邂逅というテーマで書いたエッセイ。

匿名太郎

第1話

 大学四年生の四月。

 のぼり旗(白無地)に黒の筆文字で【要するに童貞】と書き記し、それを掲げてJR鳥取駅の周囲を徘徊するという行為に励んでいた時のことを思い出す。

 小説投稿サイト【小説家になろう】に投稿した自作を、一人でも多くの人間に読んでもらうために、そういった行為に及んだ。目的はあった。愉快犯ではなく思想犯。

 その結果、一週間で八回職質された。講義が始まる前の、朝7~8時に実施していたため、近隣の小中学生の保護者からの苦情が交番に殺到したらしい。関係各位には申し訳なかった。

 しかし、あれは間違いなく青春だった。

 あの行為に、高校卒業まで発露させることが出来なかった僕の青春が凝縮されていた。

 青春の最中にある人間が、視野狭窄に陥ることは少なくない。当時の僕も同じだった。

 現状を正しく認識できない人間は、必然的に未来予測の精度も落ちる。だから僕には、未来のことなど全く見通せていなかった。

 翌年の六月に某ライトノベルレーベルから新人賞受賞の連絡が来ることも。

 更に半年後に作家デビューすることも。

 それから三年間、何の結果も出ない地獄のような日々が待っていることも。

 ちょっと話を変える。あしからず。

 邂逅という単語に、いくつかの人生経験を結びつけることは難しくない。高校三年生の時点で【佐賀のがばいばあちゃん】くらいしか文章作品を読んだことのなかった僕が、たまたま高校の図書館で【やはり俺の青春ラブコメは間違っている】というライトノベル作品を読み、作家になると決めたことも一種の邂逅だし、大学で某学生有志団体(後に主要メンバーの半数が退学)に所属し、人力で田植えをしたことも広義の邂逅に含まれるだろう。北海道をママチャリで旅行していた際、二人の無職に窮地を救われたことも立派な邂逅だ。その旅行中、地震と台風に、ほぼ同時に襲われたことだって同様。

でも、そのくらいの邂逅だけでは、足りない気がする。何か弱いよね。

 書きながら解答を探す。


 ちなみに【要するに童貞】は僕が大学生の頃に書いた小説のタイトルだ。

 童貞の、童貞による、童貞のためのエンタメ小説。というコンセプトで作った作品。

 当時の僕は、この作品が世界で一番面白いエンタメだと信じて疑っていなかった。本当に世界一だと思っていた。ワンピースより凄いと思っていた。 

 が、残念ながら日の目を浴びることはなかった。

 落選が決まってから数か月後。新人賞を主宰しているレーベルから、作品の講評が記された評価シートが送付されてきた。

 講評を書いた編集者4人のうち、3人が『主人公に全く共感できない』と書いていた。これには驚いたね。地球上に存在する全ての男性に刺さると信じて疑ってなかったからね本気で。

 根拠を書く。

 全ての男性は、二種類に分かれる。今現在も童貞である者と、かつて童貞だった者。僕が前者であることは言わずもがな。てか文章から滲み出るよね。童貞って。

 要するに、この世界に童貞を経験していない男性は一人たりとも存在しないのだ。つまり、童貞の童貞による童貞のための作品が刺さらない道理などこの世には存在しないはずなのだが。

 念のため補足。

 講評が意味していたのは【童貞がどうこう以前に主人公が魅力的じゃねーんだよ】という叱咤激励だったということは、冷静になれば自明だが、冷静になったら人生は終わりだ。ほら、人生が詰むよりも、詰んでいると自覚することの方が精神衛生上よろしくないからさ。

 という流れで、童貞は死んだ。でも人生は続く。  

 その後も僕は、友人知人他人が就職活動に励んでいる中、シコシコと小説を書いた。学園祭の日に、研究棟で小説を書いていると、軽音部の演奏と観客の歓声が壁から染みてきて、これでもかとばかりに心が蝕まれたことをよく覚えている。あれはえぐい。


 その後、僕は大学を留年した。ギリギリまで親には黙っていた。事実を伝えるときは、なるべく申し訳なさそうに話すことを意識した。お陰で怒られなかった。昔から僕は可哀想なフリが得意なのだ。

 その日の夜。僕はゼミの友人たち数人とカニ鍋を食べた。美味かった。鳥取の海産物は最高だ。完全なる余談だが、この時の情景を俳句にして、締め切りの近い賞に応募したら、【おーいお茶】のラベルに採用された。

