元天才はラブコメを描けない

なまら昆布

第0話 俺にラブコメは書けない

「……なんですかこれ」

担当編集──佐藤寛太は机に置かれた原稿の横に、人差し指の先を細かに打ち付け、こちらに問いかけている。その目に光はなく、どうやら酷く落胆しているようだった。

「なにって、先週言われたネームですが?」

「女の子でも筋肉が大切でしょう?」

二人はきょとんとしながら答えるが、その問いに寛太の顔はより一層暗くなる。

「はぁ……確かに先週、八崎先生にはネームを、ハラミ先生にはキャラ案をお願いしましたがまさかここまでとは……」

深いため息を吐きながら抑揚のない声色で言ったはずなのだが……

「「そんなにほめなくても」」

どうやら二人には伝わっていないようだ。

何を隠そう、八崎景と彼女──折原岬は今、説教をされている最中である。

なぜこのような状況になっているかは一か月前に遡る──



とあるカフェのテーブル席、一番日当たりの悪い席に向かいあい、片側は落ち着かない様子で、もう片側は俯きながらコーヒを嗜んでいる。


「八崎先生──【ホームズの嫁】以降、次回作のネーム上がらなさすぎじゃないですか!?」

何か言いたげにしていた寛太は、圭と目が合うやいなや、堪えていたものが溢れ出るように圭の顔目掛け言葉を投げる。


ホームズの嫁とは累計100万部を突破しドラマ化もされた超人気ミステリー小説であり、八崎圭にとっては思い出の処女作である。視聴者、読者はみな「あれは面白かった」という程好評だったわけだが、それは本人も同様。

圭にとってホームズの嫁は最高傑作であり、持ち得る知識全てを捧げた言わば人生、それ以上の物を書けと言われてもミステリーにもう出せるものがないのだ。


「あれ以降書けなくなったんです……」

完結から二年という期間待たされている寛太の気持ちも分からないことはない。今までも同じようにまだネームは上がらないのか、いいアイデアは湧かないのかと聞かれる事は多々あった、その度に重い腰を上げていたのだが、上手くいかなかった。いい話が思いつかない。前作が売れたからだろうか、作家としてのプライドが、妥協を許さない。


簡潔に言うと、書かないではなく──えがけないのだ。

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