お兄ちゃんはプロレスラー

中原圭一郎

第1話 新人プロレスラーの日常

 新人プロレスラーは、派手な技を禁じられている。

 1000回のスクワットは当たり前。

 腹筋、腕立てなど、基礎トレーニングで回数をこなさなければ、容赦ない先輩たちの「指導」が待っている。

 浩司の同期で入門した新人は8名いたはずだが、2日で半分が逃げ出し、2ヶ月後にまた1名が辞めた。

 無理もない。

 どうやっても出来ないことをやらされ、出来なければ「指導」を受ける。

 夜遅くまで、先輩達の衣類の洗濯。

 早く自分の担当する先輩レスラーの分を終わらせるために、洗濯機の取り合いで同期と喧嘩もした。

 終わって寝られる時間になったとしても、疲れすぎて、寝付けない。

 朝は4時起きで道場の掃除、朝食の準備が待っている。

 よくここまで我慢してきたと、浩司は思う。

 感覚は麻痺しているのだ。

 プロレスラーとしてリングに立ちたいという気持ちだけで耐えてきた。

 デビューを告げられたのは、入門から半年経った10月だった。

 浩司は困惑した。

 付き人、洗濯、掃除、食事の用意、それらに忙殺され、プロレスラーとしての練習は、ほぼ基礎トレーニングしかしていない。

 スパーリングとは名ばかりの「極め合い」と呼ばれる寝技、関節技の練習もあったが、格闘技未経験だった浩司は、ほぼ一方的にやられるだけだった。

 唯一練習してきた技が、ドロップキックとボディスラムの2つだけ。

 浩司が意識してきたのは、いかに怪我をさせずに技をかけるか、という点だけだった。

 ドロップキックは、顔に当たらないように。ボディスラムは、頭から落とさないように。プロレスラーは、シリーズ中は毎日のように試合があるため、決して相手を怪我させてはならないのだ。それは、試合に勝つことより大切なことだと、弁えていた。

 デビュー戦は、3分弱で負けた。

 対戦相手は、ベテランのミスター田中。

 緊張で、ほとんど何も出来なかった。

 気がつけば、逆エビ固めでタップしていた。

 昨年引退し、道場のコーチとなった寺田は、そんなものだと慰めてくれた。

 二戦目、対戦相手は、2年目の先輩レスラー吉田。

 受け身の練習と称して、道場でよくかけられていた技、ブレーンバスター。

 時々、垂直落下でかけられていた。

 試合中にブレーンバスターの体制に入られた時、練習時の恐怖から、練習したこともないスモールパッケージホールドを見よう見まねで仕掛けて中途半端に失敗した。

 場内からは失笑が漏れた。

 試合は、激怒した吉田のハイキックを喰らって、失神KO負けだった。

「ろくに練習していない技を使おうとするんじゃない!」

 対戦相手だった吉田に叱責された。

「浩司、お前にはしばらく、試合をさせん」

 デビュー戦の後は温かい言葉をかけてくれたコーチの寺田も、突き放すように言った。

 浩司は、マッチメイクから外された。

 同期の田川、嶋田は前座とはいえ、毎日試合が組まれ、初勝利も挙げた。

 浩司は試合が組まれない間、二人の行うはずだった雑用も行うことになった。

 多忙を極めたが、練習時間も取れた。

 シリーズの合間の休みは、徹底的に練習した。

 叱責された中途半端なスモールパッケージホールドも、80kgほどあるサンドバッグの人型版である、ダミーバッグを相手に、練習を繰り返した。

 コツは、相手の体重を最大限に利用することだと気がついた。人間相手だと、敵の勢いを利用すれば、さらに簡単に決められるだろう。

 寝技、関節技は決め合いでやったが、投げ技などは、新人レスラーの浩司には教えられなかった。

 一人の時は、スモールパッケージホールドの練習だけを行っていた。

 どんなに技を鍛えても、試合をする機会がなければ、意味はない。

 浩司に試合を行う機会が与えられなくなって、実に3ヶ月が過ぎようとしていた。

「お疲れ様です!」

 12月のシリーズ最終日、浩司はいつもの通り、会場である両国国技館でセコンドの業務を遂行していた。

 入退場時に観客から選手を守り、試合が終わればタオルと水を渡し、怪我をした選手は医務室に連れて行った。

 今年の最終日なので、多少の怪我は許される。

「くそっ、コーナーポストで額割れた。アナコンダの野郎」

 外人レスラーは、試合を終えてすぐに成田空港へ向かっている。浩司は、血を流している先輩レスラーの一人、箱田を宥めながら、病院へ行くタクシーの手配を行なっていた。

「おい、今日試合やっていない奴はいるか」

 現場監督の石田が、相撲時は支度部屋として使われている控室へやってきた。

(ここは力士時代と変わらんな)

 控室は、俵と土の臭い、テッポウを行うためと思われる木の柱に、相撲の名残を石田は感じていた。

「メインの長田さん以外は、選手は全員、試合を行いました」

 リング上では、セミファイナルの、世界タッグ戦が行われている。

 超日本プロレスには28名のレスラーがいるが、第1試合の10人タッグも含め、浩司以外のレスラーは全員試合を終えていた。

「お前は」

「今年入門した細田浩司です」

 浩司は直立した答えた。

「試合をしていないんじゃないか。デビューは?」

「10月に。しかし寺田さんから試合を禁じられております」

「練習は?」

「休まず参加していました」

 ふむ、と品定めをするように浩司を見た。

 細田という男、体はできている。

「準備しろ。メインだ」

 石田は口数が少なく、浩司は理解に苦労した。

「メインは長田さんと、エル・アロサールの挑戦者決定戦だったのではないでしょうか」

 1/4東京ドームに来日するAWF世界王者リック・ブロスナーへの挑戦権を賭けた試合だったはずだ。

「アロサールが、試合に出んと言ってきた。もう日本にいない」

 対戦相手はXとして公表していないが、実際はメキシコの大物、エル・アロサールだ。サプライズとして、最終日だけの参戦となっていた。

 空中殺法を得意とする日本でも有名な男だが、対戦相手へ足への関節技を禁止するなど要求も多く、扱いづらいことで有名で、石田は常に頭を痛めていた。

 今日は、ギャラが折り合わず、ファーストクラスで来日させたにも関わらず、メキシコへ帰ってしまった。

「幸い、長田の対戦相手の名前は公開していない。お前が謎のレスラーXとして長田と試合しろ」

 無茶だ、と浩司は思ったが、現場監督である石田に意見など出来ようはずもない。

 黒のトランクスに、白いマスク、柔道着、両手にはオープンフィンガーグローブでパイプ椅子を持つという、信じられないような服装をさせられた。

 全て石田のセンスだ。

「よし、行ってこい」

 セミファイナルで、超満員の両国国技館は、最高潮の熱狂に包まれていた。

 TV局の音響スタッフに即興で用意されたと思われる、『アフリカンシンフォニー』に乗って、入門1年目の浩司は初めて、メインイベントのリングに上がることとなった。

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