 皆が卒論を書いている間も、僕は小説を書いていた。誰よりもゼミ室に通い詰めていた。たぶん邪魔だったと思う。でも他に行き場はなかった。

 卒論が終わった後の、春休み期間は心地よかった。友人知人や後輩と遊ぶのは勿論、何年も前に卒業した先輩が遊びに来たり、数週間後に入学する後輩と話したりするのも楽しかった。あの汽水域みたいな時間は、今でも割と好きだ。

 幸か不幸かスタートした五年目の大学生活も、結構充実していた。おおむね楽しかった。

 勿論トラブルが全くなかったわけじゃない。

 シェアハウスの同居人(当時24歳)がマッチングアプリで出会ったオバさん(当時48歳)と揉めて、その相手がシェアハウスに強襲してきたり。

 バイトの帰りに青姦に遭遇し、万が一の可能性を考慮して警察に通報したが、結局カップルが盛っていただけだったり。

 もう一人の同居人が誕生日にオオスズメバチに刺されたり。色々あったが、基本的には楽しかった。

 その中でも、新人賞の受賞が、特に大きな吉報だったことは間違いない。

 一応、四年間の投稿生活が実を結んだ形だった。 

 嬉しかった。

 ここがゴールではないという常套句を自分に言い聞かせていたが、振り返ると、当時の自分は、その言葉の真意を理解することが出来ていなかった。


 正直に書く。そもそも僕は小説に対する興味関心が薄い。というか、本を読むのもあまり得意ではない。よほど自分にフィットしない限り、長文をエンタメとして楽しむことが出来ない。まぁ、読書家の友人からすると、僕の文章は活字に多く触れてきた人間のそれではないらしいので、有識者からすれば自己申告するまでもなく一目瞭然かもしれないけれど。

 小説がよく分からない。

 日常的に、ごく自然に、当たり前に小説を読む人間の思考回路が理解できないのだ。

 おそらく自分は本来、小説家になるべき人間ではなかったのだと思う。

 なのに、一つの作品への憧れだけで走り出してしまった。書きたいと思ってしまった。

 無論、書いたことに後悔は全くない。しかし、生半可な気持ちで商業出版の世界に踏み込んで、担当編集者に迷惑をかけてしまったことは申し訳ないと思っている。

 本当の意味で、はっきりと、この気持ちを他者に言えたことは一度もない。担当編集者は勿論、面識のある作家たちは、小説を愛している。それを否定するような台詞は、とてもじゃないが口に出来なかった。

 この駄文の着地点が、おぼろげながら見えてきた気がする。気のせいかも。とりあえず進めてみる。


 大学卒業後。曲がりなりにも作家としてスタートを切った僕だったが、すぐ壁にぶつかった。

 自分が心の底から「面白い」と思える作品を書くことが出来なくなってしまった。

 受賞作の売上が伸びず、打ち切りが決まった時から、僕は「自分の面白いと思うものなど、誰も必要としていない。作品をヒットさせるためには、私情を排して作品を作らなければいけない」と思うようになった。誰かから指示された訳ではない。僕が勝手に思い込んだのだ。

 その思い込みは、やがて「ヒット作を作るためには、辛いことや苦しいことをしなければいけない」という無根拠な偏見に変化し、最終的には「辛いこと、苦しいことを我慢して書いて、作品がヒットすれば、きっと幸せになれる。それまでは耐えなければいけない」という意味不明な枷と化した。

 そして、僕は自分が面白いと思っていない企画案も担当編集者に提出するようになった。当時は毎日のように企画案を担当編集者に送付していたため、そうしなければ企画の数が足りなかった。

