牽制してくる不倫女は、本当に存在しますか?

タヌキ

その1





 慣れとは、不思議なものだとローズは考えていた。


 結婚し夫婦生活を始めてはや半年、こうして体を重ねることも、彼の部屋のベットで夜を過ごすことだって、今はそれほど違和感も緊張も感じない。


 終わった後のけだるい体で、マットレスを押して体を起こすと乱れた自分の赤毛が視界に入って、うっとおしく思いながらも耳にかけた。薄暗闇の部屋の中で、このままベットに体をうずめて眠ってしまいたい気持ちに駆られたが、そういうわけにもいかない。


 ともに眠り朝を迎えるほど、ローズと夫であるクライヴは仲の良い夫婦でもなかった。しかし、夫婦になるということは、こうして体を重ねるという事であり、ローズは子供を望まれている。

 

 貴族、それも上位貴族である公爵の地位を継ぐ男に嫁いだのだから当たり前の価値観であり、ローズ自身もそれを了承してこの屋敷にやってきた。


 ……分かってはいるけれど、こんなものでいいのかわからないんだ。


 ぽつりとそう思う。本当にこれで子供ができるのかも、正直、不可解というか、自分はただ、クライヴにされるがままにしているだけだし、彼が楽しそうということもない。というかそもそもクライヴが楽しそうにしているところなんて、戦っているとき以外見たことなどない。


 だから、このままこの部屋で過ごしたいとも思ったことは無いし、なにより、クライヴだっていつまでもローズが居座っていたら気を遣うだろう。


 そう思って、ローズは、手探りでベットサイドに解いて置いておいた自身の髪紐を探して適当に結い直す。


「……ローズ」


 低い声に名を呼ばれ視線を上げると、服を着て、いつものようにきちんと居住まいをただしたクライヴの姿があり、水の入ったグラスをローズに差し出していた。


「ありがとう」

「……」


 お礼を言って受け取る、しかしクライヴは、やはり最中と同じでにこりともしないし、気遣いの言葉を掛けるでもないし、愛の言葉をささやいてくれるわけでもない。


 こういう部分で、自分たちは政略結婚なのだと暗に示されているような気がしてローズは、なんとも言えない気分になるのだった。


 こくこくと水を飲みながら、そのまったく普段と変わらない藍色の瞳を見つめた。


 ……別に、求めているわけでもないんだけど、なにがどうというか……。


「……顔に何かついてるか?」

「ついてないよ」

「そうか。……何か用か?」

「……なんでもない」


 元からこういう人だというのは承知の上で結婚したし、そこらの貴族の新婚よりも付き合いは長い方だ。クライヴがまったく理解できないというわけでもない。


 しかしながら、なにか変だと思うような気がするだけで、ローズの方もまた、その気持ちを言葉にするだけの恋愛経験もなければ、普通の令嬢のように男性に気に入られる方法も分からなかったので、いつものように自身もにこりともしないで普段と同じような返答をするのだった。


 それにもとより、そういったことは性分ではない、ほんの数年前までは、魔法騎士を目指して男どもと一緒に戦闘の訓練を積んでいたので、女心など成長するはずもなくただぼんやりと、男女の情事に、こんなものなのかという漠然とした感想を抱いていた。


 けれども、女性らしい心も、繊細さも持ち合わせないローズだったが、今日に限ってはその違和感というか、なんだかしっくりこない感覚がいつもより強くあるような気がして、いつもだったらぼんやりしたまま部屋に戻るのだが、なんと無しに口にした。


「……ねぇ、君は今……満たされてる?」


 本当は、いま、楽しい?とそんな風に聞こうと思った。しかしそれではなんだか自分がまったく楽しくないと言ってしまっているように聞こえるかと思い抽象的な言葉を言った。


 しかし、その言葉はあながち自分の聞きたいことと間違っていないような気がして、立ったままのクライヴを見つめて、ローズは髪を手櫛で解いた。


 クライヴは突然のローズの疑問に少し不思議そうに首をかしげて、それからぎしっと音を立てて、ベットの淵へと腰かける。


 ……満たされる?なんて質問をされても、困るかもしれない……でも……ああ、そうだ。だって、私たち仲は良くなかったけれど、娶るといったのは、君だった。


 だから、そうして私とこうして夫婦になったのだから、なにか満たされたのかと聞いたっておかしくない。


 そう思った。しかしながらその問いは、結婚当初にいうのならばまだしも、なんとなく家庭に入ってなんとなく妻をやっていた期間が半年もあったので遅すぎる問といっても過言ではない。


