他人との価値観

@takamidou

第1話

人は皆んな、何かについて常に悩んでいる。容姿のこと、環境のこと、数え切れないほどの悩みを人々は抱えている。そして、悩むと同時に理想を持つ。身長が高ければいいな。

もっと容姿が良かったらいいな。

もちろん私もその一人だ。

ところで、物事を俯瞰してみると、容姿が良くない、というのは誰から見たものだろうか。それは、他人や自分から見たものだろう。それでは、その基準はどう生まれたのだろうか。それに明確な答えはないかも知れないが、私なりの見解がある。

世界には、約85億人の人口がいて、それぞれの容姿が異なる。私たちは、毎日誰かの顔を見ることで、相対的に人を評価するようになり、それが、容姿のいい人、悪い人に分けられる。つまり、容姿の良し悪しは、他人から見た相対的な評価と言っていい。その裏付けとして、橋本環奈のことを過半数が可愛いと感じたり、ある人の容姿はあまり良くないと皆んなが同じ評価をする所が、それは、それぞれの人が多くの人を見て相対的に評価しているからだと言える。ただ、その中で、微妙に基準が低かったり、高かったりするため、ある一定の容姿をしている人は、意見が大きく別れることがあるというのも、人々が相対的に評価していることの裏付けになる。

この話は、容姿に限らず、自分の置かれた環境や、自分の能力の低さに悩む人々にも言える。

例えば、自分は偏差値45の高校で、周りも賢い人があまりいないため、自分の能力の低さを悩んだり、周りにもっと賢い人がいたら、と悩む時に、それは、無意識に学力が上の人々の能力や環境と比べており、それもまた、自分を相対的に評価していると言えるだろう。つまり、人とは他人との間に生まれた相対的な価値観の中で生きているということである。ある事について、上層と下層の人がいると、上層は下を見て、見下したり、安心したりし、下層は上を見て、羨ましがったり、悩んだりする。悩みが幾つもあるのは、あらゆる物事に優劣があるからである。しかしながら、人と関わることを辞める以外、悩みを完全に無くす事はとても難しいだろう。

では、悩んでいる人々はどうするべきなのだろうか。もちろん努力をすることで変わることも多くあるかもしれないが、それでも簡単には変えられない事はたくさんあるだろう。ここで、私は疑問を抱いた。変わるとは何か。悩みが解消される事の基準は何なのか。

容姿で悩む人の例を挙げると、その人が容姿が普通の基準(相対的評価)より低いことに悩んでいるとして、その人は、普通の基準になりたいのか、それとも、それを越えて、もっと上の基準になりたいのか。それは同じ悩みの人であっても、人によって異なるだろう。

仮に、その悩みが普通の基準に達しても、また上がいることで悩む。そして、上にいっても、また、悩むだろう。私は、相対的な価値観で悩む人々は、真に悩みが解消される事はないと思う。

だから、私はどれだけ皆んなが自分のことを絶対的にに見ることができるかが大切だと考え、それでも悩むのなら、それは、一生解決できない事だと、諦めるしかないのかもしれない。

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