第14話 優しい瞳

 読んでいた本を閉じ、立ち上がって伸びをする。ずっと同じ体制で本を読んでいたから、体が疲れた。


「ワンッ」


 椅子にもたれかかっていると、犬の鳴き声が聞こえてきた。

 窓を開けて下を見ると、大型犬程の犬が座っていた。その犬には翼が生えており、明らかに普通の犬じゃない。


「これ、まずったかな……」


 そう呟いた瞬間、その犬は窓枠に飛びかかり、大きな口を開け鋭い牙を私に向ける。


 信じられないほど大きな口に唖然とした。いや、唖然とする暇もなかった。魔力を使おうにも、私はまだ魔力の流れを操ることもできない。


 戦うなんて経験もしたことがない私には、この一瞬で何をどうすればいいかなど、考えられなかった。


 牙が私の間近まで来たその時、犬に真上から何かが刺さった。犬はそのまま地面に打ち付けられる。


「平気か?」


 私を助けてくれたのは、ルシファーだった。

 彼は無表情のまま窓へ近づいてきた。


「えーっと、この犬は……」


 下を見ると、紫色の槍のようなものが刺さっている先程の犬がいる。地面に刺さっていて、身動きが取れないらしく、ずっと唸っている。


「なんの音ですか!?」


 ウァサゴが慌てて私の部屋のドアを開ける。大きな音がしたから、駆けつけてきたのだろう。


「って、ルシファー様……?」


「ここに来たら、庭にがいるのを見つけてな」


 彼は犬を指さす。ウァサゴは私の隣まで来て、それを見る。見た途端、彼女はことの事態を納得した様子だった。


「なるほど、グラシャラボラスですか」


「えっと、確か……人文科学の知識を与えるけど、殺戮の達人でもある悪魔、だっけ」


「そうです。ちなみに序列は25です」


 しかし、よくもまああんなに堂々と襲おうとしてきたな。もう少し狙える機会はなかったのだろうか。


「これの処理は私がしておきましょう……」


「悪い、頼む」


 ウァサゴはため息をつきながら部屋を出て、庭へ回った。それと入れ違いに、ルシファーが部屋に入ってきた。


「怪我は?」


「ないよ。ありがとう」


 言うと、彼はわずかに微笑んだ。


「––––だから……に」


「?」


「お前だから行けると思ったのに!」


 ウァサゴがつまみ上げた犬––––もといグラシャラボラスは前脚と後ろ脚をバタバタさせながら喚いている。


「はあ?」


「お前なら、戦闘経験はゼロに近しいからいけると思ったんだよ! それなのに、それなのにぃぃぃい!」


 その後もギャーギャー喚いている。


 つまり、戦う能力を持っていないウァサゴとなんの力もない人間しかいないと思っていたのに、明らかに強く敬意を払わねばならない存在のルシファーがいた事に、腹を立てているというわけ。


 実にアホらしい。


「……お前は、どうやって結羽こいつのことを知った?」


 ルシファーが問うと、グラシャラボラスはビクッと跳ねる。


「い、いや、別に……なんでもいいだろ!」


 これは、何かしらに口止めされていそうな雰囲気だ。

 しかし、グラシャラボラスは彼の圧に耐えかね、大人しく話し始めた。


「べ、ベルゼブブ様だよ……。この地に人間が迷い込んだって聞いて、それで…………」


 言われると、ウァサゴは小さくなるほどと呟く。ルシファーも納得している様子だった。


 この前も言っていた。ベルゼブブが情報を流しているのではないか、と。その予想はまさに当たっていて、私は悪魔に食われようとしていた。


 ベルゼブブという悪魔が人間をそこまで毛嫌いする理由はわからないけど、その悪魔がいる限り、襲ってくるヤツらは絶えないだろう。


「……これ、どうしますか」


「元の場所に返しておけ」


 ウァサゴはわかりましたと言って頷き、グラシャラボラスを空の彼方へ投げ飛ばした。


 悪魔は投げるのが好きなのだろうか……。


「さて……」


 犬を投げ捨て終わったウァサゴは、家に入って私の部屋まで戻ってきた。そして私に近づいてくる。


 何も出来なかったことに怒られでもするのかと身構えていると、頭になにか乗った。


 固く閉じていた目を開けると、目に彼女の優しい笑みが映った。どうやら、手に乗ったのは彼女の手らしい。

 温かくて、落ち着く。


「怪我がなくて良かったです」


 彼女の瞳は初めて会った時のような冷徹さはなく、優しい優しいものだった。


「うん……」


 撫でられたのなんて、いつぶりだろうか。ここ数年、母にも撫でられることは無かった。歳が歳だから、当たり前ではあるのだけど。


 でも、撫でられることそれがどうしようもなく嬉しかった。


 嬉しさと同時に、悔しさも込み上げてきた。何も出来なかった、助けてもらわないと何も出来ない自分が腹立たしくて、馬鹿らしくて仕方なかった。


 彼らに甘えていてばかりではいけない。たとえ人間界でなくとも、自立しなければならない。だから、私は彼女たちに伝える。


「あのさ……」


「?」


「自衛の術も習いたいっていうか……あ、まだまだ実力不足っていうのはわかってるんだけど」


 言いたいことがまとまらない。もう少し頭で考えてから発言すべきだったと、少し後悔した。


 二人は顔を見合せ、そして私に視線を戻した。


「わかりました。そろそろ魔力の流れも掴めてきた頃でしょうし、応用を効かせましょうか」

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