 そうやって大量に企画案を送付していると、ある作品の企画書が担当編集者の目に留まり、企画会議を通過し、作品作りがスタートした。

 こうなると、もう四の五の言っていられない。私情を排して、原稿を書くしかない。

 だが、私情を排して書いていると、何のために書いているのか、本当に分からなくなってしまった。

 そこで気づいたのだが、僕は今までずっと、自分だけのために作品を書いていたのだ。僕にとって創作は、ままならない世界への復讐であり、誰にも侵略されない聖域だった。

 でも、何の結果も出していない無名作家に、聖域を守る力は無かった。

 幸い、担当編集者は優秀だったため、必死で指示に応えていれば、作品は形になった。

 しかし、作品が打ち切りに終わると、本当に何のために書いていたのか分からなくなった。強烈な虚無感に襲われた。


 大学を卒業してから今日までの三年間は、基本的に敗北の三年だったと呼んで差し支えないだろう。

 そして、今夏の末。僕は最悪手を打つ。

 散々苦しんで、どうにか完成させた作品が、期待した結果を出すことが出来なかった。

 その時に、某SNSにて『こんな思いをするくらいなら、こんな作品、書かなきゃよかった』という旨の文章を投稿してしまった。

 これは、共に本気で作品作りをしてくれた担当編集者に対する最大級の侮辱であり、その作品を読んで、愛してくれた読者に対する裏切り行為だ。最低だった。

 担当編集者は、この手の行為をひどく嫌う人だ。「こいつとはやっていけない」と思われたとしても、反論はできない。

 もっと言うと、仮に担当編集者が許してくれたとしても、問題は解決しない。問題の根元は、僕が心の底から面白いと思えるものを書いて、それをヒットさせることが出来ないことなのだ。

 才能がないから悪いのだ。無能は悪。

 この問題の解決は、僕が現在の性格を完全に消去してしまわない限り無理だろう。

 どうすれば良かったのか、未だに分からない。

 SNSに書き込まなければよかったのか。いやそれは本質的ではない。

 もっともっと前の段階で、僕は躓いていたのだ。

 僕はもっと、本音で担当編集者と向き合うべきだった。ただ苦しみに耐えるのではなく、傷つけたり傷つけられたりする覚悟を持って、意見や主張を伝えるべきだった。大多数の人々が、中学や高校で、友人とのかかわり合いの中で獲得する能力を、僕は獲得できていなかった。それゆえに本音が胸中に溜まってしまい、許容量を超えて飛び出し、失敗した。

 この性質は、中学、高校時代に起因している。

 とにかくひたすら良い奴であろうとする学生生活だった。良い奴だと思われれば、ひとまず攻撃はされない。それが僕の集団内における生存戦略だった。

 だからこそ「〇〇君は良い人だよね」という言葉は、僕という生物種への侮蔑に聞こえた。「線虫みたいだね」とか「ダニみたいだね」と言われている気分になった。だから未だに「良い人」という言葉には引っ掛かりを覚える。

 そして、その生存戦略自体も、上手くいったとは言い難かった。

 気づけば僕は周囲にとって都合の良い人になっており、集団内で最底辺の扱いを受けるようになっていた。一歩間違えれば、ありとあらゆる人間から虐められかねない死地に、気付けば自ら飛び込んでいた。

 そういう状況に陥った僕は、極力リスクを避けようとした。つまり耐えて現状維持に努めた。それによって学生時代を凌げてしまったことが、僕の人格形成に悪影響をもたらしたのだと思う。耐えていれば、いずれ苦難は去るという成功体験が刷り込まれてしまったのだ。

 それ以降、基本的に僕のコミュニケーションは耐えることが前提となった。基本ずっと、他人と話すときは、何かに耐えている感覚がある。何なのかは自分でも分からないけれど。

 そして、一人になった時に「今日も耐えきった。耐えたことで、差し障りなく会話できた」という成功体験を積み重ねてしまったのだ。

 野球部という環境に在籍していたことも、人格形成に少なからず影響を与えているだろう。

 良くも悪くも前時代的で、忍耐を美徳とする風潮の強い野球部だった。でも弱かった。中学時代も、高校時代も、三年連続一回戦負け。県内でも下の中くらいのレベル。そんな野球部における僕のポジションは、中学時代が第三センターで、高校時代は第四レフトだった。何でさっさと辞めなかったのか我ながら不思議。

 多分これも気質が関係している。耐えていれば、いずれ楽になるという消極的解決ばかり選んできたせいで、動的な選択が取れなかったのだろう。選択肢にさえなかった。閉鎖的な縦社会は人格を殺す。



 要するに。

 

 今、人生を振り返ったことで気づいたが、僕という人間は、かなり主人公っぽい人生を送っている。

 高校入学当初は、素人を『そじん』と読んでいたクラスメイトよりも成績が下だった。

 そんな奴が、ド田舎の訳わからん場所にキャンパスがあるとはいえ、ぼちぼちの大学に進学し、なんやかんやあって小説家デビューまで出来たのだ。主人公を自称しても文句は出ないはず。ないよね? 良いよね?

