その6
クライヴが王都へと戻り、しばらくしてからの事、ローズの元には実の妹からの手紙が届いていた。内容はいつまたクライヴが帰ってくるのかを確認する手紙だった。
ローズは妹のライラとそれなりに仲がいい。しかしながらここ最近のあんな出来事があった後では、彼女の遠回しにクライヴに会いに行きたいから日取りを教えてという手紙に若干疑う気持ちがないわけではない。
そんな手紙の返事を考えていた日差しの心地いい昼下がりの事。ローズの部屋に控えめなノックの音が響いた。
丁度、お茶の時間帯。先触れは来ていないが、大方セシリアが休憩がてら話相手を探して自分の部屋を訪れたのかと考えてエイミーに扉を開けてもらった。
すると予想外に小さな身長、それから大きな青のリボンが目を引いた。
……カーラ、来てくれたんだ。
この間の誘いを覚えていてくれたとは、嬉しいこともあるものだ。頭を下げてごきげんようと淑やかに挨拶する義妹にローズは、これでもかというほど表情を優しくさせて小さなお茶会の準備をエイミーにしてもらうのだった。
その立ち姿から、ローズは可愛いカーラの事を福音を知らせに来た天使のように見えたのだが、その口から出た言葉はローズにとって酷な響きをしていた。
「お兄さまは、ローズお姉さまの事、愛していませんわ」
言った後にカーラはフォークで彼女のために出した小さなケーキの上に乗った果実をさくっと刺す。じゅわっと果汁が零れ落ちて、そのまま小さな口に果実が放り込まれた。
それを見ながらローズは、ちくちくと心が痛くなったのを感じて同じようにしてケーキを口に運ぶ。
ローズはそれとなく、とてもフラットにこの小さな女の子に話すのにちょうどいいように軽くした不倫疑惑の話をカーラにした、その返答がこれである。
さすがにこんな子供に言われるのだから、そうなのだろうと思うし、カーラは、クライヴの実の妹だ。そんな子がいうのだからそうなのかもしれない。
「あたし、ずっとそうだって思ってたのよ。今の話を聞いて思ったけどやっぱり、心は別にあったのね」
納得したように言うカーラに、ローズはそんなに彼は分かりやすかっただろうかと考えてみるが、ローズにはあまりしっくりこない。そもそもクライヴが戦い以外の事を考えられるのだということだって、最近気がついたといってもいい。
それぐらいには、愛だの恋だのにローズは疎いのだった。
「でも、浮気なんてみんなやることではないの?お姉さまは心の狭い妻だわ」
そんな風にも言われ、政略結婚でこんなことを気にしているというのは確かに心の狭い妻だと言われても文句は言えない。
それでもローズは今まで、なんだかしっくりこないからとその不倫をまともに取り合ってこなかったのだが、ここまで断定されるといよいよ自分の気持ちというものに正直にならなければなならないと思うのだった。
確かにクライヴとは政略結婚だ。恋愛感情だって特にない。……と思う。体を重ねられるだけの情はあるけれども、好いた男を取られたという不倫に対する忌避感はない。
しかしながらそんな程度ではない感情がローズの心の中には渦巻いていた。
「どうせ愛されないくせに家庭にはいった女のだもの。立場をわきまえてこれからは、お兄さまに女らしく甘えたりしないほうがいいのではなくて?」
カーラは強気に言いきって、ローズをみた。しかしながらローズはそんな彼女の少し強気な発言など特に気にも留めずに。やれるだけのことはやってみようかと考え、その瞳を鋭くさせているのだった。
「っ、そんな、凶暴な目をしているから、お兄さまに愛想をつかされるのだわっ!」
しかし、カーラの半ば悲鳴のような声を聴いて、ハッと我に返る、可愛い義妹を怖がらせないようにしなければという思いすら、決意の前では簡単に吹っ飛んでしまったっことを思いだして、ローズはいつものように目を細めてほほ笑んで「ごめんね、カーラ。驚かせたね」と笑みを見せる。
そんな彼女に、カーラはこれだから、この女は嫌いなのだと心の底から思ったが口には出さない。
「ところで……どうして、カーラは、私が愛されていないと思う? 断言するのが随分早かったと思うんだけど」
ローズは、話もまともにせずに一人で勝手に決意をしてしまっていたことは良くなかったかと思い直し、目の前の少女と意思疎通を図ろうとそんな風に切り出した。それにカーラは少し機嫌をよくして、その可愛いお顔を歪ませて、勝ち誇ったようにローズに言うのだった。
