Identity All Players:回顧・鏤骨

朝雨さめ

【前編】回顧

昔から鬼ごっこが好きだった。

特に「鬼」よりも「逃げ」のほうが好きだった。

走るのは好きだったし、何より「鬼から逃げる」というスリル感が好きだった。

時には凶悪な殺人鬼を、時には凶暴な猛獣を想像して、それらから逃げた。

待ち伏せされても、二人がかりで追われても、広げられた腕の合間を縫って、小柄な体格を活かし駆け抜けることができた。

小さい頃は、兄や学校の友達と家の近くの公園でよく鬼ごっこをしていた。

その公園は、小さなジャングルジムと、滑り台と、ぶらんこがそれぞれ一つずつあるだけの、遊び盛りの子供にとっては退屈な公園だったけれど、その代わりにだだっ広かった。

子供の少ない地域だからだろうか。放課後や学校が休みの日に遊びに行っても、たまにサッカーボールを持った高学年のひとたちがいるくらいで、基本的に誰もいなかった。

その頃の僕にとって公園の「貸し切り」ほど嬉しいものはなかった。

いくら騒いでも怒られることはないし、何よりこのだだっ広い公園の芝生の上で誰にも気を遣わず駆け回ることは心の底から気持ちよかった。

足を一歩踏み出す度に、顔をつめたい空気が通り過ぎる。おなかの中に目いっぱい空気を吸い込んで、腕を振る。全身を動かしているから体温はかなり上がってるはずなのに、心地良い風が全身を包んでいるから、走っていれば暑くもなくて、むしろ涼しかった。

