壱章-④
ちぎれる、なんて生易しい。たとえるなら、建物よりも大きな何かが屋根を掴んでそのまま勢い良くもいだような、そんな有様だった。屋根はあっという間にどこかへ消えてしまう。
凄まじい爆音を立てて消し飛んだそれを、琴乃は呆然と見つめる。使用人用の屋敷は一階建ての平屋なので、屋根がなくなった部屋からは美しい星空が見えた。空に浮かぶまあるい双子月が、柔らかい光を部屋の中に落としている。
「なん、だっ!?」
泥酔していた勝己も、天変地異のような自体に驚いたこともあり、酔いが一気に醒めたようだった。脱げかけの状態のまま腰を抜かしている。
使用人たちもおかしなことに気づいたのか、真夜中にも関わらず悲鳴をあげていた。使用人たちが住まう平屋は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
琴乃は、ほうけたままのろのろと体を起き上がらせた。だが突如として自分の目の前に影が降りたことを感じ、ゆっくりと顔を上げた。
美しい人が、いた。
長く伸びた銀髪に、月光と同じ色を灯した金色の瞳。大輪の白い彼岸花が咲き誇る白の着流しに黒い羽織を肩にかけたその姿は、まごうことなく夢の中の〝彼〟と同じだった。
差し込む月光を背後にして現れたこともあり、彼の人外めいた美しさがより一層浮き彫りになる。双子月には美しい月人が住んでいるらしいが、きっと彼のような人たちなのだろう、と琴乃はそう思った。
ここで煙管を片手に持っていたら、夢の中と完全に同じだったであろう。しかし彼の片手にはすらりと伸びた抜き身の太刀が握られている。
琴乃は思わず、こう呟いた。
「あなた様は、死神様、ですか?」
太刀を握っていたから、真面目にそう思ったのだ。琴乃の首を斬り落として、ずっと抱いてきた望み通り全てを終わらせに来てくれたのかと思った。
しかし〝彼〟からしたらその返答は予想外だったようで、狐につままれたような顔をする。
「いや、違うよ。君が呼んでくれたから、助けにきただけ」
「たすけ、に?」
「そう。だって呼んでくれたでしょう? 僕の名前」
きょとりと、琴乃は目を丸くした。
呼んだ。無我夢中だったけれど、確かに呼んだ。だからと言って、本当に来るとは思っていなかったけれど。
それでも彼の言うことは事実だったので、琴乃はこくりと頷く。それを見た〝栄〟はとろけるような笑みを浮かべて、琴乃の傍らで膝をついた。
「呼んでくれてありがとう、僕の華嫁(・・)。ずっと君を探してた。夢を使って場所を確認しようとも思ったけど、守りが固くてできなかったんだ。……遅くなって、ごめんね」
謝られたことなど一度もないからか、謝罪の言葉が自分に向けられているのか分からず困惑する。
しかし〝栄〟は琴乃の襟元をささっと直すと、羽織を肩に掛けてくれる。そして琴乃を抱き抱えると、勝己のことなど見向きもせず堂々と平屋の玄関から出ていった。
片手に太刀を持ったまま、彼は琴乃を抱えているなどと思えないくらいの動きでそのまま巴家の正面口に向かう。
何が起きているのか分からない琴乃は、目を白黒させて手のひらの手鏡を抱き締めるしかできなかった。
二人が正面口の敷居を跨ごうとしたとき、ばちばちと閃光が走る。しかしそれは〝栄〟に当たることなく、目前で弾かれて消えてしまった。
それでも〝栄〟の注意を後ろに向けるには、十分だった。彼は後ろを振り向くと、冷めた目でそこにいる人たちを見る。
そこには、弓乃と和臣以外の母家で暮らす人たちがいた。全員が寝巻き姿で、爆音から飛んできたのだということがありありと分かる。
先ほどの閃光を放ったのは雄一郎だったようだ。雄一郎は〝栄〟の腕の中にいるのが琴乃だということに気づくと、額に血管を浮き上がらせて叫んだ。
「愚か者! その娘を返せッ!」
大きな声に琴乃がびくつくと、彼が耳元で「大丈夫だよ」と優しく囁いてくれる。そして、雄一郎に対しては感情のこもらない声で告げた。
「巴家の当主か。お前にとってはただの使用人だろう? 使用人なら、すげ替えれば事足りるはず。お前が何故そんなに怒り狂っているのか、僕には分からないよ」
そう言われた雄一郎が、顔をこわばらせながらも気丈に叫ぶ。
「っ、き、さま」
すると、〝栄〟が刀を一振りする。
瞬間、彼と雄一郎たちとの間にあった地面が、薙ぐような形でひしゃげた。地震にでもあったかのように割れた地面を、雄一郎が呆然と見つめている。
「僕の邪魔をするようなら――斬るよ?」
氷のように冷え切った声でそう告げた〝栄〟に、ぞくりと背筋が震える。
取ってつけたような脅しではない。本気だ。彼なら、この大人数の術者を前にしても自らは傷一つ負うことなく片付けられるのだ。
さすがの雄一郎も、それは分かったようだ。ギリギリと音が鳴るくらい歯を食いしばったが、それ以上何かすることはなく立ち尽くす。それを良いことに、〝栄〟は正面口の敷居を颯爽と跨いで外に出た。
彼はどこからともなく出した鞘に太刀をおさめると、琴乃を抱えたまま夜の道を歩いていく。
その様子は、どことなく嬉しそうだった――
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