第3話 灯台下暗し ~ 10年以上前のブログから

 私が40歳になった年が2009年。

 そのはるか前の2006年頃からそのブログを運営していたのですが、思うところあって2008年8月以前のものは現在すべて非公開、それ以降の記事についても少なからずのものを非公開にしています。


 実は、当時すでに詩や短歌、俳句等を時々作っておりました。


日本地図 焼いてしまえば ただの灰


 これはさすがにもっと前に作った大傑作・謎の川柳(苦笑)です。

 それはともあれ、当時作っていた短歌や俳句、詩などを読み返して思うに、案外当時から、この手のものをその気になれば作っていける素養があったのだなと気付かされました。

 ちょっと、そのうちのいくつかを。


春先の田を背に立ちぬ駅名板

川の跡田となり駅となりにけり稲穂も人も来ては去り行く


~ 2010年3月4日 一畑電鉄川跡駅の駅名板とともに


 これは、1994年3月初旬に行った一畑電鉄の川跡駅の駅名標と、その背景にある、まだ耕されていない春先の田んぼを写した写真を添えて詠んだ歌です。

 その駅名もうまく漢字にして読込み、我ながらいい感じになっているかな。


 しかし当時は、短歌や俳句を詠んで何かしていこうなんて思いはありませんでしたので、たまに書いてはそのままで、現在に至っていたわけです。

 こんなネットの片隅に残っていた短歌でも、何かをきっかけにして人目に触れることもあり得るわけですが、どうせなら、自分から出してやれということです。


 実際今年、こんなこともありました。

 これはカクヨムではなくフォートラベルさんに出している旅行記ですが、以前より公開していた広島県三原市の小佐木島で起きた風の子学園事件の現場を訪問した旅行記で、事件が起こりました。

 今年の6月14日に異様なアクセス数を記録して後、事件現場となったコンテナの解体撤去がその月下旬に行われたのを機に爆発的な(当社比)アクセス数を記録しました。

 しかも、グーグルその他のサイトで検索しても、私のその旅行記が上位に入ってきているではありませんか。そのうち、カクヨムの関連作品のある特定の話が急激にアクセス数を伸ばし、私の作品群にしては(当社比とは言え)異常としか思えないほどの数値になっています。


 正直こちらの話はあまりいい話ではない故、アクセスが伸びたからと言って手放しで喜べるものでもないのは確かです。それでも読んでくださる方がいらっしゃるということであれば、こんなありがたいこともないわけです。


 これを書いている12月30日は、昨日29日に引続いて執筆を中心に作業を進めておりますが、今朝の8時前後の約1時間程度、他の方の作品を一通り読み通させていただきました。

 確かに、他の方の作品のこれというものから学ぶことは多いです。その方の作品のレビューも、僭越ながら書かせていただきました。

 とはいえ、自分自身がこれまでかかわって来たものをよく見直してみれば、いま改めて形を変えて公開するだけの価値のある「財産」もたくさん眠っているなということにあらためて気づかされます。


灯台下暗し


 そんなことわざがありますね。灯台は遠くまで照らすことはできるが、その建物の立っている下は暗いものだという意味です。

 それどころでない経験も、今年はしました。


 先ほど述べた小佐木島には、明治時代に建設された灯台があります。

 32年前に行ったときも、今年9月に訪れたときも、その灯台の存在を見ることもなく、そこにその灯台があることさえも気づいていませんでした。

 さすがに32年前についてはそんな知識がなかったから仕方ないかもしれませんが、この9月に改めていったときにも、その灯台のある場所がわからなかったほどです。もっとも、今の港にある地元の灯台は、はっきり目視できていますが。

 しかし、その後10月中旬の日曜日に訪れたときには、行きの高速艇からその灯台の一がはっきりと確認できました。そして改めて風の子学園のあった現場を確認して港へと歩いていて、ふと海側の道から見ると、その灯台の存在を、はっきりと自分の目で見ることができたのです。


 なぜ、こんなことが起きたのか?


 おそらく、風の子学園という場所で起きた事件を追うことで精一杯だったこともあって、32年前にしてもこの9月にしても、その場所が見えなかったのではないかというのが実態ではないか。

 しかし、ある程度余裕もでき、きちんとその現場の状況と変遷を追い切った10月の訪問の際には、ようやく、その灯台の存在に気付けるだけのゆとりというよりもその情報が入るための余地ができたというわけです。


 見えないとなれば、目の前にあるはずの大きな建造物さえ見えないもの。

 しかし、よく見ていけば、誰もが気付かない何かがはっきり見えることもある。


 今述べた2文は、言われてみれば当たり前、いやいや、言われなくたってわかるわいと言いたくなるような話ではあります。

 ですが、こういうことを肌身で経年した後ともなれば、ゆめゆめおろそかにできない言葉として、我が身に鋭く迫ってきます。


 今年は、私の妹の娘=姪が22歳になり、息子=甥が中学2年の14歳に。

 その年齢の頃の私に係る何かが、たくさん起きた年でした。

 おかげさまで、私自身の足元をしっかり見つめなおすことができました。

 その糧を来る2024年に活かし、さらなる事業発展に向って参ります。


 年越しまであと1日。

 疲れを出さぬよう、どうぞ皆様ご自愛の上、良き御年を。


  2023年12月30日

                   与方藤士朗 拝

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