのまま服を着ようとしたところで、姉ちゃんに止められた。
「ちょっと待った。服着る前に、アンタの頭にコレを使うわ」
と、さっきの広口瓶に入った琥珀色の液体を、姉ちゃんは僕の頭にブッかける。
「わわっ、何すんだ……よ?」
ムズムズするかゆみが僕の頭を襲い、同時にゾワリとした感覚とともに髪の毛が猛烈な勢いで伸びているのがわかった。
「これは……毛生え薬?」
以前、姉ちゃんに実演されたことがあるから、すぐにその液体の正体に思い至る。
「そ。ただし、恭子の髪の毛をブレンドした特製品よ。その証拠に、ほら」
姉ちゃんがひと房すくいあげた僕の髪は、本来の僕の黒くて堅めの髪とは似ても似つかない栗色で、軽くウェーブのかかったやわらかそうな髪質になっていた。
「これで、学生証の写真の恭子とよく似た髪型になったでしょ。さ、着替えを続けて続けて」
「はぁ……わかったよ」
ここまできたらヤケだ。僕はおとなしく「朝日奈恭子」になりきるべく、残りの彼女の服に手を伸ばした。
若草色をした半袖のワンピースは、胸元のボタンを外して足を突っ込むだけで着れたんだけど、普段の服とは逆についてるボタンをとめるのに少し手間取った。
それに襟ぐりがやや深めで、セーラーカラーになってるのは涼しくていいんだけど、襟の部分がそのまま伸びて、胸元で結ぶリボンになってる構造なのが巧く結べない。
「もぅ、これくらい、ちゃんと覚えなさいよね」
仕方なく姉ちゃんが手伝って結んでくれる。
そのあとは、白いレース編みの靴下を履いてくるぶしで三つ折りにすれば──よし、着替え完了だ。
「──まだ終わりじゃない。ココに座って」
長津田さんに言われて、先程の断髪の時に朝日奈さんが座っていた椅子に腰かける。
その朝日奈さん本人のほうを見ると、こちらも僕の服に着替え終わっていた。
ライトグレーの無地のTシャツの上にダンガリーシャツをボタンを上から3つ開けて着て、ボトムは膝丈のカーゴショーツ。頭にはブルーのアポロキャップ。
ティーンの少年の夏場の定番とも言える服装だけど、朝日奈さんは「ちょっとキュロットみたいですね」と、あんまり違和感は感じてないらしい。スカートで足元が落ち着かない僕とは大違いだ。
「──頭はあまり動かさないで」
長津田さんの指示に従って、真っ直ぐ前を向く。
長津田さんは、先程のハサミで、僕の伸びた髪の長さを揃えてくれてるみたいだ。そのあと、軽くブラッシングしたのち、朝日奈さんがさっきまでしていたリボンで、僕の長い髪はポニーテールに結わえられた。
「よしよし、これでふたりの立場交換の準備は整ったわね。それじゃ、“暗示”をかけるわよ」
僕と朝日奈さんは向かい合わせに立たされ、両手を胸の高さに上げて掌を合わせるよう指示される。ちゃんと手を合わせたのを確認してから、姉ちゃんが、僕と朝日奈さんの肩に左右の手を置く。
「そのまま動かないでね……エイッ!」
姉ちゃんの気合いとともに、その手から何か“不可視の気配”みたいなものが伝わって来た──ような気がした。
「これでよし、っと。これで、アンタは「朝日奈恭子」、恭子は「鶴橋香吾」として、周囲の人には認識されるはずよ」
え? 暗示って……僕らに対してかけたんじゃないの?
「本人にも影響はあるけど、どちらかと言うとこれは、アンタ達を見た人に対してかかる暗示ね」
そんな
「疑うなら、恭子のお母さんに会ってみれば? アンタのことを娘だと勘違いするはずよ」
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