 いや上手くいった部分だけの話じゃない。訳の分からん行動を繰り返して、面白くない小説を量産して、他人を傷つけて、傷つけられて、他人を笑わせて、他人に笑われて、足掻いて、もがいて、稀に上手くいく時もあって。上手くいかないことも多くて。

 それら全部ひっくるめて、主人公っぽいと思う。幸不幸はさておき。すべての主人公が幸せって訳じゃねぇし。

 現状を整理しよう。

 2023年現在。主人公を自称する、何も持たない二五歳のフリーターが、東京都大田区大森西の風呂なし四畳半に放り出された。

 だが意外と絶望感は薄い。これ、動物としては致命的だと思う本当に。もっと慌てた方がいい。

 だって、2023年は、本当に沢山のものを失った。

 担当編集者の信用を失った。完全に自分の自業自得だ。切られたとしても文句は言えない。

 新型コロナ感染症に罹患し、嗅覚を失った。少しずつ改善しているが、完全に戻る見込みはない。

 安眠を失った。強いストレスの影響か、四時間以上、連続で眠れなくなった。

 喉を患った。たぶん、東京という場所が合っていないんだろう。上京してからずっと、妙に息苦しい。やたら痰が絡む。

 携帯電話が壊れた。三か月前に買い換えたばかりなのに。

 100均で買った時計も壊れた。ライト機能がバグって、常に五色の光が明滅し続けるようになってしまった。何らかのフィーバータイムみたいだ。

 落ちる所まで落ちた。だから次は上るだけ。みたいな上っ面の励ましが以前は嫌いだったけれど、今はそこそこ救われている。

 というか、こういう言葉で自分を洗脳したいのだ。悪い意味じゃないよ。

 信じたいのさ、自分を。でも現在の自分が信じるに値しない人間だから認識を歪めるのだ。意識や認識は簡単に歪み捻じ曲がるということを僕は中学と高校で学んだから。あと因数分解も学んだ。いや存在を知っただけで学んではいないか。

 だから、人生遍歴から好都合な要素を抽出し、それを煮詰めて粘り気のある汁にして、脳の溝へと流し込む。

およそ二年の努力で、底辺高校の最底辺から大学に進学できた。

およそ四年の努力で、ほぼ読書経験ゼロの状態から作家になれた。

そして今は、三年間に及ぶ迷走を続けている。

とすれば、次はより長期の努力で、より面白い結果を得られるはず。知らんけど。そう思っていた方が楽しいじゃん。今はエネルギーを貯めている期間だと思った方が幸せじゃん。とか書くと自己啓発っぽい? もっと暗くないと文学じゃないのかな? まぁいいや。

てか迷走具合で言えば、【要するに童貞】と書かれた旗を掲げて、JR鳥取駅前を練り歩いていた頃の方がよっぽど迷走していた。

 だから、僕は大丈夫なんだと思う。多分ね。

 強がりと思って頂いて結構。実際、強がりだ。強くないから強がらないと。

 だって、ほら、よく言うじゃん。諦めたら、そこで試合終了って。スラダン未読だけど。

 逆説的に、諦めないと決めたらその時点で勝利は必然。必定。確定事項。合ってるよね?

 少なくとも、これ読んで「いや無理だろ」と思った奴には死ぬまで負けないことが今この瞬間に確定したからラッキーボーイだよ僕は。いやラッキーガイか。僕もう大人か。唐突な鬱。

 ま。

 いけるだろ。僕が本気でいけると思ったら。だって主人公だからね。

 だってさ。

 この絶望的かつ地獄的かつ退廃的かつ暗澹たる状況で、アジアンカンフージェネレーションの【電波塔】を聴きながら、風呂なし四畳半で小躍りしているんだ。この状況で、そんなことしてる奴、絶対に何があろうと確定で一生幸せでしょ。

 無論、この思想も現時点では固まり切っていない。が、この文章を書きあげた時、僕はまた主人公へと近づく。

 自分の書いた文章で自分を洗脳し、主人公にする。なんとコスパの良い自己啓発だろう。

 否定上等。雑言結構。

 そろそろまとめようか。流石に徒然が過ぎるし。

 四半世紀の間に、僕は何と邂逅し、何にときめいたのか。そろそろ結論を示さねばならない。

 実を言うと、割と序盤で答えは出ていた。


 十代後半から二十代前半にかけて、僕は初めてまともに青春と邂逅し、自分の人生にときめいたのだ。


 高校卒業まで全く経験できなかった青春の中で、僕は今、必死にもがいている。

 これからも、色んな場所で、色んな連中と、色んなことをして、その度にときめく。

 これが人生。これが青春。とか言うと作り物っぽいとか思われるかもしれないけど本心なんだから仕方ない。信じてくれ。

 うだうだ書くのは違う。だから、外す覚悟で締めよう。


 僕は今、この世の誰よりも青春している。

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邂逅というテーマで書いたエッセイ。 匿名太郎 @kousei0227

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