だけど、純粋に鬼ごっこを楽しめていたのは身体能力に差がつき辛い低学年までだった。

学年が上がるにつれて、足の速さにはばらつきが出てくる。

前みたいにはいかなくなった。

周りを見てみると、どうやら僕はみんなよりもだいぶ足が速いらしかった。

体育の授業でクラスで一番50m走が早くても、嬉しくはなかった。

鬼ごっこでつい僕が全力疾走してしまうと、「逃げ」をすれば捕まえられないし、「鬼」をすれば一瞬で決着がついてしまう。

次第に、仲間内で「ユウキと鬼ごっこしても楽しくない」なんて言われ始めたし、地域のクラブに入ってるようなやつは、サッカーとか野球とかをやりたがった。

それでも僕は鬼ごっこが好きだった。

最初のほうはしぶしぶ付き合ってくれていたやつらもいたが、そんな鬼ごっこには昔みたいな自由な楽しさはなかった。

そんな中、ついには「鬼ごっこなんて子供の遊びだよ」なんて言われてしまった。

小学五年生の頃だ。

「子供の遊び」。今となっては小学校高学年なんてまだまだ子供だろうと思うが、思春期に差し掛かるような年ごろの男子が何かを諦めるには十分な言葉だった。

次第にみんなと遊ぶことが少なくなっていった。


中学は陸上部に入った。

足は小学生の頃からずっと速かったし、一人でもできる。

何より走るのはやっぱり好きだった。

陸上は楽しかった。

小さい頃から外を駆け回っていたのが功を奏したのか、小学生の時から陸上をやっているやつらにも食いつけていた。

全力疾走ができる短距離も好きだったが、長距離が一番好きだった。

自分の記録と戦うことよりも、後ろに誰かがいるということのほうが僕を奮い立たせた。

長距離走の大会で、いつも頭の中に思い浮かべるのは放課後、近所の公園で友だちと鬼ごっこをしていた時の記憶だった。

出走開始のピストルが鳴って、選手が一斉に走り出すと、青緑黄色、様々な学校のユニフォームが目の前に現れる。

青のユニフォームは小学生の頃友達だったシュン、緑はカツヤ、黄色は幼馴染のカズヒロ。

みんな僕より足が遅かったから僕が鬼をやるとすぐに捕まってた。

頭の中でシュンの背中に手を伸ばす。

「シュン捕まえた!」

次はカツヤ。

「捕まえた!」

最後にカズヒロ。

「次、俺以外のみんなが鬼でいいよ!捕まえてみろよ」


次第に目の前から誰もいなくなる。

俺が一番だ。

全身を切る風が気持ちいい。後ろから例え手を伸ばされても追いつけない。

俺は捕まえられない。


俺は中学の陸上の大会で何度も賞を獲った。

県大会にも出て、それなりの順位になった。

学校で表彰もされた。

好きなことをして、称賛される。親からも先生からも褒められる。

好きなことをしているだけで、認められる。

気持ちは良かったが、それでもふと「鬼ごっこがしたい」と思うこともあった。

だけど諦めもついていた。鬼ごっこなんて所詮は子供の遊びだ。分かっている。

それに、

その頃僕は走ること自体、鬼ごっこと同じくらい好きになっていた。

好きなことのためにはなんだってできた。毎朝五時起きの朝練も、冬場、喉の奥が乾燥して血を吐いた時にも苦しくはなかった。

それくらい走ることが好きだった。


中学三年生になって僕は県内有数の陸上強豪校の推薦を貰った。

親からも特に反対はなかったし、僕もそのまま高校で走り続けたいと思っていたから何の問題もなかった。


中三の12月。その日は朝から珍しく雪が積もっていて、道がところどころ凍結していた。転んだりしないように、なんて思いながら坂の上にある学校へ向かっていた。

前から車が坂を下ってくるのが見えた。

坂道からの曲がり角、スピードが出やすい地形だった。


気が付くと病院のベッドの上だった。

全身が痛かった。

医者が言うにはどうやら僕は交通事故に遭ったらしい。幸いにも脳に異常はなかったし、生命活動を行う分にはなんら支障が出ないくらいの怪我で収まったらしい。

ただ、足の神経が少しだけ、ほんの少しだけ傷ついてしまったらしい。

「あの規模の事故でこの程度の怪我で済んだのは運が良かった方だよ」なんて言う医者の話を聞きながら僕の視界はぐにゃりと曲がった。


前みたいに走れなくなった。生まれて初めて死にたいと思った。


推薦は取り消しになって、高校は家の近くの進学校に通うことになった。

家族が僕が不憫だと嘆いていたのを覚えている。

死にたかった。

退院しても、足のギプスが取れてからも、卒業式の日にクラスの女子から告白されても、ずっと死にたかった。

走れないことも、鬼ごっこが出来なくなることも、全部が嫌だった。

好きなことができない人生なんて生きる意味はなかった。

高校に上がってからしばらくして、僕は家から出れなくなった。

もう何もかもがどうでもよかった。


セミの音がする。

高1の夏、どうやら夏休みに入ったらしい小学生の集団が家の前を通りがかった。

「明日公園に集合な」

なんて言っていた。

少し、公園の様子が気になった。

中学の方向と公園の方向は逆だったからあまり近くを通ることはなかった。

親は引きこもりになった僕を心配していたから、外出することを特に止めなかった。

公園は、記憶の中にある以上に狭かったし、ジャングルジムは撤去されていて、元々少なかった遊具は滑り台とぶらんこだけになっていた。

「こんなんじゃ誰も遊びに来ないだろうな」なんて内心苦笑しながらぶらんこに腰掛ける。

ギギィとさび付いた音を鳴らしてぶらんこが揺れる。

楽しかったのだ。本当に。楽しかったのだ。

走ることも。鬼ごっこも。

気づいたら泣いていた。

堤防が決壊したように、とめどなく溢れてくる。

悔しい。つらい。悲しい。

また走りたい。また鬼ごっこがしたい。

泣いて、泣いて、しばらくして。

ぶらんこに揺られながら泣いている男子高校生なんて不気味だろうななんて思って、泣きながら笑う。

帰ろう。

そう思ってスマホの時間を確認すると、新着メッセージが来ていた。

カズヒロからだった。

『おすすめのゲームがあるんだけど』

小中どっちの友達ともほぼ連絡は取っていないが、唯一カズヒロとは今でもたまに連絡を取り合っていた。

『コレ』

リンクが貼られている。

ゲームアプリの共有だった。

『第五人格って言うやつ。おもしろいよ。』

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