「だって、ローズお姉さまが言ったようなことするなんて、お兄さまもわざとのはずだし、牽制って言うのよそれ。不倫女の方だって、お姉さまに存在をアピールしてるのだわ」
……牽制、されてるのか私。
「つまり邪魔者扱いされてるのはローズお姉さまってことだわ。それにあたし、あんな凶暴な嫁なんて恥ずかしいってお兄さまが言ってるの知ってるもの」
「それって、本当にクライヴが?」
「そうよ!もっと愛らしい女性が良かったって!」
何故だが、興奮気味にいうカーラにローズは、頭にはてなを浮かべた。そんなことを言われても困るというのに、カーラにはそんな事を言っていたのかとローズはやっぱり少し凹んだが、それについてはどうしようもないのですぐに右から左へと聞き流した。
そんなことよりも牽制してきているらしき、不倫女の方がよっぽど重要である。
何故そんなことをしてきているのかわからないが、それは売られた喧嘩と取っても構わない事態であるということは、昨日のエイミーの反応と今日のカーラの反応で分かった。
「それに、その真っ赤な髪だって下品だって言っていたわっ」
その牽制をクライヴがどう思っているのかわからないが、売られた喧嘩は買うのがローズの主義だ。
嫁入りしてからは、人間関係は戦闘よりも不確定であやふやなものが多いだからこそ、ローズも出来るだけ柔軟に対応をしてきたというのに、相手側がこれほど決定的なことをしたのだから、その限りではないだろう。
「……そう、そうね」
「やっと理解したの、遅すぎるわよ。お姉さま」
……私に手を出したことを後悔させてあげる。
そんな悪役のようなセリフを考えて、しかし顔だけはなんとか優しそうな顔を取り繕って、カーラに向けた。素直に何でも話してくれた彼女には感謝しなければならないだろう。
なんせ彼女のおかげで、反撃の機会を得たのだから、なんでも好きなものを買ってやりたいぐらいだ。
「分かったらもう少し、お兄さまの好みの服に変えたり、香水をつけたりしてみたらいいのではなくて?」
さらには、彼に好かれる為のアドバイスまでしてくれるらしい、しかしそれは却下だ。ローズは、そういう努力をまったくクライヴが望まないし、それに気がつきもしないような人間なことを学園時代に知っている。
「それはあまり……気が進まないんだけど」
彼は、学生時代、同じ学園の生徒にそれはもうモテた。学園にいる貴族女性が一度は自分と交際してほしいと告白していたほどなのだ。
しかしながら、そんな彼は、剣の太刀筋が濁っていることにはすぐに気がつくのに、だれがどう彼の好みに合わせようとしたところで、彼には好みというものがないので、だれもかれも迷走していた。
そんな事態にトリスタンがため息をつきながら、彼の好みを心底丁寧に聞いてやり、それからその情報を学年全員に流したのだった。
それが、物理的に強い女性という事だったので、決闘の申し込みが増えてクライヴはあの時とても楽しそうだった。それに私を倒すことで強さを証明しようという女生徒も多数現れてその時は少々骨が折れたが、楽しい青春の一幕だ。
「そうやってプライドばかり高くて、嫌になるわ。これだから長女は社交界でも嫌われるんだわ」
「ああ、たしかに。たまに言われるね」
「フンッ、あたしも偉そうだから好きませんわ。それに加えて爵位継承権もないだなんて質が悪いなんてものじゃない」
カーラはパクパクとケーキを食べながらそんな風に言った。魔術が使えれば男女どちらでも爵位を継承できるこの制度はいつからのものかは分からないけれども、長女は爵位継承者になることもあるため、気位が高い場合が多い。
自分がそれに当てはまるかどうかはわからなかったが、しかしながら、長女というのは危うい存在であり、家に良い男児が生まれればそちらに家の命運を預けたいと思うの心が働くのは仕方のない事。
そういうわけで立場の安定しないローズのような人間は社交界でも、未婚の男女どちらにも疎まれているような存在であることは間違いないのである。
ぷりぷり怒りながらケーキを食べるカーラの話を聞きつつローズは、頭の中でどう不倫女を見つけるかと算段を立てながら、お茶の時間をすごすのだった。
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