 そこまでローズは考えてから、自分自身もそれなりにぼんやりと現状を認識していたのだなと思う。


「……なんだその質問」


 案の定、意味が分からないとばかりにクライヴは、少し眉間にしわを寄せて、ローズを見返した。当たり前の反応に、ローズはそのまま補足として適当に言葉を紡ぐ。


「いや……深い意味はないんだけど、なんだかなって思って」

「君は満たされていないのか」

「そういうわけじゃない……と思う」

「……」


 質問を質問で返されて、ローズは曖昧に返答を返した。なんだか変なことを言ってしまったような雰囲気になって、気まずいのが苦手なローズは、うーんと数秒考えてから、まいっか、と今日の違和感を忘れてしまおうかと思った。


 今更過ぎる話だった。それに、彼がどう思っていようとも、仲が悪いわけでもないし夫婦としてこれが適切な距離感なのかもしれない。そう考えて今の事は忘れてもらおうと、ぱっと目を細めるだけの笑顔を作ろうとして、どん、と押し倒された。


 女性に向けるには強すぎる力であるが、彼はいつもこんな加減なのでまったく不思議に思わずに押し倒されたまま、クライヴを見つめた。


「……はっきりしないな。足りないなら足りないといえばいい」

「……」

「しかし、君から誘ってくるのも珍しい」


 ……、……あ、ああ。満たされてるって、あ、なるほど。


 確かに、性的な意味で言っていると取られてもおかしくない。ローズは水を飲み干しておいてよかったと思う。グラスがシーツの上に落ちてクライヴがローズのうなじにキスを落とした。


「さ、誘った、わけじゃないんだけど」

「じゃあ付き合ってくれればそれでいい」


 きちんと否定の言葉をいってもクライヴは、つけたばかりの下着の上からローズの肌をなぞり、妙に熱っぽい声でそういった。


 それにああ、やってしまったとローズは思った。こんな風に下着のまま何か話をしようとした私自身が悪いのだと。

 

 だって男というものは女性の裸を見ていると自然と欲望が湧いて出てくるらしいのだから、そこはきちんと配慮をして、彼にこの謎の違和感について話をするべきだったのだ。


 ローズは自分の不手際を恥じつつ、しかし、この彼もこうして、自分という割と出来損ないの女性にも欲望を感じてくれるのだという安堵もある。


 なんとも言えない気持ちを抱えつつ、クライヴが、肌を撫でるのに吐息を漏らして身じろぎをした。一度目の情事で乱れたシーツを掴み、クライヴを見ていられなくてそっぽを向いて目をつむる。


 それから、こうして体のつながりがある以上は新婚としてなにも間違ってはいないはずだと自分に言い聞かせつつ、両手を投げ出すように上に上げると、枕の下に手が滑り込み、ふと、何かに触れた。


 ……?


 不思議に思って、指先でそれをなぞって、ひっかけて引っ張り出してみる。


 ズルっと枕の下から何かが出てきて、反射的に気になって、自分の視界に入る位置にもってきた。


 ローズの不思議な行動にクライヴも彼女にキスを落とすのをやめて、その仕草を見やった。二人の間に一枚の布が広げられる。


 フリルのたくさんついた、あからさまに普段使いをしないような不思議な布、なんと形容しようか。男性の為につけるのが一般的であるような胸だけを隠すような誘惑的な下着。


「え、へ?」


 思わず変な声が出た。こんなもの、つけたためしもなければ実物だって初めて見る。わざわざ買いにいかなければ持っていないような代物だ。普通はコルセットをつけるし、これでは体型の維持も出来たものじゃない。


 そしてその布越しにみたクライヴの顔はまるで真顔で、やはり何を考えているのかなどわかる気がしない。


「……」

「……」


 ……ず、随分、扇情的な……。


 思考停止のままローズはそんな言葉が思い浮かんだ、しかし、クライヴは狼狽するでもなく、驚くでもなく真顔、急な出来事に驚いてもいいはずなのに何の反応も示さない。


 それどころか、そのまま、ふと顔を逸らし、適当にベットから降りて、ローズの事を見もせずにジャケットを着て部屋靴のままカーペットを颯爽と歩き部屋を出ていく。


 クライヴの自室であるはずなのに彼がいなくなり、ローズは、その誘惑的な下着と共にぽつねんと残されてしまった。


 まったく、衝撃的な心地だった。まるで、急に自室に魔物が現れた時のようなそんな衝撃的な気分。しかし、魔物であるならローズはお得意の炎の魔法で消し炭にすることが出来るのだがこの……この、下着にそうするわけにもいかない。


 ただただ、彼のベットで固まって、下着を見つめて、呆然とするのだった。




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